人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

車の中で叔母の怒りが爆発

今週のお題「爆発」

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マドリードにあるアルムデーナ大聖堂地下礼拝堂。NHKまいにちスペイン語テキストから。

いつも冷静な叔母が息子を車の外に出して

 子供の頃よく叔母の家に遊びに行っていとこたちと過ごしていました。その日も叔母は私を家まで送ってくれようとして車を飛ばしていました。いつもなら助手席に私一人だけなのに、その日はいとこたちもついてきたのです。彼らは小学6年生の姉のサラと年子で弟のユウキの仲のいい姉弟でした。約1時間ほどのドライブは冗談を言い合ったりして楽しい時間になるはずでした。ところがこの日のユウキはやたらに悪ふざけをするのでした。姉のサラをくすぐったりして彼女が嫌がるのが面白いらしいのです。

 サラが「やめてよ」と嫌がってユウキを遮っても彼は何度も同じことを繰り返しました。私も内心煩くてたまらなかったのですが、姉弟の喧嘩はよくある事と気にしませんでした。すると堪らず叔母が「ユウキ、やめなさい」と怒りました。それでもユウキはいたずらっぽく笑うだけで一向にサラヘのいたずらをやめませんでした。すると突然、叔母が車を停めて、「ユウキ、外にでなさい」と言いました。ユウキが平気な顔をして黙ったままでいると無理矢理彼を車から出して、「少し反省しなさい」とドアを閉めてしまったのです。ふと見ると、ユウキは半分泣きそうになっています。大変なことになってしまったと内心思っていたら、あろうことか、叔母は車をゆっくりと発進させたのです。もちろん、ユウキの様子を見ながらハンドルを握っているのがわかりました。

 叔母はきっとユウキが車を一目散に追いかけて来るものとばかり思っていたのでしょう。でもユウキはその場から動こうとせず、車が自分から去っていくのを見送るだけでした。子供が追いかけて来ないとわかると叔母は慌てふためきました。すぐにユウキが突っ立たままになっている場所まで引き返しました。息子の姿を見てホッとしたのに「あんたって子は何を考えてるの?」とまた怒りが爆発しました。肝を冷やした叔母の気持ちなど知る由もなく、ユウキは「ごめんなさい」の一言も言いません。車で連れて帰ろうとしても、怒っているのかなかなか乗ろうとはしませんでした。ユウキは普段は素直に子供なのに、時々どうしようもなく強情になるのでした。

 その後、久しぶりにユウキに会ったとき、私としてはものすごく懐かしくて当時のままの気持ちで話しかけました。でも相手は私を昔のように親しい友としては受け入れてはくれませんでした。あの車で置き去りにされたときのことをひょっとして覚えているのかどうか尋ねてみました。残念ながら彼の記憶の底にはあの時の思い出は眠っていませんでした。第3者の私がどうなるのだろうかとどきどきした事件なのに当の本人は覚えていませんでした。あの時、叔母がユウキと対峙していた緊迫した場面で、私はニヤニヤ笑っていたとサラに言われてしまいました。本当はそうじゃないのにどうやら誤解されてしまったようです。私はただ親子のやり取りを見ていて、ハラハラして笑うしかなかったというのが事実です。

 いずれにしても、あのような事態は車の中だからこそ、十分に起こりえることです。普段の家の中なら別に何でもないことですが、車という狭い密室の中だからこそ耐えられないのです。いつも冷静な叔母の神経を子供が出した騒音は逆なでしました。それでもやはり子供を反省させるために車の外に出すのはやめた方がいいのではないでしょうか。あの時は子供の姿を確認できたからよかったのですが、一つ間違えば後で後悔することにもなりかねないからです。もしも子供が動いて勝手にどこかに行ってしまったら、自分の怒りなど一瞬で吹き飛んでしまうのですから。

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職場で怒りが爆発

今週のお題「爆発」

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マドリードにあるプラド美術館の西側正面。NHKまいにちスペイン語テキストから。

