
そんなスーパーでのささやかなやり取り、滅多にない
今日の中日新聞の投稿欄『あけくれ』に載っていたのは、神奈川県伊勢原市の山田啓子さんの「やりますねえ」だった。山田さんは日頃から何事も効率重視で、余計なことを言わないのが当たり前になっている風潮に味気なさを感じていた。そんなある日、スーパーのレジで、店員さんから「お客さん、すご~い。合計がピッタリ千円ですよ。なかなか無いです」とニコニコして言われた。すると、調子に乗った山田さんはついつい「ピッタリ賞ってあったらいいのにねえ」と口を素晴らしてしまった。だが、店員さんも心得たもので、ちょっと待ってくださいと言いながら、引き出しをごそごそと探したのだろう、ポケットティシュを1個くれたのだと言う。それで、思わず「やりますねえ」との言葉が自然と出てしまったのだ。
その何でもないやり取りに山田さんはなんだか心が暖かくなり、帰りはうきうき気分だったとか。たったそれだけのことで、何でもないやり取りに見えるかもしれないが、昨今はレジで店員さんと会話するだなんてことは滅多にない。こちらもセルフレジと同様に、店員さんがまるで機械仕掛けのロボットでもあるかのように、無駄な会話をしてはいけないかのように思っている。というか、人間らしい会話をしたことがない。まあ、別にレジが混んでいない時は話し掛けてもいいように思うが、第一、話をするきっかけがないのである。それに、スーパーのレジの人と会話をするという行為が仕事の邪魔になるのではないかという心配もある。
それなのに、これが今ではもう個人商店はもう無くなってしまったが、八百屋とか、肉屋とか、豆腐屋さんとなると、ついつい余計なことも言っていいような気になるから不思議だ。もちろん、何度も通って挨拶をし、顔なじみになると、自然と世間話に花が咲く。今ではそんなささやかな触れ合いも無くなったが、山田さんの投稿を読んで、店員さんの茶目っ気たっぷりのユーモアセンスに感心した。余計なことかもしれないが、一瞬そう思ったことを口に出しただけで、相手に喜ばれたのだ。殺伐とした世の中にあって、一服の清涼剤とも言える出来事だ。きっと、山田さんは、できれば商店街のような場所で買い物をしたい派なのだとお見受けするが、いかんせんそれは今ではもう難しいのだ。店員さんもただひたすらレジでバーコードをかざし、合計金額をお客さんに伝えて、お金を貰う。忙しさで目が回るくらいの時は時間があっという間に過ぎるからまだいいが、空いている時は退屈するのではないか、などと私などは想像する。
そう言えば、私も以前買い物の合計金額がピッタリ賞になったことがある。千円とか2千円とかで、もちろん店員さんは無表情で何の反応もなかったが、私の中では、「あら、ピッタリなんて、すごい!」と子供のごとくウキウキした。別に故意に、計算してピッタリになったわけではないからこそ、喜びは大きかった。そんなくだらない事でなんて、言わないで欲しい。合計金額がピッタリになるなんて、奇跡としか思えないのである。これは何か良いことが、幸運の前触れかと思いたくなるほどの奇跡が起こったのである。もちろん、幸運どころかいつもの当たり前の日だったが、それでも心は期待感に満ち溢れていた。
山田さんの願望通りに、スーパーもピッタリ賞を設けたらいいのに、と本気で思ってしまうのは、私だけだろうか。そんなしゃれっ気のある、ノリのいい経営者っていないものなのだろうか。面白がって、そんなサービスを開始したとしても、そんなに簡単にはピッタリ賞って出るわけもないのだろうが。それとも、こんな考え方はふざけているのだろうか。殺伐としたこの世の中にあっては、ささやかな楽しみを客に提供するのはなかなかいい考えだと思うのだが。
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