人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

無料のチケットと宝塚

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舞台の目の前で居眠りを

 以前知人にお芝居のチケットを貰って見に行ったことがあります。その日ちょうど用があってどうしても行けないとかで、偶然にも私に回ってきました。普通なら断るのですが、劇場がちょうど駅のそばにあって便利なので行くことにしました。お芝居の題名は忘れましたが、原作が遠藤周作ハンセン病の療養所が舞台のミュージカルでした。たしか青年座という劇団が主な出演者で、特別ゲストとして元宝塚の女優さんも何人か出演していました。

 題名どおり暗い話なので客席も静まり返っています。私は前から3列目で結構いい席なのですが、ふと前の方を見るとなんと大半が居眠りをしているのです。それで、もしかしたらこの人達は自分でチケットを買ったのではなくて、招待券をもらってきているのではと思ったんです。確かに笑える話ではないので興味がなければ退屈で眠くなるのもわかります。でも舞台の目の前の席なのですから、出演者の方たちにあまりにも失礼な、というかマナーがなっていないのではないでしょうか。

演奏者に帰れコールを

 失礼な話と言えばうちの姪から聞いたのですが、大学の記念講堂でコンサートがあって著名なピアニストの演奏を聴く機会があったそうです。学校側は教育のプログラムとして生徒に素晴らしい演奏を聞いてもらおうと企画しました。有名な外国人ピアニストがわざわざ学校に来てくれたので姪はワクワクしていました。ところがコンサートが始まると、ちょっとしたトラブルがあったそうで、一部の生徒が帰れコールを始めました。そしたら、ピアニストは怒って帰ってしまったのだそうです。せっかくの機会を失ってしまったし、あんな失礼なことをするなんてひどすぎると怒りが収まりません。

聞いているのが辛くて

 さて、話をハンセン病の劇に戻すと、出演していた青年座というのはまだ俳優の卵みたいな人達ではないかと思うのです。なぜかと言うと、俳優が歌をソロで歌っているときにあまりにも苦しそうだからです。声量がないのに、無理やり声を張り上げようとするので苦しくなってしまうのです。これからもミュージカルをやるつもりなら歌の発声法を一から勉強する必要があると思います。一生懸命やっているのはわかりますが、聞いている方としては気の毒で仕方ないのです。つまり心が痛くて、疲れるのです。安心して見ていられないのです。

 そして、場面が変わって、元宝塚という女優さんが登場するとその声量と歌のうまさの差は誰が見ても明らかなのです。さすがに宝塚は普通の人とは違うのだといまさらながら気づかせてくれます。友達の妹が宝塚劇場に勤めているので、時々タカラジェンヌの噂話を聞くことがあります。宝塚は給料は決して高くないけど、ファンが彼女たちにマンションや車をプレゼントしてくれるので生活の心配はないのだとか。「あなたはそんなところに住んでいてはダメよ」と世話を焼いてくれ、ふさわしい場所を提供してくれるのだそうです。

 人から貰ったチケットで行ったお芝居は素直に、「素晴らしかった、楽しかった」とは思えませんでした。でも何といってもタダなのですから文句は言えません。

 

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鯖缶と父との思い出

今週のお題「大切な人へ」

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ご飯のおかずは缶詰?

 私の大切な人は何といっても父親です。私は中学に入ったばかりで母親を亡くしました。母は私が小学校の頃から入院していたのですが、家に帰ってきてすぐに亡くなりました。それからというもの父はそれまでやったことのない家事をやらざるを得なくなりました。ごはんは炊飯器が炊いてくれるので問題ありませんが、おかずが作れないのでとりあえず缶詰を山のように買い込んできました。はっきりとは覚えていませんが、カツオフレークをご飯にかけて食べていた時期があったみたいです。それって猫まんまみたいなものですが、今考えるとおかしくてたまらないです。たぶん毎日のように、鯖缶とかイワシのかば焼きの缶詰とかを飽きるまで食べていたんです。缶詰が山のようにあるのを見た記憶が頭のどこかに残っているのです。缶詰って普通は非常食ですが、あの頃の我が家では日常のものでした。

 いくらなんでもずうっとおかずが缶詰というわけにもいかなくなって、父は自己流で料理を始めました。たぶん簡単な料理からで卵焼きとか作っていたようです。高校の時にはお弁当も作っていたのですが、期待できるわけもなく、毎日ワンパターンのおかずでした。例えば、卵焼きとハンバーグでハンバーグは焼くだけで簡単なマルシンハンバーグでした。袋から出すとすでに油が付いているのでフライパンに入れるだけでOKです。

ビニールが付いたままのハムが...