職場で怒りの爆発に遭遇して仰天

 日常生活で出会う「爆発」はたいていは人間の感情の爆発で、でも大抵の大人は爆発寸前のところで止まるものだと思っていました。かくいう私も子供の頃は後先考えず怒りを露わにしていましたが、大人になるとそうもいかなくなりました。グツグツと沸き上がって来る怒りをその場で爆発させていたら、後でえらく後悔することになるとわかって来たからです。怒りのままに振る舞ったら、ひどく面倒なことになるし、何より怒りを爆発させても何の解決にもならないのでした。だから、怒りを抑えることを覚えて、表情に出さないにように自分に言い聞かせていました。それでも表面上は大したことなどないように見えて内面では気にしているのでした。振り払っても振り払っても頭の中に浮かんできてどうにもならないこともありました。

 以前、職場で私が実際にこの目で見たわけではないのですが、臨時職員同士で怒りが爆発した事件が起きました。40歳ぐらいの女性と同年代の男性がたわいもないことで口げんかになりました。同僚に言わせると、女性はお高く留まっていて、いつも自分は他の人とは違うのだと話していて、いわゆる嫌な人だったのです。裕福な家の娘らしく、自分のピアノの腕を自慢し、あちこちの老人ホームにも慰問にも行っているのだと話していました。つまり彼女は周りに敬遠されているちょっと変わっている人でした。

 「あの人、仕事中に鏡で自分の顔を見てたんだって」とか、「もうすぐ結婚して辞めるって言ってたよ。新居は横浜のマンションでもう準備してあるんだって」などの噂が流れました。でも、いつまでたっても会社に居るので「あれ、結婚するんじゃなかったの?」と聞いてみたら、平然と「ああ、あれはダメになったの」と言い放ったのです。彼女のお相手は当時流行っていたインターネットでのお見合いで知り合った人でした。いくら何でも一度結婚すると決めてダメになったのだから、少しはショックを受けているはずと皆そう思っていました。ところがそういった素振りなど一切ないので、「あの話はいったいなんだったの?」と首を傾げるしかありませんでした。

 一方の男性は東京の有名私大を卒業し、未だに司法試験を目指しているようでした。こちらもプライドが高く、話してみると、やたら理屈っぽくて、相手の話に合わせようという気配が全くありません。まあ、エリートには違いないのですが、彼が本当に頭がいい人なのかどうかは日常の言動ではわかるわけもありません。ただ、普通の人よりも何かにこだわりが強いということだけは間違いありませんでした。ある日、そんな彼とプライドが高い彼女が言い争いをしていると、彼女が言い放った一言が彼の怒りの琴線に触れたようなのです。それがどんな言葉なのかは定かではありませんが、とにかく彼のプライドをズタズタにしてしまうような暴言なのでしょう。その瞬間彼の怒りは理性を超えて燃え上がり、彼の手は彼女が付けていたペンダントの鎖に伸びたのです。

 現場を目撃した社員の話によると、彼はペンダントで彼女の首を絞めようとしていました。周りの声で彼はすぐに我に帰り、その手を放して呆然としていたそうです。彼女の首にはくっきりとペンダントの鎖の後が残っていました。彼は部長から厳重注意の警告を受けました。それからしばらくして、同僚たちがあの二人はもう来ないから辞めたらしいと言っているのを耳にしました。

 職場で怒りに任せて暴力なんてありえないと思っていたら、ある日また事件が起きました。私のよく知っている、穏やかで人当たりのいい人が同僚に暴力を振るってしまったのです。その事実を聞かされても到底信じられませんでした。彼はどうしても相手の自分に対する物言いや態度が許せなかったというのです。相手が言い放った何気ない一言に過剰に反応してしまった結果、自制できずに行動に出てしまったのです。相手の言うことなどまともに取らなくていい、本気にしなくていいと言うものの、真に受けてしまうのが人なのです。言葉の持つ重みを考えさせられた事件でした。

