人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

サンセバスティアンとのお別れ

楽しみだったバル街が消えていた

 サンセバスティアンに行く目的はバル街でピンチョス(別名はタパスとも言う)を食べてビールを飲むことだった。一個1.5ユーロか2ユーロのピンチョスを3個とグラス1杯のビールで、10ユーロはどう考えても安い方だった。本当ならバルの梯子をしたいのだが、残念ながら私の胃袋は貧弱で無理だった。そんなことを思った昔が懐かしい。今では、いや今回は5年前に行った店はなく、代わりに客が誰もいないような、敷居が高くて気軽には入れないレストランになっていた。バル街の良さは誰もが気軽に入れて、店の外にまで客が大勢いるような、あの庶民的な雰囲気にあったのに。どこにも入れる店がないので、今まで行ったことがないエリアまでどんどん歩いて行く。すると、何やら数人が角を曲がってどこかに行こうとしていた。いったいこの人たちはどこに行くのか気になった。ついて行くと目の前には威厳のある教会の建物が見えたので、思わずまじまじと見つめる。その後、何気なく横に目をやると、なんとバルの店があって、人が大勢いるのが見えた。

 おそらく、この店が今のバル街で唯一営業している店なのだろう。この時の私はまさにやっとお目当てのものに出会えた喜びで感激していた。私がサンセバスティアンに行く目的は、バル街でピンチョスを食べながらビールを飲むことだった。いや、あくまでもビールはおまけで、ピンチョスが主役だった。みると、カウンターには野菜、サーモン、生ハムなどバラエティーに富んだピンチョスが大皿に盛られて置いてある。ここはそれぞれの皿に番号が振られていて、カウンターに置いてある用紙に番号を記入して注文するシステムになっていた。さて、どれにしようか。私が一番好きなピンチョスは口に入れたらとろけるくらい柔らかいパプリカの中に、ツナサラダを詰めたものがスライスしたフランスパンの上に乗っているもの。その味は濃くもなく、薄味でもなくて、とにかくパプリカが堪らなく美味で、今まで生きてきて、出会ったことがない味だった。

 今回も絶対そうに違いないと確信して、期待に胸を膨らませて注文した。ところが、何たることか、断じてこの味じゃない、そう思ってしまった。5年前の味と違う、目の前にあるピンチョスは見かけは全く同じだが、その中身は似ても似つかない代物だった。パプリカの食感が全然違うし、ツナサラダも味つけが濃すぎて美味しくない。そんなはずはないと、再度試してみるが、やはり間違いない。他には、肉団子と、サーモンとクリームチーズのものを注文したが、どれも私の口には合わない。ここの店は一見流行っているように見えるが、実のところは、この店しかやっていないからお客は仕方なくここに集まるのだ。真相は分からないが、そんなことを思った。

 今さら昔のことを言っても、何の意味もないが,サンセバスティアンの特産品は鱈で、バル街の店にはあちらこちらに干し鱈がぶら下がっていた。もちろん、ピンチョスも、鱈のフライや、カルパッチョが乗っかっていた、そんな時代も確かにあった。時の流れなのか、翌年行ったら、さすがに鱈のメニューは消えていたが、別にサーモンでも、肉団子でも、トルティージャでも何でもよかったのだ。だが、その代わりに、店がいつの間にか一つ、二つと消えて、ついに一軒しかなくなった。それが5年前なのだが、今回は私はそこに行くつもりだった。コロナ禍のことをけろりと忘れ、能天気に無邪気にそこを目指したのだが、それ見たことか、店はやっていなかった。ガーンと頭を殴られたような衝撃、これが一回目のショックで、次はやっと見つけたバルでの違和感へのショック。これが二度目だ。

 まるで、サンセバスティアンに失恋したみたいな感覚。この時の私は大事な物を失くした喪失感に打ちひしがれていた。もう、ここに来る目的が無くなった瞬間だった。もはやここを目指す意味が見いだせない。サンセバスチャンとはこれでお別れだ。

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