 ある日、昼休みにお弁当の蓋を開けると、ハムがビニールが付いたまま輪切りにされて入っているではありませんか。父が朝時間がなくて慌ててビニールを取るの忘れたみたいです。「これは誰かに見られたらまずい」と思い、とっさに蓋を閉めました。それから近くにいる友達に気づかれないようにビニールをはがし、笑顔で弁当を無事食べ終えました。あの時は本当に困ったので、忘れられない思い出になりました。あの日家に帰ってから父に文句を言った記憶はありません。それ以来私も少しづつ料理をするようになったんです。料理本を買うようになり、いろんなレシピを試して失敗もいっぱいしました。あの頃は晩御飯をたまに作るのが本当に楽しかった。

父に頼りっぱなしだった私

 中学の時は忘れ物をすると、いつも父が学校に持ってきてくれました。ある時などは家庭科でスカートを作るのに生地とかいろいろ用意しなければなりませんでした。その時もなぜか父が届けてくれて授業に間に合って助かったんです。

 私が不注意で火傷をしてしまった時も、「痛い、痛い」と私は泣くばかりだったんです。そしたら父が夜遅くにも関わらず薬局で薬を買ってきてくれました。田舎なので薬局はもう閉まっていたのですが、たたき起こして開けてもらったそうです。私は父が50歳の時の子供なので、可愛がってもらえたのだと皆が言います。そんな父は今は天国から私を見ていてくれます。

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自転車に乗った野球部の彼

 

今週のお題「大切な人へ」

 

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なぜ私の方を見るの?

 あれは、確か中学生の頃の話で私は教室の窓際の席に座っていたのです。その時は授業中でふと外を見ると、誰かがこちらを見て笑っていたのです。それは向かいにある別のクラスの教室からで、中庭を隔てて教室が向かい合っているのです。笑顔の主は運動神経がよくて顔もまあまあだけど、ちょっと頭に問題がある男子でした。でも女子にも結構人気があって性格は悪くはありません。その男子が毎日のように私の方を見るので、気になって鬱陶しくて仕方ありません。たまらずある時文句を言いに行くと、「お前のことを見ているわけではない」と反対に怒るのです。「とにかくもう見るのはやめてよ、迷惑だから」と言ったものの、誰を見てるかまでは聞きませんでした。

 ところが、あくる日からまた始まったので、隣の席に座っている友達に「あれほど文句を言ってやったのにまた見てくるよ。どうしよう」と打ち明けました。そしたら、友達が恥ずかしそうに「私とテル(その男子の名前)は付き合ってるの」と言うではありませんか。その言葉でやっと状況が呑み込めました。二人は授業中に密かに見つめ合っていたのです。テルが見ていたのは私ではなく隣にいる友達だったんです。それにしても、知らなかった、ふたりがそんなことになっているなんて。「早く言ってよ、迷惑だったんだから」と友達にさんざん文句を言ってもニコニコするばかりで話になりません。

野球部の彼にマフラーを

 そのころよく読んでいた雑誌にバレンタイン特集が載っていて、そのページに「手編みのマフラーを彼に贈ろう」という記事がありました。友達はもちろんテルのために、私も片思いの彼に手編みのマフラーを編もうと決めたのです。私の片思いの彼は誰もが認めるイケメンでまつげが長い美男子でとってもカッコいいんです。野球部のエースでいつも自転車に乗って学校に通っていました。いつも遠くから眺めていただけで、ゆっくり話をしたこともないのに、好きだなんて信じられませんよね。同じクラスになったときは、彼の美しい横顔を見つめていたことを覚えています。

 私と友達は放送委員でお昼休みになると、放送室に行って昼の放送のために音楽をかけるのが仕事でした。給食を食べながら自分たちの好きな音楽をかけていい時代でした。そのころ流行っていたポール・モーリアの「オリーブの首飾り」や「エーゲ海の真珠」などをかけながら、マフラーの進み具合の話をしました。2月14日までに何とか仕上げようというモチベーションが強くて、毎日遅くまで編み物をしていました。編み物をするのは初めてなので、なかなかきれいに編めなかったでしょうに。