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叔母は定期的に爆発する

今週のお題「爆発」

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アントニ・ガウディカサ・ミラNHKまいにちスペイン語テキストから。

明るくて元気な人には秘密があって

 私が知っている叔母はいつも元気で明るくエネルギーに満ちた人でした。でもある時その人の意外な秘密を知ってしまったのです。人にはたまに会って話をするだけではわからない一面がある事が一緒に生活してみて初めて分かったのでした。あれは高校の夏休みに町工場をやっている叔母の家にアルバイトに行った時のことでした。約1か月間叔母の家の離れで寝起きしていました。叔母の家は代々自営業で、当時は合板会社を経営していて、夫が社長で叔母は経理も担当していました。小さな町工場で、従業員も数人いましたが、叔母は男並みに仕事をこなしていたのでした。誰が見ても、叔母は卒なく町工場の社長夫人を演じていました。

 ところが、ある日私が離れに居ると、母屋から叔母の何やらわめくような声が聞こえて来たのです。何事かと思って母屋に行ってみると、そこにはものすごい剣幕で怒っている叔母がいたのです。「誰も私のことなんかわかっていない」だの、子供に向かっては「何度言えばわかるの」などと訳の分からないことを怒鳴っていたのです。驚いて絶句していると、小学生の長男がやってきて「今は近づかないほうがいいよ」と言いました。長男の話ではこの事態はいつものことらしいのです。こうなった叔母に何を言ってもダメでお姑さんにも怒鳴り散らすのだそうで、嵐が過ぎ去るのを待つしかないのです。どうやら叔母は定期的に爆発を繰り返しているようで、周りもそれを仕方のないことだと受け入れているのでした。自分のストレスを周りの人に当たってまき散らして、解消していたのでしょうか。

 思えば、覚悟していたとはいえ、姑に気を使い、子供二人を育て、家業のために毎日働いてストレスも溜まっていたはずです。そこでうまくストレスを解消しようと思っても全くひとりになることができないのです。それに数人ではありますが従業員もいたので、世間体というのも気にしていました。小さい頃から子供に両親のことを「お父ちゃん、お母ちゃん」と呼ばせていたのに、従業員を雇うようになってからは「お父さん、お母さん」と呼びなさいと子供に言い聞かせていたのです。その話を子供から聞いた時はそんなことは関係ないのではと思いました。でも今にして思うと、叔母なりのこだわりなのでした。それには従業員が皆近くに住んでいる人たちなので、ある事ないこと言われるのを警戒していたのかもしれません。

 そう言えば、叔母が爆発したのは工場が休みの日で、そのとき旦那さんは出かけていて留守でした。叔母はいつも「ハルコ(長女)はお父さんに似てきつい」と嘆き、長男は「僕はお父さんのようにはなりたくない」などと父親を陰から見ていたのでした。叔母が爆発を起こした翌日、朝起きて母屋の食堂に行ってみると、そこにはいつもの叔母がいました。台所に立ってみそ汁を作っている叔母は昨日のことなど忘れているようでした。何事もなかったかのように明るく元気な叔母を見ていたら、完璧な人間なんてこの世に居ないのだと思えてきました。人に当たり散らして、ストレスを解消できるとは思えませんが、叔母の爆発は「もう我慢も限界だ」というサインでもあるのです。

 部屋を掃除をしなければ、埃が溜まるように人間の心も水が底に溜まれば自然とよどんできます。だから流れをよくするために何かしなければなりません。以前読んだ本によると、「私はストレスなんて無縁」という人が一番危ないそうで、鬱病になる可能性が高いのです。だから精神科医がそんな人に勧めるのは週末号泣で、涙を流して心をリセットする方法です。実際にあった悔しい場面を思い出すのもひとつのやり方ですが、それでは精神的に悪影響を与えます。嫌なことは思いださない方が賢明なのです。だから、映画やドラマを見て泣いて、洗い流すのが一番良い方法です。私もやってみましたが、泣いた後は不思議とすっきりするものです。

