人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

焼きそばの後のかき氷

今週のお題「冷たい食べ物」

かき氷は姉との思い出

 今、ちょうど朝の散歩から帰って来たところで、まだ6時半だと言うのに炎天下さながらに気温は上昇している。いつの間にか、着ている服がビショビショになっている。着替えた後、あろうことか、冷凍庫を開けて、かき氷アイスの、練乳宇治金時を取り出して、食べた。普段の私なら、朝からアイスとは、何たることかと歎いただろうが、今日は、「こんな時は、アイスしかないでしょう」と納得していた。無理もない、こんな暑さに打ち勝つことができるのはもはや氷しかないのだから。当然、脳天まで突き刺さるようなアイスを食べた後は、いつもの空腹はなりを潜め、食欲がムクムクと沸き上がる出番などなかった。寝ぼけ眼を何とかしようと、インスタントコーヒー入りの牛乳を飲んで、自分を追い込み、このブログに取り掛かっているところだ。

 かき氷というと、子供の頃はよく食べたが、大人になって、東京に出てきた途端に縁が無くなった。それはつまり、かき氷を食べる機会が滅多になく、日常的に気軽にかき氷を食べられる状況に無かったからだ。それでも、今思うと、別にかき氷を食べなくても、忘れていたとしても、別に恋しく思わなかっただけのことだ。今現在も、テレビでかき氷を食べている映像が流れる度に、懐かしく思い、食べてみたいと言う気持ちになるにはなるが、いかんせん、実行には至らない。それには理由があって、自分の身の回りにすぐに行ける店がないことと、かき氷が天文学的に高い、高級品に成り果ててしまったことだ。かき氷1杯、何と1200円以上もすることに恐れをなして、試しに今度食べてみようかという気にさえならない。もちろん、子供の頃食べたかき氷はガリがリ、シャリシャリした触感で、昨今のかき氷とは一線を画す品質なのかもしれない。話に効くところによると、口の中に入れるとふわっとして、すぐに溶けて消えてしまうというかき氷だが、百聞は一見に如かずだ。一度くらいは味わってみたいとは思っているが、未だその貴重な機会は訪れない。台湾にでも旅行で行ったなら、きっとどうにかなると思っていた。だが、空港でも、鉄道の主要駅でも、日本ならあるあるのその手の店は見つからなかった。そうなると、もういいやと自棄になり、いや、それほど深刻なものでもないが、忘れてたまま、気にすることもなくこれまで生きて来た。

 そう言えば、昨年のお盆の時、実家の義姉のミチコさんに、「かき氷のおいしいおみせがあるんだけど、そこに行ってみる?」と聞かれたことがあった。二つ返事で賛成したつもりだが、結局、お寿司だの、うなぎだのと言った魅力的な誘いにかき消され、かき氷の「か」の字も出なかった。かき氷は子どもの頃の原風景のようなもので、そこの店は、田舎のお世辞にも綺麗ではない小さな店だったが、とても繁盛していた。いつ行っても混んでいて、人々の活気に溢れていた。その店の売りは焼きそばとかき氷で、店頭でおばさんが汗びっしょりになりながら、焼きそばを焼き続けていた。おばさんがヤキソバを焼いても焼いても、ひっきりなしに注文が入るものだから、休むヒマもないようだった。それでもおばさんは笑顔でヤキソバを焼き続けた。

 あの頃、アツアツのヤキソバを食べた後、冷た~いかき氷を食べるのが大好きだった。こう書くと、その店が実家の近所にあったかのように誤解されるだろうが、そこは子どもの足で歩いて30分はかかる遠い場所だった。それでも、そこは小さな村に住んでいる私には今でいう“都会”のようなところで、胸が高鳴るのを抑えられなかった。年が10歳以上も離れた姉は、定期的にそこにある美容院に通っていた。自転車に乗せてもらい、パーマをかけるのについて行くと、帰りは必ずその店に入ってかき氷を食べた。かき氷というお楽しみがあったからこそ、パーマをかけている姉を美容院で延々と待ち続けられたのだ。それにしても、パーマというのはなぜあんなに時間がかかるのだろうか。

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