友達の一言に動揺して

 さて、バレンタインデーの当日、友達はテルにマフラーをちゃんと渡しました。でも私は結局渡せなかったんです。彼にマフラーを渡す気満々だったのに、友達が「やめといたほうがいいよ、どうなるか考えてみなよ」と言ったのです。友達のその一言で、私は我に返り、今まで自分の気持ちだけで突っ走ってきたことに気が付いたんです。考えてみれば、彼女でもない子に手編みのマフラーを貰っても困りますよねぇ。渡さなくて正解だったのだと思います。あれから何年か経って、同窓会で会うこともありましたが、そのころはもうさすがに恋心は消えていました。

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ロシア旅行のほろ苦い思い出

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▲モスクワの地下鉄コムソモーリスカヤ駅

親友と一緒には旅行に行かない方がいい

 「親友と一緒には旅行に行かないほうがいい、友情を壊したくなければ..」ということを何かの本で読んだことがありました。特に日本と環境が違う海外には行かないほうが賢明だというのです。便利で何もかも至れり尽くせりの日本にいるからこそ友情は続くのだそうです。確かその本に書かれていたのは、真冬のパリに旅行に行き、暖房の行き届かないホテルに泊まってしまった親友同士の悲劇でした。お互いに責任を押し付け合って、相手を思いやることもできずに結局はけんか別れしてしまったのです。その時はそんな話は他人事だと思っていたのですが、今度は自分が身をもって体験することになりました。

 

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▲コムソモーリスカヤ駅の内部

日本との違いが理解してもらえない

 親友は普段から車の生活なので歩くのがあまり好きではありません。それで旅行があまり好きではないので彼女とは海外旅行に行ったことがないのです。そんな彼女が私が出したモスクワの地下鉄の絵葉書に感激しました。宮殿のような地下鉄の内部をぜひ見てみたいというのです。ロシアに行きたいから連れて行ってと言われてとてもうれしくなりました。気心も知れた彼女となら楽しい旅になるだろうとワクワクしていました。

 最初のすれ違いが起きたのはモスクワのホテルでのことでした。私たちが行ったのは6月で中途半端な季節でもあり、シャワーのお湯があまり出なかった時期でした。海外旅行の経験が豊富な方なら、”郷に入っては郷に従え”と割り切れるはずです。ですが日本での生活が当たり前の彼女にわかるはずもないので、「こんなぬるいお湯ではシャワーはできない」と怒りました。さらに「すぐにフロントにいって何とかしてもらって」と命令しました。ものすごい剣幕なので何も言えず従うしかありませんでした。

こんな朝食では食べられない

 次のすれ違いはホテルの朝食のときでした。外国のホテルの朝食というのはどこでもたいして変わりはありません。ふつうはパンとコーヒーぐらいで、あとはハムやサーモン、果物があれ上等といえます。日本のホテルのビュッフェ形式のようなすばらしい食事を期待することはできません。なのに彼女はそれを外国に来ても要求したのです。「私がいつも食べているのはもっとちゃんとした食事なのよ、こんな朝食では食べられない」と文句を言って機嫌が悪くなってしまったのです。確かに彼女の言い分はもっともですが、ここは日本ではないので切り替えるしかないのです。

言うことを聞かなくて困った

 サンクトペテルブルクでもすれ違いは起こりました。自分自身が磁石のように方角が分かるらしい彼女は、街を散策中にも私の指示には従ってはくれませんでした。方角に絶対的な自信を持っている彼女は地図を広げて説明しても納得してくれません。これには本当に困ってしまって、挙句の果てに道に迷ってしまいました。そして、運河のほとりで転んで膝を擦りむいてしまった時も、心配してくれるわけでもなく気づかないようでした。この旅行中ずうっと彼女と一緒に来たことを後悔していました。時には夜ベッドで涙が止まらなかったこともありました。楽しいはずの旅行が悪夢になってしまって、その後はケンカ別れです、それも私から一方的に。

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サグラダ・ファミリアと苦い旅の思い出

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期待しすぎて感動イマイチで

 先日の夕刊に『こんなはずでは...ほろ苦い旅の思い出』というコーナーがありました。その中の(旅が好き)さんの投稿で「サグラダ・ファミリアを下調べしすぎたら、やっと会えたのに感動はイマイチ」との感想、その気持ちよ~くわかります。私もそう感じてしまったひとりですから。サグラダ・ファミリアのことを初めて知ったのはあの有名なネスカフェのCMを見たときです。ダバァダァ~という音楽の後で『違いのわかる男〇〇〇〇』と人の名前が続きます。このCMで初めて日本人彫刻家の外尾悦郎氏を知った方も多いそうです。CM というのは何度も見ていると頭の中に知らないうちにその映像が刷り込まれていくようです。何年も過ぎて忘れてしまったはずなのに、当時のイメージというのはまだ残っているものなのです。