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怒りが爆発した日

今週のお題「爆発」

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バルセロナサグラダファミリア聖堂の主身廊天井。NHKまいにちスペイン語テキストから。

子供のたわいない一言でも溜まると怒りに変って

 子供の頃、休みの日になると嫁に行っている姉が遊びに来ていました。姉は自営業の人と結婚し、いつも会社のトラックで子供を二人連れてきていました。子供たちは保育園に通っていて、かわいい盛りなので父も兄弟たちも歓迎していました。でも彼女たちはいつも機嫌が悪くて「こんなところは嫌」だの「早く帰りたい」などと言って周りの大人を困らせていたのでした。それでも大人たちは少しでも長くいて欲しいと思っていたのでしょう、好きな食べ物を与えたり、おもちゃを買ってあげたりして機嫌を取っていたのです。つまり、大人としては「たかがこどもの言っていることなのだから」とじっと我慢していたわけです。私も同様に我慢していたのですが、姉の子供たちが言っている「おじさんの家なら○○ちゃん(姉の旦那さんの兄の娘)がいるのに…。おじさんの家に行きたい!」という言葉にイラついていたのでした。

 その日私は普段と違って虫の居所が悪かったのか、いつもは相手にもしないのに頭の中を「早く帰りたい」という言葉がぐるぐる回ってしまったのです。そしたら、溜まっていた怒りが堰を切って押し出されるように、「そんなに嫌なら家にもう来ないで!」と幼い子供に向かって叫んでしまいました。すごい剣幕で怒鳴られた子供たちはワァ~ンと泣き叫び姉の方へ走っていきました。その場は一瞬凍り付き、誰も何もいいませんでした。私だけがもうどうにもならない気持ちを、溜まっていた怒りをぶちまけていたのです。「もう、いい加減にして。早く帰りたいだなんて言葉はもう聞きたくない!」。

 その頃の私は自分の感情の赴くままに叫んでしまったのですが、その時の姉の態度には仰天しました。なんと姉は妹の私に「なんてこと言うの?」と怒るどころか、涙をポロポロ流してこういったのです、「私のしつけが悪いの。だから子供がそんなことを言うんだわ」。あろうことか姉は私のやってしまったことに腹を立てるのではなく、原因は自分にあると思って自分を責めているのでした。考えてみれば、子供は正直で好き嫌いをはっきり口に出します。家に連れてくるときは「来たくなかった」とか「早く帰りたい」とか言わないように言い聞かせているはずです。それでも子供は嫌なものは嫌なのです。子供も少しくらいは我慢しているのでしょうが、やはり本音が出てしまうのは子供だからなのです。

 その場に座り込みうつむいたまま泣いている姉に義兄が「もう帰ろう」と静かな声で言うと姉は立ち上がりました。泣きはらした目をした姉は何も言わずに帰って行きました。一方の私はと言うと、こんな結末になるとは夢にも思わず衝撃を受けました。風船が爆発するように、張り詰めていたものがなくなると思ったら、逆になんだか後味が悪い結末になってしまいました。それからどうなったのかと言うと、記憶が不鮮明なのですが、しばらく経つと姉はまた子供を連れて遊びに来るようになったのです。もちろん子供はもう「早く帰りたい」とは言いませんでした。どうやらあの時の姉はあの事件を重く受け止め過ぎていたのでしょう。家に帰ってよく考えてみたら、妹の戯言で気にすることもないと思ったのです。

 でも、あれから旦那さんのお兄さんとは仲が悪くなってしまったようなのです。不思議なことにもう一言も話題にはしないのでした。あんなに仲良くしていたお兄さんとなぜ絶交してしまったのか、どうやら義父が亡くなって相続のことでもめたのが原因のようです。姉は「あんな人だとは思わなかった。だからうちの人ももう付き合うのはやめにすると言ってるの」と怒ったような口調で話していました。お金の切れ目は縁の切れ目とよく言いますが、お金を目にしたらその人の本性が見えたのでしょうか。今までの信頼が一瞬で吹き飛んで粉々になってしまったのです。

