人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

何処か遠くへに行きたい

だが、行きたい場所が見つからない

 私はいつも自分が不機嫌になると、すぐにその理由を見つけようとする。なぜ笑えないのか、なぜこんなにも嫌な気持ちに支配されなければならないのかを考える。自分の感情に向き合い、自分の心の中を総点検することによって、その原因を突き止める。自分の考え方を変えることや、物の見方の視点を変えることで、何とか解決できることもあるが、どうしようもないこともある。考えてもどうにもならないことを考えるのは時間の無駄である。

 それはさておき、私は今とてもモヤモヤし、心の中に嵐が吹き荒れて、身動きが取れない状態だ。4月の声を聞いて、ソワソワしだし、4月の終りともなった今はでは頭の中はそのことでいっぱいになった。そのこととは今年の海外旅行をどうしようかということで、つまり、何処へ行くか行き先が決まらないで悩んでいる。はっきりしているのは、何処へも行かないと言う選択肢はあり得ないということだけだ。もしもどこにも行かなかったら、後悔するに決まっているし、また無理矢理行っても後悔するのなら、それなら行った方がましという考え方だ。

 思えば、昨年のヨーロッパ旅行は今までで最低最悪だった。コロナ禍が終わってすぐの現地はまさに混乱状態で、こちらは「やっと行けた!」と感慨もひとしおだったが、現地はひどい傷を負ってまだ立ち直れてはいなかった。要するに、私はそんな世界の現実など考えも及ばず、自分勝手な思いで舞い上がっていただけだった。パリにしたって観光客で溢れていた頃とはうって変わって、空港から市内へ行くバスが減便されていたり、街中を巡るバスもあるにはあるが役に立たず、移動は地下鉄のみに限られた。一番ひどいのはホテルで、一泊5万円のホテルのサービスには頭をガーンとやられてしまった。正直言って、それなりのサービスを期待していたからこそ、椅子から転げ落ちるほどの衝撃を受けたのだ。それに、まさかトイレの水漏れに一晩中付き合わされるとは夢にも思わなかった。私の貴重な時間を返せ!と言いたいくらいなのに、そのトラブルさえも楽しんでしまったのだから、実におめでたい。今までの旅の経験から、どんなときでも面白がってしまう癖が付いてしまったようだ。 

 それに、「最低最悪だった」と書いたが、今まで露ほどもそんなことは思ったことはなかった。実を言うと、先日毎日聞いているNHKのラジオ英会話の中で、「私は今までホテルでそんなひどいサービスを受けたことはありませんでした」という英作文をした時、ふと去年のホテルでのことを思い出したのだ。それで、あの時の状態はそれに十分にふさわしいかなあと判断して、「最低最悪」と表現したまでのことだ。

 パリにはいつもそう期待してはいないからそれはそれで諦めがついたが、ホッとできるはずのサンセバスティアンのバルが消えてしまっていたのには呆然とした。もう私の至福を味わえる場所は無くなって、定番だったパリからスペインのルートは消滅した。もう行くべき目的がなくなって、これからどうしようとなった。それだけではない、日本にいる時、テレビのニュースで耳にタコができるほど聞かされていた「気候変動」という言葉の意味を身を持って体験した。サンセバスティアンでは今まで見たこともないほど海が荒れ、ウルメニ川も氾濫しそうなくらい水位が増していて、恐ろしかった。また、強風で歩くこともままならず、マドリッドに行く列車が運休にならないかとヤキモキした。あの時、私は世界はもう以前と同じではないのだと痛感した。

 さて、何処に行くかについてだが、発想を大きく飛躍させて、「死ぬまでに行きたい場所」のどれかに行こうと考えた。例えば、ボリビアのウユニ湖とか、ナスカの地上絵とか、マチュピチュとかのことで、歩いて30分の中規模書店に行って、ガイドブックを読み漁った。最初はワクワクして見ていたが、一転、「危険」の文字があまりにも多くて、その場で凍り付いた。「注意を怠らないように観光しましょう」のアドバイスに違和感を覚え、「それでも行きたいのなら行ってください」と言われているような気がした。要するに個人旅行は危険極まりないと言うことで、行くのなら団体で行くのが安全だと言いたいのだ。因みに新聞の海外旅行のツアーの日程を見てみると、8日間というのが普通で、費用は55万円からで、夏休みなどのピークは75万円以上になっている。ツアーで行ったことがない私には、8日間で55万円使うことに物凄く抵抗がある。ましてや、一人部屋だと10万円くらいは追加になるから、到底考えられない。

 

mikonakoron