人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

今回の旅はお米に感謝

ほとんどのホテルが朝食サービスなし

 私はいつも、海外旅行にお米と炊飯器を持って行くことにしている。それは海外の食べ物が合わなかったり、パン食に飽き飽きしてしまうからだ。そもそも、お米と炊飯器を持って行くきっかけになったのは、フランスの田舎でひもじい思いをしたからだ。村にはパン屋が一軒しかなく、店の前では大勢の人が待っていたが、店の中を覗いたら、ショーケースには僅かなパンしかなかった。仕方がないので、ホテルの前からバスに15分ほど乗って、町にあるスーパーに食料を買いだしに行った。できる事ならお米が食べたいと思った私は、スーパーのお惣菜売り場にリゾットがあるのを発見して歓喜した。そのリゾットは人気があるようで、あまり量は残っていなかったが、あるだけ買って帰った。さて、食べようと、スプーンで口に入れた。だが、悲しいことにお米に芯があって硬くて食べられない。これは一体全体どうなっているのか。日本の柔らかくてふっくらしたご飯が恋しくなった。いや、ご飯は日本のようには美味しくなくてもいいから、せめて柔らかいお米が食べたかった。

 昔のことはさておき、今回の旅行を振り返ってみると、痛切に感じることがある。それは、もしもお米と炊飯器がなかったらと思うと、ぞおっとするということ。パリに始まり、ロンドン、サンセバスティアンマドリードと旅をしてきたが、パリの最初のホテルを除いて、何処のホテルも朝食を提供していなかった。あるホテルでは部屋にコーヒーステックと紅茶、ミルクなどが置いてあり、湯沸かしポットを利用して暖かい飲み物が飲めるようになっていた。現実には、料金に関わらず、そんなサービスがあるところは滅多になかった。正直言って、朝食だけは落ち着いて、ゆっくりと食べたかった。たとえ、それがコーヒーとパンだけの朝食であってもよかった。お昼や夜はどこか店で食べればいいと思っていたが、今回は気軽に入れる店がなかった。コロナ禍で以前あった店が消えていた。混んでいるのはたいていマグドナルドかケンタッキーのようなファストフード店で、あんな脂っこい食べ物は私の胃には合わなかった。

 それでどうしたかというと、ホテルの部屋で自炊して、炊き立てご飯と韓国のり、あるいはフリーズドライのカレーやビーフシチュー、ホワイトシチューなどを食べて乗り切った。お米は一合では多すぎて、半合を炊いて食べたが、それは幸か不幸か、出発前から胃の調子が悪かったせいだった。胃のムカつきや胸やけがあっても、お腹は空く。たまに調子のいい日もあって、その時は食べたいだけ食べるが、またあくる日には胃の調子が悪くなった。もちろん、病院から貰った薬を飲んではいるが、いっこうに良くならなかった。

 たまには美味しい物を食べようと、マドリードのサンミゲル市場にも行ったが、何もかもが天文学的な値段で仰天した。タパス(薄くスライスしたフランスパンに野菜や肉や魚などバラエティーに富んだ具材を乗せてある)にしても、市場だからか、エビやカニのような海鮮のタパスがほとんどで、値段も一個5ユーロ以上したので、誰も買おうとせず売れ残っていた。私もここに来るのを楽しみにしていたし、何か食べたかったので、興味津々で場内を見て回った。ふと隣にいる女性を見たら、4個か5個だろうか、串にさしている食べ物を歩きながら食べていた。それが何かは最初わからなかったが、私もそれを食べてみようかと思った瞬間、通りかかった店のショーケースに、それと同じ物を発見した。何とそれはナスで、おそらく味付けがされているので、黒っぽい色をしていたようだ。その串に刺したナスの値段は8ユーロだったので、開いた口が塞がらない。

 ナスは買わなかったが、空腹だったので、背に腹は代えられない。法外な値段だと思いながらもピザとコーヒーを買って、場内にあるテーブルで食べた。近くに座っている人たちを観察してみると、皆ビールとかコーヒーとかの飲み物だけで、大したものは食べていなかった。食べるにしても、そんなに高くないパンとかピザぐらいのものだった。場内は人が大勢いるのに、ただ見学しているだけで、実際に買って食べていく人はそう多くないことが分かった。日本は今物価高で、私も頭を悩ませる日々が続いているが、世界では日本とは比べ物にならないほど物価高が加速していた。

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