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語学の勉強をサボる

今週のお題「サボる」

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マドリードにある J. グラッセスによるロンゴリア館。NHKまいにちスペイン語テキストから。

気が付いたら、語学の勉強を全くしていなくて

 正直言って、昨日から頭が痛くて不調です。薬を飲んだらよくなったのですが、夜中に頭痛がして目が覚めてしまいました。それでも布団の中で雨音を聞いていたら落ち着いてきました。いつも通り散歩に行こうと外に出たら、なんだか爽快な気分になり、「やっぱり外はいいなあ」と実感しました。早速、歩きながら「サボる」について考えてみました。思えば、ドラマや映画では学校や仕事をサボると必ず何か面白いことが起こって、そこから物語が始まります。見たこともない世界を見せられたり、感じたこともない気持ちにさせられたりします。だからたまには「サボって」気分転換してみてもいいのではないだろうか、そんな風にも思えてきます。

 気分転換したいなら、いつも通り過ぎている曲がり角を曲がってみたり、あるいは一つ手前の駅で降りてみたりすればいいのかもしれません。でもふと思うことはあってもどれだけの人が実際に行動するでしょうか。なかなか難しいのです。

 「サボる」のは「やめる」のを回避するための一つの手段ではないかとも思えてきます。本当のところはやめたいと思っているのに現実にはできないので、自分の本音を誤魔化すためにサボるのです。そんなことをしても現実は何も変わらないのですが、自分の心に折り合いをつけられるので十分なのです。感情の爆発を防ぐためにも臨機応変に「サボる」ことは有効な手段だと言えます。「サボる」くらいならやめた方がいいという考えは極論でしかないのかもしれません。

 私の場合の目下の「サボる」は語学の勉強で、旅行に行くという目標が無いのでやる気が出ません。目の前にニンジンがぶら下がっていないと走れない馬のように、怠け者の私のやる気は燃え上がらないのです。コロナが流行してからもうかれこれ1年半になります。新聞には立派な専門家の方々のご意見が載っており、いつだって旅行の需要が爆発する日は近いなどと仰っております。ワクチン接種が進めばその日は必ず来ると太鼓判を押しておられるのですが、どう考えてもそれを鵜呑みにするわけにも行きません。

 今の私はNHKのまいにち中国語をBGMのように聞くだけで、以前のように手を動かして勉強することもなくなりました。でも毎朝ラジオから聞こえて来る出演者3人の楽しそうな語らいには元気を貰っているのです。8月のある日の課題は中国語で「誕生日おめでとう」を言おうというものでした。そしたら俳優である劉くんがアカペラでそれを歌ってくれました。普段からいい声だと思っていましたが、講師の丸尾先生が「こんなしびれる誕生日おめでとうは聞いたことがない」と感激していました。俳優で声優でミュージカルでも活躍している劉くんですが、宴会でやる一芸について聞かれると意外な答えが返ってきました。それは早口言葉で、やって見せて(聞かせて)くれたのですが、あまりにも早すぎてチンプンカンプンで何が何だかわかりませんでした。演劇学院の時にかなり練習したせいか、とても自信があるようでした。

 一方の劉セイラさんは中国に帰ったときなどに、親類の集まりなどで「声優やって!」などと言われることが多いそうです。それがセイラさんにとっては実は一番嫌なことで、苦手なことで、いつも困ってしまうのです。なぜかというと、何をやっていいのかわからなくて、日本語でやっていいのか、中国語でやっていいのかさえも迷ってしまうからです。これには意外で驚きました。声優さんなので歌の一つも披露して拍手喝采を浴びるのものと想像していたからです。

 そいう言えば、最近はNHKの大西先生の英会話も聞かなくなりました。ICレコーダーで録音だけはしているのでいつでも聞けるから余計に聞かないのです。でも今まで聞いていて良かったと思うことが一つありました。それは「サボる」って英語でなんていうんだっけ?とふと思った時、講師の大西先生の言葉を思い出したのです。「サボる」は英語でskipでした。

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誰かのためにサボる

今週のお題「サボる」

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マドリードにあるR. ベラスケスによる鉄とガラスの温室建築。NHKまいにちスペイン語テキストから。

誰かのためなら、躊躇なくサボれる?

