人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

スーツケースを売りに行ったら

二束三文とはこのことで、たったの300円!

 いつも散歩で通る道の途中にはショッピングセンターがあって、そこの一階には美容院、スパゲッティ屋さん、ベトナム料理店などが立ち並んでいる。それらの店に隣接していて、やたらと目立っているのが、リサイクルショップで、なぜかと言うと、目の前の道路にも越境して商品を並べているからだ。一度も中に入ったことはないが、おそらく店のスペースはそんなに広くはないので、まるで我がものであるかのように、公共スペースを有効活用しているのだろう。この様子を見る度に、以前行ったことがあるベルリンを思い出してしまう。彼らは皆、道路に中古のテーブルやソファを並べて、カフェをしたたかに営業していた。

 道路上に置かれた陳列台にはそれこそありとあらゆるものが置かれていた。一番驚いたのはランドセルで、一見新品と思われるものが、800円程度で売られているのを見たときはさすがに信じられなかった。ランドセルは最近ではより高いものが好まれると言うから、値段は高ければ高いほどいいとニュースで聞いたことがある。4万も5万もする高級ランドセルと比べると、800円はいかにも別世界の遺物と思われるかも知れないが、どう見ても引けを取らない。リサイクルショップで買ったなどと言わなければ、立派に通用する品物である。お金があるとかないとかに関わらず、この800円のランドセルで間に合わせ、その分のお金を何か楽しいことに使うという選択肢もあるのではないか。とそんなふうに思った。

 だが、考えてみると、普通は我が子には親は大枚はたいても新品を買ってあげたくなるものだ。それに6年間もの長い間、使うのだから丈夫でなければならない。となると、やはり中古では不安になるのは当然だ。これでいい、と思ったところで、実際買うのと思ったのとでは天と地ほどの開きがある。だが、ランドセルは棚からすぐ消えるところを見ると、誰かが買っていくらしい。それでは、いったいこのランドセルはいくらぐらいで買い取られたのだろうか。そんなことをふと思ったのは、今回私が去年買ったスーツケースを売りに行ったからである。

 スーツケースを売りに行ったのは、新しい物を買ってそれが邪魔になったからだ。そもそも、今や無用の長物となり果てたスーツケースは未使用状態だった。なぜかと言うと、空のままならいいが、いざ荷物を入れたみたら、重くて持ち上げられなかった。機内に持ち込みたいのに、情けないことに荷物棚に乗せられないとなると、憂鬱をとおりこして、絶望するしかない。結局、いつもの通りリュックサックを使うことにした。昨年の旅行ではやたらと荷物の重さが気になった。それで、何か小さ目のスーツケースを買って、背負う荷物を半分にしたら楽になれるのではないか、そんなふうに考えて、一番小さいサイズのスーツケースを探しにビッグカメラの旅行用品売り場に行った。

 だが、私の期待に反して、所せましと売り場に並べてあるスーツケースはすべて大きかった。私が探しているSSサイズなんてありはしなかった。がっかりして、早々に売り場を後にした。だが、その後ふらりと立ち寄った近所のディスカウントショップでお目当ての商品に出会えた。まさか、あの店で、あの時、スーツケースを買うなんてことは考えも及ばなかったが、私の心が「今でしょう!」と囁くので、素直に従っただけのことだった。

 そうなると、もう絶対使うことがないと決まっているスーツケースを何とかしたくなった。それは押入れの天袋に入れっぱなしになっていて、普段は目に見えないので私にとっては存在しないのも同じだった。しかし、心の片隅にはちゃんと居場所はあって、時折訴えてくるので気がかりだった。手放したい、本気でそう思った。どうやって?粗大ごみで出せば、料金は400円だが、売りに出したら、どうだろうか。大した金額にはならないだろうが、400円出すよりはましだと思うことにした。

 さて、リサイクルショップに持って行って「ほとんど使っていないんですけど」と説明した。だが、いくらか聞いてみて、仰天した。なんと、300円!で返す言葉が見つからない。何か言いたい気持ちをぐっと抑えて、渋々売ることにした。まあ、いいか、これでスッキリするのだからと自分を慰めた。因みに店先に置いてあるスーツケースの値段をちょっと見てみると、大型のもので、4千円とか、街でよく見かける皆が押しているサイズは3千円である。となると、一つ売れさえすれば、それだけで結構儲かるのだと分かった。安く買い取って高く売るのは商売の基本とでも言いたいのだろう。

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