 だからスペインに行こうと思った時にバルセロナに行ってサグラダ・ファミリアを見なきゃとなるのです。調べてみると、いつも混んでいてチケットが取れないらしいのです。実際は混んでいるのは夏休みシーズンだけなのですが。インターネットでチケットを予約して買っておくのが一番だとかで2日間もチケットを買っていきました。1日では足りないのでは、つまりまた見たくなって後悔するのではと思ったからです。

サグラダ・ファミリアはビルに隠れて

 カタルーニャ広場に近くのホテルに泊まり、どこにでも歩いて行って見学しました。それで散歩がてら、サグラダ・ファミリアにも行くことにしたのですが、なかなかたどり着けませんでした。地図も持っていて道はわかっているので、遠くからでもすぐにわかると思っていました。誤解のないように言っておきますが、周りに高層ビルがあるわけではなくどこにでもあるような建物が立っているだけです。でもサグラダ・ファミリアはビルに隠れてしまって、目の前に行くまであの壮大な姿は見えませんでした。そして道はまっすぐなのに交差点の植え込みに惑わされて、まっすぐ進めず迷子になりました。スペイン語は始めたばかりで自信がないので、そばにあったホテルに飛び込んで助けてもらいました。ホテルなら英語ができる人が必ずいますから安心です。もっと高い建物だと勝手に思っていたサグラダ・ファミリアは意外に”小柄”でした。尖塔が天まで届くかのように見えたのですが、それは私の勝手な思い込みでした。さらに中に入って天井を見上げると、どこかで見たような、そう写真でみたとおりの美しさでした。そんなわけで、先入観がないほうが何でも新鮮に感じられるので、下調べもほどほどにしたほうがいいようです。

ピカソのスパゲッティは最高

 サグラダ・ファミリアの近くにはたくさんのレストランがあります。サグラダファミリアの姿を心ゆくまで楽しもうとテラス席に座りました。そこからは建物がよく見えてそろそろライトアップが始まる頃です。そこがレストラン「ピカソ」で、店の中にもお客さんがいっぱいでメニューも豊富です。コーラとスパゲッティを頼んだらパンコ・デ・トマトが付いてきました。初めて食べたのですが、おいしくて病みつきになってしまいました。薄く切ったフランスパンにトマトをこすりつけた後、オリーブオイルをかけてフライパンで焼いただけのシンプルな料理です。もちろんスパゲッティもおいしくて、1年後にスペインに来た時も食べに行きました。

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朝日新聞のモニターに応募する

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朝日新聞の紙面モニター募集の画面

回答一回につき1500円分の図書券が貰える

 いつものように朝日新聞を読んでいたら、読者の方が意見を寄せる「声」欄というページで「モニター募集」というお知らせを見つけました。モニターなんて新聞をまじめに読んでいて自分の意見が言える人がやることだとずうっと思っていました。ですが2週間に1回アンケートに答えるだけで1500円分の図書券が貰えるなら、頑張ってやってみようと思いました。もちろん記述式のアンケートですので、これまでのように記事をサラッと読むだけでは意見が書けません。モニターの任期は半年ですべてのアンケートに答えると任期後に18000円分の図書券が貰えるそうです。

 早速、朝日新聞のモニター募集の画面を開いて見ると、記事の良い点、悪い点、疑問点、要望などの読者の意見が欲しいとのことです。つまり記事の感想ではなくて、批評に近いようなことを書かなければならないようです。それで、ちょっと待って、そんなこと私にできるのかとまた躊躇してしまったのです。でも、モニターの方のイランをめぐる報道についての意見がちょうど載っていたので、どう書けばいいのか参考になりました。キーワードとしては、「~をじっくり分析してほしい」とか「~な記事が読みたい」、「~がよく説明されていた」、「~がわからない」、「~の解説をのせて欲しい」などがあげられます。

 

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朝日新聞デジタルのトップページ

 