 昨日の朝日新聞の夕刊の4コマ漫画はまさに今の世の中を切り取っているかのような話でした。それはしりあがり寿さんが描いている「地球防衛家のヒトビト」で、渋谷での19歳から39歳までのワクチン接種のことを話題にしていました。深刻な事態を指摘しているのかと思いきや、最後にちゃんと落ちがあってクスッと笑ってしまいます。今どきの母子あるあるとも言えるのではないでしょうか。ある喫茶店で地球防衛家の母さんが友人とお茶をしているのですが、どうやら話題は友人の娘のことです。娘がワクチンを家族のためにできるだけ早く打ちたいと言ってくれているのに、悲しいかな、仕事があって列に並びに行くわけにもいかないと相手は嘆いています。それを聞いて母さんは深く同情したのですが、驚くべきことに友人は代わりに行って並んでみたと言うのです。何と友人は娘の服を着て、若作りをして列に並んだというのです。そしたら、予約が取れたと感激し、ついでに「私もまんざら捨てたものではない」と嬉しくてたまらないようでした。

 友人はワクチンの予約が取れたことよりも、自分が39歳に見えたことのほうが嬉しいのです。考えてみると、マスクをしていて顔が見えないのですから、十分あり得ます。「そこまでする人がいるのか!」とも思うのですが、抽選券を手に入れるためなのですから誰が並ぼうが問題ないとも考えられます。娘の代わりに母が並ぶという発想は私には皆無だったので、「この手があったのか!」と頭がガ~ンとなってしまいました。つまりどんな手段を使ってでも手に入れたいと必死になっているのです。

 母さんはワクチンの話題が予想外の方向に向いてしまったことに仰天しました。友人は娘のワクチン予約のために、もしかしたら、仕事をサボってまで、娘のために行動したかもしれないのです。ワクチン接種を受けられるか否か、娘にとっては緊急事態ともいえる今の状況では、仕事は二の次なのです。自分がいなければ仕事が回らないではなくて、自分がいなくても誰かがやってくれるの方向に気持ちが傾くのです。今こそサボるべき時だと自分に納得させます。だから当然後ろめたさは微塵もありません。以前、何だったか忘れましたが、何かの新製品が発売されたときに列に並んでいた父親にテレビ局がインタビューしていたことがありました。その父親は娘のために会社を休んで、というか、サボって来ていたのですが、堂々として答えていました。娘のためには簡単に、というか娘のためだからからこそサボる理由になるのだと言いたいようでした。

 人は自分の大切な誰かのためならば仕事をサボれるのだと、それも第3者から見れば、そんなことでサボるのと首を傾げたくなるようなことが理由になるのだと気付きました。そう言えば、私の同僚は、ある日突然会社を休みました。その日は得意先との打ち合わせもあったので「なぜこんな日に限って休むの?」と困惑してしまいました。翌日彼女に理由を聞いてみると、小学生の娘の飼っているハムスターが朝ゲージの中で冷たくなっていたというのです。ハムスターの死を受け入れられず娘は泣いてばかりで学校に行こうとしませんでした。そんな娘を一人で置いておくわけにも行かないので、仕方なく仕事をサボることになったのでした。彼女に言わせると、確かに仕事は大事なのですが、ここで娘の気持ちを無視して取り返しのつかないことになったら、それこそ後悔することになります。普段仕事優先で生活しているからこそ、母親が必要な時は今なのではと判断したら、結果としてサボることになったのでした。

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彼女が仕事をサボったわけ

今週のお題「サボる」

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マドリードのカバリェロ・デ・グラシア教会堂の内観。NHKまいにちスペイン語テキストから。

