人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

早朝の列車でマドリードへ

 

サンセバスチャンからの列車はわずかに1本だけ

 気候変動を思わせる状況の中で、戦々恐々としていた私だが、翌朝、駅に行ってみたら何ごともなかった。こんな悪天候の中でも、ちゃんと列車は動いていた。私が乗る予定の列車は7時5分発のアルヴィアで、直通でマドリードに行くわけではないので、サラゴサでAVE(スペインの新幹線)に乗り換える必要があった。サンセバスチャンから4時間ほど乗って、サラゴサでAVEに乗り換え、1時間15分でマドリードのアトーチャ―駅に着く。因みにこのアルヴィアの最終目的地はバルセロナで、5年前に初めて利用した時にマドリード行きの列車は無いのだと知った。不思議なことに、サンセバスティアンからマドリードに行く列車は11月に入ると途端に少なくなり、僅か1本になった。ではそれを逃したら、どうすればいいかいいかと言うと、調べてみたらちゃんと駅前にある地下のバスターミナルからバスが出ていた。だがバスは、電車で5時間半で行けるのに比べると、遥かに時間がかかることが分かった。しかもマドリードには国鉄駅から遠く離れたバスターミナルに到着するので、移動が面倒だ。

 そもそも、なぜマドリードに行くのかと言うと、それは空港があるからで、そこから日本に帰るためだった。要するに、あくまでも行きたいのはサンセバスティアンで、マドリードも、かつて行ったバルセロナも、おまけに過ぎなかった。それでも、5年前は少し様子と言うか、事情が違っていた。それはNHKラジオのスペイン語講座で、スペインのアリカンテにホームステイしている30代女性のストーリーに夢中になってしまったからだ。彼女の話では、アルハンブラよりも、サグラダファミリアよりも、何より印象に残ったのは断崖絶壁で有名なロンダだったということ。それで、私もロンダを目指したのだが、それには順序というものがあって、まずはマドリードから始めなければならなかった。それならついでにグラナダにあるアルハンブラ宮殿にも行こうと言うことになり、自然とマドリードに行くことになった。

 マドリードにたいして興味が無くても、そこから始めなければならない、そんな事情から偶然にマドリードに行くことになったわけだ。最初はグラナダに行くためのバスに乗るために通過するのみ、マドリードと直に向き合ったのはずうっと後だった。いざ行って見ると、マドリードの街は写真に撮りたいものばかり、例えば、店のショーウインドーひとつにしても、人目を引くようなエキセントリックなオブジェで溢れていた。この街はなかなか面白い、そう思った。だが、その時の私は数日前にモロッコから帰ってきたばかりで、体調を崩していた。現地で食べたミートスパゲティに当たったらしく、お腹を壊して絶不調だった。正直言って、マドリードを楽しむどころか、タパスバーに行くこともできずホテルで過ごした。これではいくら何でも寂しすぎると思った私は、マドリード最後の日にホテルの真向かいにあるタパスバーに駆け込んだ。カウンターで持ち帰りはできるかと尋ねると、店員がもちろんと答える。とりあえず、数種類のタバスとビールを注文し、紙袋に入れて貰って持ち帰った。大きな声では言えないが、その時の私は店で食べる勇気がなかった、と言うか、体調がそれを許さなかったのだ。ホテルの部屋なら安心して食べられた。それが文字通り、マドリードでの最後の晩餐となった。やはりタパスは美味しかったのを覚えている。

 さて、列車の出発時間の1時間前の6時ごろに駅に行ったが、まだ改札口に誰も並んではいなかった。椅子に座って待つのに退屈した私は、構内をウロウロと見て歩いた。ふと見ると、5年前にはなかった小さなバルがあって、テーブルと椅子が置かれ、そこで食事ができるようになってはいるがお客はいない。隣にはお菓子やパンを売る小さな売店もあって、店主と思われるおじさんが忙しそうにショーケースにパンを並べていた。ふとその男性の横顔を見たら、なんと5年前も駅で見かけたことがあるのを思い出した。

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