人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

突然テレビが消えたら

訪れたのは、静かすぎる時間

 朝日新聞の投稿コーナー『ひととき』に「テレビが消えたら」というタイトルを見つけて目を留めた。何と夫婦で楽しんでいた相撲中継の途中でプツリと映像が消えたというのだ。何とも、残念で、信じたくないような事態だが、それでも現実なのだから、諦めざる得ない。おそらく毎度毎度の食事もテレビを見ながら食べていたに違いない。そうなると、音が何もないので、落ち着かずただ黙々と食べるのみだ。時間を持て余したが、その時ふと気づいた、外から聞こえてくる音にである。小学生がキャアキャアと楽しそうに友達と話しながら登校している。保育園に子供を送っていく自転車のブレーキ音も聞こえるし、普段は聞こえない車のエンジンの音もやたらと響く。洗濯機が終了を知らせるピイッ、ピイッと言う音もはっきり聞こえる。これらすべて、今まではテレビの音にかき消されて、聞こえなかった。

 それに、久しぶりに空を眺めたら、こんなに綺麗だったかとびっくりするくらい空が青かった。こんな思いはテレビの音がBGMのように流れている生活では知る由もなかったことだった。とても新鮮で、貴重な経験だったらしい。結局は、そんな素晴らしい?生活も5日で終わりを告げた。要するに、少しくらいの間ならまだしも、これからずうっと続くであろう静寂には耐えられず、新しいテレビを買ったのだ。さすがに、数日前に書いたブログの話のように、「壊れたならそのままでいい」と言う見解には至らなかった。テレビが壊れたなら、ちょうどいい、テレビがなくても大丈夫だろうという発想にはどうしても繋がらなかった。

 偏見を覚悟で言えば、この投稿の主は76歳の高齢女性で、テレビが友だちとはいささか心配になってしまう。今の世の中、テレビがなくても、パソコンやスマホの動画サービスもあるし、たいして困りはしない。映画やドラマを見るだけならテレビがなくても十分暮らしていける。ただ、すぐに見られる、お金をかけなくてもいい娯楽は唯一テレビだと言うことも確かだ。例えば、韓国ドラマや中国ドラマにしても、好きなだけ動画サービスで見られるとしても、一話でいくらの時代で、最後まで見るにはそれなりにお金がかかる。それを思うと、いくらCMが長いと不満を言っていても、無料で見られると言うことはとてもありがたいことなのだ。

 実を言うと、昔は私も家に帰ると、すぐにテレビをつけていた。ひとりの部屋に帰って来ると、なんだか無性に音が欲しくなった。まっさらな静寂が不気味に思えて来て、耐えられなかったからだ。テレビの音が流れてくると、安心したような気分になれたのはどうしてなのだろうか。現在はと言うと、テレビの音が、特にCMや番組でのとんちんかんなお笑い芸人の発言が煩くて堪らない。そう、今の私にとって、見たくもないし、聞きたくもないCMや番組はすべて騒音以外の何ものでもない。なので、テレビはライブではまともに見ることはせず、録画して後でゆっくり楽しむことにしている。良さそうに思えるドラマや好奇心をそそらずにはいられない番組だけを見ている。

 おそらく、投稿の主の女性のように、私もテレビが壊れたら、新しい物をすぐに買いに行くだろう。本当なら修理して使いたいのだが、そんなことは今の世の中が許してくれそうもない。ただ、朝からテレビつけっぱなしで、BGM代わり、もちろん食事の時のお供にもというのはやりすぎではないか。新聞でもよく話題になることだが、高齢者はテレビばかり見ているとボケやすいと言われている。なぜテレビばかり見るかというと、そこにテレビがあるからで、何も考えなくていいから楽だからだ。それで満足できるならいいのか悪いのかわからないが、私などはつまらなくなり最後には飽きて来る。好奇心に水を差すのは、何と言っても大音量のボリュームのCMで、あれでたちまち嫌気がさしてしまうのだ。テレビは煩いとばかりに、敬遠していたら、いつの間にかテレビの音がなくても平気になった。

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