時にはサボることも必要と気づかされて

 たまには仕事をサボりたいとふと思うのは大人なら誰でもある事です。でも頭の中で考えるのと実際に行動するのとでは大きな差があります。私などはそんなとき、「あなたはサボっていったい何をしたいの?」と自問自答してしまいます。すると、これと言っ何をしたいわけでもなく、心のままにサボったら、どんどん溜まっていく仕事のことを考えたら、サボる選択肢は自然と消滅してしまいます。とりあえずはサボるのはやめにして、目の前の仕事に集中すべきだと自分に言い聞かせてお終いです。

 でも、人によってはどうしても仕事をサボらなければならない場面に直面することがあります。例えば、私の友人の場合は4歳になる娘のひとことで会社をサボる選択をしました。娘は3歳の時から保育園に通っていて、今では友達もできて保育園が大好きになっていました。普段から行きたくないとぐずったりして親を困らせたことは一度もありませんでした。それどころか早く行きたいと玄関で友人を待っているくらいでした。それなのに、その日は少し違いました。元気がない様子で、「今日は保育園に行きたくない気がする」というので仰天しました。思わずおでこに手をやると、熱はないようです。

 「保育園をお休みしてどうするの?」と聞いてみると、「今日はママと一緒に居たいの」。友人は娘はまだ4歳で幼いけれども、子供は子供なりに「気晴らしをしたい」と思うのかもしれないと考えたのです。いつもと違ったことをしたい、いつもは離れ離れだけれども今日だけは母親と一緒に居たい、そう思ったとしても当然のことです。だから、友人はその日は会社をサボることにしました。会社に電話をかけて、「娘が病気なので休みます」と告げたら誰だって文句は言えません。本人が病気の時よりもよほど説得力があります。電話を終えて、誰もまさかずる休みだとは思わないだろう、そう考えたらなんだか楽しくなってきました。不思議なことにこの時の友人は後ろめたさは微塵もなく、まさにサボるべき日なのだと本気で思っていたそうです。

 娘は病気でも何でもないのでずる休み、母親は娘の気持ちを尊重してずる休みです。親子で保育園と会社をサボって、いい天気だったので手を繋いで散歩をしました。抜けるように青い空で、気持ちのいい風が吹く中ツツジが咲いているのを見つけました。「ツツジ綺麗だね」と娘は叫ぶと、急いで赤、白、ピンクの花が咲き誇る方へと走って行きました。友人は娘と歌を歌いながら歩き、「こんなにゆったりとした気分になったことがあっただろうか」とふと思いました。目の前のやるべきことをこなすのが精いっぱいの毎日で、娘とゆっくりと遊んであげたことはありませんでした。休みの日は休みの日なりにやることがあるので、厳密に言うとその日は休むための日ではないのです。

 娘の言うことを素直に聞いたら、皮肉なことに「サボる」こともそれなりに意味がある事だとわかったのでした。後日、保育園で娘は「一番楽しかったこと」という題で絵日記を書きました。お迎えに行った時に壁に貼ってある娘の作品を見たら、そこにはツツジの花の絵が描かれていました。クレヨンで「ツツジの花がきれいでした」と書いてある文字を見たとき、娘も同じ気持ちだったのかと気づかされました。いつだって同じように過ぎていくだけの毎日に風穴を開けられたかのような経験をしたのです。

 一方の娘は保育園をサボって散歩を楽しみ、本屋のプレイルームで遊んだら、次の日にはいつもと変わらない娘に戻っていました。友人は「昨日のあなたはいったいどうしたの?」と聞いてみたいほどでしたが、やめておきました。いずれにしろ、「サボる」ことで何かが吹っ切れて、子供にそれはないと思うのですが、気分転換できたことは確かなのです。そして、ついでに母親も普段は思いもしなかったことに気づけたのですから、これこそ「サボる」ことの効用と言えるのかもしれません。

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