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▲トップページ画面右上にある新規登録のタグ

デジタル会員の登録が必要

 紙面モニターの応募にはIDとパスワードが必要なので、デジタル会員にならないといけないのです。でも有料でも無料でもどちらでも構わないので、登録にお金はかかりません。上の写真にある新規登録のタグをクリックして画面が出たら、左下にあるグリーンの『無料登録はこちら』を選んで必要事項を記入するだけです。そして画面の順序通りに進んでID(ここではメールアドレス)を設定します。そのメールアドレスを送信すると、自分のメールアドレスにメールが届きます。自分のIDが登録されたことが確認されますがまだ登録は終わっていません。再度トップページに戻って今度はパスワードの設定をしたら、ID、パスワード共に登録完了です。

アンケートは300字以内で書く 

 これでやっと最初の写真の「朝日新聞紙面モニター 300人募集」の画面に進めます。「次へ」をクリックしてID,パスワードでログインし、アンケート記入画面に進みます。住所、氏名などの必要事項を記入したら一番最後に、細長い四角があって、そこに300字以内で書くようになっています。最近読んだ記事の中から選んで自由に書いていいというものです。それで、次ページにあった「コラムニストの眼」という記事で見出しは米国で増える『絶望死』について書くことにしました。今の社会は能力があってもいい職を得る機会さえもない格差社会で、それに関して同情どころか、自業自得とまで言われるのです。アカデミー賞を取ったポン・ジュノ監督の「パラサイト、半地下の家族」を是非とも見たくなりました。

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So-netから請求がきてKDDIに

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So-net の利用明細書を印刷するページ

プロバイダー料金が口座振替されて

 今日銀行にお金をおろしに行ったら、通帳を見てKDDI の料金¥21,670が落とされているのに気づいて「ええ~」と思ってしまいました。去年の11月にNTTに切りかえたばかりだったからです。AUからNTTに切り替えた顛末は以前にも書いたのでここでは省きます。12月はKDDIを利用していないのに請求が来るのはおかしいです。AUからNTTに切り替えるように言ってきた会社のブロードサポートに問い合わせると、「うちはNTTだからKDDIに電話して」とつれない返事です。私の言い方が要領が悪くて相手に伝わっていないようです。

KDDIに文句をいうのは筋が違う

 KDDIに電話して料金の明細を聞いてみるとSo-netの解約金と11月分の料金だというのです。こちらはNTTの1月分はもう請求書が来てコンビニで支払ったばかりなのです。それで「まだ支払わなければならないのですか、費用はかからないと最初に言ったではないですか」と怒りをぶちまけました。お宅の会社の人が無理やりNTT[に変えさせたのにひどすぎると非難すると、「うちの会社の者がNTTに変えさせることは絶対ありません」というのです。さらに、「何でAUからNTTに変える必要があるのですか、変えなくていいのですよ」と言われて、騙されたのだとわかりました。冷静に考えてみたら、やはりNTT側の人間がやることなのではないかと気づくべきなのにできませんでした。どうもNTTの代理店と名乗るブロードサポートという会社の話に乗ってしまったのがそもそもの間違いだったのです。

解約料金は5か月後にキャッシュバック?

 いろんなことを考えるのはやめにして、とりあえずSo-netの料金を何とかしなければと再度ブロードサポートに電話しました。プロバイダー料金の¥21,670がすでに口座振替されてしまっているけど、これは返金してもらえるのか聞いてみました。料金の明細はあるのかと聞かれましたが、銀行の通帳に記載されているだけで他にはありません。明細がないと返金できないのでSo-netに電話して送ってもらうように言われ、その明細をFAXして会社に届いたら手続きしてくれるそうなのです。しかも明細をFAXするのは工事から5か月後の5月1日以降と言うのですよ。そんな先では気を付けないと忘れてしまうではないですか。一切無料って、キャッシュバックってそういうことだったのかと呆れてしまいますが諦めることにします。そういえば、「明細書はなかなか発行してもらえませんよ。時間がかかりますよ」なんて言われましたが。

 

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▲明細書の発行の画面

明細書発行なら3000円かかる

 早速、So-netに電話してみましたが、なかなかつながりません。電話の案内では ネットでも利用明細書の申し込みができるというので調べてみました。以前送ってきた資料を取っておいてよかった。IDとパスワードが分かればマイページでログインして明細書を印刷できるのです。ちなみに明細書をSo-netから発行してもらうと3000円かかるそうで、考えるだけで疲れます。問い合わせというのはすぐには電話がつながらないので、本当に時間がかかるものですね。

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