人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

立ち話

 

なぜそんなに立ち話が好きなの?

 先日の朝日新聞に載っていた4コマ漫画『ののちゃん』のネタは立ち話だった。ののちゃんの母であるまつこさんが、娘がもうすぐ帰ってくる頃なのに、遅いなあと玄関でそわそわしている。なかなか帰ってこないので、玄関を開けて外に出てみると、そこに近所の友だちと3人で立ち話をしているののちゃんを見つける。どうして立ち話なんか、上がればいいのにと困惑するマツコさんをしり目に、「上がりこむのもおじゃまだから」などと、何処かで聞いたような常套句を並べる始末。それならお言葉に甘えてと玄関に入ったものの、今度は3人であがりはなに腰かけて、おしゃべりの続きをし始めた。それを見ていたおばあさんが、「オバハンくさっ」と鋭い指摘を浴びせて落ちが付いた。

 このマンガから想像すると、どうやら立ち話は「オバハンくさい」ものらしい。考えてみると、日常生活において、立ち話が大好きなのは女性で、それも中年女性だと言っても過言ではない。ただ、例外もあって、中年でなくても、ママ友となるとぐっと年齢が下がる。言うまでもなく、立ち話というのはどこでもできる。その場所が公共の場の道の真ん中であろうと、スーパーの中であろうと所かまわず、OKなのだ。それに立ち話というのは一度始まったら終わりが見えない。いつ終わるかと呆れながら聞いていると、と言っても聞き耳を立てているわけではないが、延々と続く。そうだ、忘れていた、コロナ禍にあっては、スーパーでも「おしゃべりはお控えください」とのメッセージを店内放送で流していた。だが、現在ではとんと耳にしなくなった。

 だからと言って、立ち話が解禁になったわけではないが、スーパーは立ち話にはもってこいの場所になった。その話題で最も熱が入るのが、子どもの進路のこと、いわゆる受験の話で、よくよく聞いてみると、自分の子供の自慢話であることが多い。それを聞かされる相手の方も「羨ましいわ。いいわねえ」と言いながらも負けてはいない。なので大いに話は盛り上がり、話を終えるきっかけがつかめない。

 何も立ち話が迷惑だとか、やめて欲しいと言いたいわけではさらさらないが、道の真ん中で自転車を止めての立ち話はどうかと思う。世の母親たちは忙しい、忙しいからいつも自転車を漕いでいる。とろくさくて、歩いてなどいられないのである。なので、偶然ママ友同士が出会い、自転車を止めて、立ち話を始めたら、もう手が付けられない。彼女たちは偶然から生まれる、絶好の情報交換の機会を逃すはずなどない。そうなると、そこはもう彼女たちの世界で、気を使いながら避けて通っているこちらのことなど気にする様子もない。

 実はちょうど誰かとおしゃべりしたかったのと言わんばかりの勢いで話に熱中している。そこには「こんなところで何だから、何処かでお茶でも・・・」などという発想は微塵もないのである。要するに、何処か別の場所に行ってまでして、する話もないし、また相手もそうまでする存在でもないのだ。ただの知り合い、ただのママ友なのだから、適当にあしらっておけばいいのだ。二人で少しの間の立ち話なら、何の問題もないが、自転車が2台となると、大いに場所を取るので、何とかしてもらいたいのが正直な気持ちだ。

 立ち話で最近、いや、もうずうっと前から気になる光景がある。それは駅前にある有名私立の付属高校のことで、下校時間になると、校門前が大勢の生徒で溢れんばかりになる。そこで、彼らは何をしているのかというと、ただ友達同士でおしゃべりをしたり、アイスを食べたりして寛いでいる様子。なぜ、彼らはすぐに家に帰らないのか、そのことがとても気になった。気にはなってはいるが、まさか新聞や雑誌の記者のように取材と称して、その辺のところを聞いてみるわけにもいかない。それに、別に周りに迷惑をかけているわけでもなく、騒音を撒き散らしているわけでもないので、余計に気になるのだ。

mikonacolon