人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

鯖缶と父との思い出

今週のお題「大切な人へ」

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ご飯のおかずは缶詰?

 私の大切な人は何といっても父親です。私は中学に入ったばかりで母親を亡くしました。母は私が小学校の頃から入院していたのですが、家に帰ってきてすぐに亡くなりました。それからというもの父はそれまでやったことのない家事をやらざるを得なくなりました。ごはんは炊飯器が炊いてくれるので問題ありませんが、おかずが作れないのでとりあえず缶詰を山のように買い込んできました。はっきりとは覚えていませんが、カツオフレークをご飯にかけて食べていた時期があったみたいです。それって猫まんまみたいなものですが、今考えるとおかしくてたまらないです。たぶん毎日のように、鯖缶とかイワシのかば焼きの缶詰とかを飽きるまで食べていたんです。缶詰が山のようにあるのを見た記憶が頭のどこかに残っているのです。缶詰って普通は非常食ですが、あの頃の我が家では日常のものでした。

 いくらなんでもずうっとおかずが缶詰というわけにもいかなくなって、父は自己流で料理を始めました。たぶん簡単な料理からで卵焼きとか作っていたようです。高校の時にはお弁当も作っていたのですが、期待できるわけもなく、毎日ワンパターンのおかずでした。例えば、卵焼きとハンバーグでハンバーグは焼くだけで簡単なマルシンハンバーグでした。袋から出すとすでに油が付いているのでフライパンに入れるだけでOKです。

ビニールが付いたままのハムが...

 ある日、昼休みにお弁当の蓋を開けると、ハムがビニールが付いたまま輪切りにされて入っているではありませんか。父が朝時間がなくて慌ててビニールを取るの忘れたみたいです。「これは誰かに見られたらまずい」と思い、とっさに蓋を閉めました。それから近くにいる友達に気づかれないようにビニールをはがし、笑顔で弁当を無事食べ終えました。あの時は本当に困ったので、忘れられない思い出になりました。あの日家に帰ってから父に文句を言った記憶はありません。それ以来私も少しづつ料理をするようになったんです。料理本を買うようになり、いろんなレシピを試して失敗もいっぱいしました。あの頃は晩御飯をたまに作るのが本当に楽しかった。

父に頼りっぱなしだった私

 中学の時は忘れ物をすると、いつも父が学校に持ってきてくれました。ある時などは家庭科でスカートを作るのに生地とかいろいろ用意しなければなりませんでした。その時もなぜか父が届けてくれて授業に間に合って助かったんです。

 私が不注意で火傷をしてしまった時も、「痛い、痛い」と私は泣くばかりだったんです。そしたら父が夜遅くにも関わらず薬局で薬を買ってきてくれました。田舎なので薬局はもう閉まっていたのですが、たたき起こして開けてもらったそうです。私は父が50歳の時の子供なので、可愛がってもらえたのだと皆が言います。そんな父は今は天国から私を見ていてくれます。

mikonacolon