人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

教師の家の立派な本棚

今週のお題「本棚の中身」

親が二人共教師の親戚の家で、本棚に仰天して

 まだ田舎で暮らしていた子供の頃、よく親戚の家に遊びに行った。その家は母親の妹の家で、夫婦共に教師だった。妹は小学校、その夫は中学の教師で、私が中学生になったときは体育の担当だった。あろうことか、私は顔馴染みのおじさんに体育を教わることになって、居心地が悪い思いをたくさんした。

 まあ、そんなことは今から思えば、どうってことはない。そんなことより、当時の教育者の家庭と言うものが、子供の目にはどう映ったかが問題だ。私の家は父親が会社員で、母は自分の家の狭い畑で花や野菜を作って、家計の足しにしていた。父だけがお金を稼いでいるので、当然子供が欲しい物を何でも買ってもらえるわけではなかった。それなのに、親戚の家の子供たちは、私の持っていないものをすべて持っていた気がする。「うちとは違いすぎる」と私が文句を言うと「あそこは夫婦二人で稼いでいるから、仕方がないのよ」と母はいつもため息をついた。それから「あそこの子供は小さい時からお母さんと一緒にはいられないのよ。それでもいいの?」と必ず付け加えた。

 私の家になくて、親戚の家にあるものと言ったら、子供の勉強部屋、グランドピアノ、そして、立派な本棚の3つをあげることができる。本棚はピアノとソファがあるリビングと子供部屋にだけでなく、他の部屋にも置いてあったので、私は気になってしようがなかった。それらの本棚の何に惹きつけられたかと言うと、学校の図書館では見たことがない、いかにも高そうな装丁がされている本ばかりぎっしりと詰まっていたからだ。あれはきっと百科事典かなんかだったと思うが、子供心に「さすが、教師の家は普通の家とは違うんだなあ」と驚き、感心した覚えがある。「世界文学全集」と書かれたタイトルの本がずらりと並んでいるのを見たときは、「うわぁ、こんなにたくさんある!」と感激した。ここの家の子は本棚の中から、いつでも自由に好きな時に好きなだけ好きな本を読むことができるんだ、と思ったら、途端にここの家の子供が羨ましくなった。本棚がない自分の家とは雲泥の差で、申し分のないアカデミックな環境だった。

 こんな風に書くと、私が筋金入りの本好きかと誤解されそうだが、実際は違う。私はどちらかと言うと、いかにも子供らしい浅薄な考えしか持っていなかった。私の頭の中はいつも親戚の家の末っ子の女の子が着ているワンピースのことでいっぱいだった。それらは田舎にある洋品店ではお目にかかれない、花柄のついた上等なお姫様ドレスだった。親戚の家に行くと、その子の部屋に泊まるのが常だったので、当然洋服ダンスの中身も見ることになる。そこにはデパートにあるようなワンピースがずらりと掛かっていた。「すごい、綺麗な服ばかりこんなに持っているのね。羨ましい!」と言うと、私より一つ下のその子は予想外の反応をした。「ふ~ん、そうなの?私はこんな服なんかいらないわ。私は服なんてどうでもいいから、お母さんと一緒に居たいだけなの!」と真剣な顔で訴えるので返す言葉がなかった。母が言っていたことも、まんざら嘘でもないのだと痛感した出来事だった。

 思えば、あの家の立派な本棚を住人が利用したのを見たことがなかった。あれはいわゆる教育熱心な家に常備されているインテリアで、百科事典は最も便利で役に立つアイテムと言える。ネットなどない環境において、あれさえあれば、なんでも調べられるのだから。普通は図書館や本屋に調べに行く必要があるが、家にあるだけでその手間が省けて、時間の節約にもなる。世界文学全集は私にはとても魅力的なものだったが、やはり家庭にあると無いとでは天と地との差がある。なぜなら、田舎では本屋というものが身近になくて、あったとしても遠くて子供の足では通えないからだ。一度町の本屋に『りぼん』を買いに歩いて行ったことがあった。往復でどれくらいかかったか、もう覚えていないが、その時『りぼん』を手にしたときのワクワクした気持ちは忘れられない。

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私の本棚が訴えてくる

今週のお題「本棚の中身」

本棚の中の本はカバーが掛かったままだったが

 私の本棚をじっくり眺めたことなどこれまでなかった。とりあえずの本の置き場所で、読んでしまった本の収納場所として使っていた。だから本はすべて書店のカバーがかけられたままで、そうでなければ、自分で何かの包装紙をカバー代わりにしていた。先日そのカバーをすべて外してみたら、あろうことか、本の背表紙にあるタイトルが気になってしようがない。本のタイトルが「私を手に取って!」とでも言うように訴えかけて来た。正直言って、こちらも「今はそんな気分じゃない」とか「今はちょっとだめだなあ」とか思っているのに、煩いほど私の神経を刺激してくるのだった。題名をチラッと見た瞬間、その本を買った日のことや、その時の状況を思い出してしまうのだ。いとも簡単に時空を飛び越えて、本にまつわる過去へと引き戻されてしまうわけで、楽しいのか迷惑なのか、訳が分からない。

 考えてみれば、過去に読んだ本のことなどすっかり忘れていた。いや、最後まで読んだかどうか定かでないものまである。だいたいが、本というものは使命感に駆られて、強制されて読むものでないから、退屈したら、嫌気が刺したら、途中でやめていいのだと思う。書き手が心を込めて苦労して書いたのだから、読まなきゃなどという義務感は必要ない。ただ、この先何か面白いことがある予感がする場合は、少し退屈でもこれからの展開が気になって仕方がないので、我慢して読み進める。でも結局は残念なことに私の予感は外れることが多い。理想を言えば、せめて最初の一行、いや、一ページでもいいから、読者を惹きつけて欲しいものだ。

 最近書店に本を捜しに行って気づいたことがある。一度目はあいにくの雨模様だったから、店内はガラガラで人がほとんどいないのは仕方がない。でも二度目はちょうど昼休みで、いつもなら店内は立ち読みをしている人でいっぱいで、レジにもちらほら並んでいる人がいるはずだ。なのに、辺りに目をやると、驚くほど人がいない。お目当ての本を手にしている私の耳元に、店員の「じゃあ、伝票整理でもしようか」などという声が聞こえて来た。会計しようとレジに行くと、そこには退屈して死にそうだと言わんばかりの店員が待っていた。500円玉ばかりで支払う私を少し訝るような目で見てきたが、こちらはお構いなしで、ちっとも気にならない。

 この書店については他にも気になることがあった。それはトイレについてで、以前はここのトイレは私にとって他のどこよりも”くつろげる空間”だった。何よりも清潔で利用しやすい、いわゆる穴場だった。だが、最近ある種独特の匂いがすることに気が付いた。その匂いは掃除の仕方に問題があることは明らかだ。たぶん掃除の回数を減らしているわけで、これも経費節減と言えるのだろう。

 本棚の中身の話に戻ると、私に誘惑の視線を送ってきた本は、芥川賞作家の砂川文次さんの「ブラックボックス」、井上荒野さんの「あちらにいる鬼」、アルボムッレ・スマナサーラさんの「怒らないこと」、イギリスの文化人類学者が書いた「ランニング王国を生きる」等々で、自分で言うのもなんだが、選書にポリシーと言うものが全くない。本屋に新聞の広告で見つけた本を買いに行って、その本をパラッと立ち読みして満足し、全く別の本を買ってきてしまうことも多々ある。本屋の入口にある”話題の本コーナー”を素通りするなんてことはできないので、しばしそこで時間を忘れて読書に浸る。そう言えば、そうやって買う気になったのが、「怒らないこと」だったのを思い出した。著者によると、人は怒るという行為でどれだけ損をしているかをもっと知るべきだそうだ。怒ることは精神的にも、肉体的にも害を及ぼすことで、百害あって一利なしだと指摘している。では、怒らない秘訣はあるのかと言うと、そんなものはないらしい。どうやら人は一生怒りをコントロールして生きていくしかないようだ。

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なぜあの人の本棚は綺麗なのか

今週のお題「本棚の中身」

自分とは雲泥の差、どうしてこんなことに

 アートディレクターの佐藤可士和さんは、小学生の頃友達の家に遊びに行った時、物凄い衝撃を受けてしまった。なぜかと言うと、その子の部屋の本棚があまりにも綺麗と言うか、整理整頓されていたので、自分のと違い過ぎたからだった。本がちゃんとジャンルごとに分けられていたし、サイズごとに整然と並べられていた。「自分と同じ年なのに、この違いは何なのだろう?」と天と地がひっくり返るぐらいの驚きだった。その日友達だちの家から帰った佐藤さんは、すぐに自分の部屋の本棚の整理整頓を始めた。「あの時、初めて”整理整頓”することはなんて美しいことなんだろうと感じた」と新聞のインタビューで話していた。そして、あの時の体験が自分のデザインの原点となっていると強調していた。

 私も以前”美しすぎる本棚”を見て仰天したことがある。ただ、佐藤さんと違うのは、それを見たからと言って何もしなかったということだ。あんなの無理、無理とまさか真似をしようなんてことは露ほども思わなかった。あんな、捕って付けたようなモデルルームにある本棚なんて実現不可能だと鼻から諦めていたからだ。どう考えても、誰かに見られるのを前提としているような、どこに出しても可笑しくない、綺麗すぎる本棚なんて現実的ではないと思っていた。

 会社の先輩が家を新築したので、「見に来ない?みんなを招待するわよ」と私たち後輩を誘ってくれた。彼女の家は元々は昔からある広い敷地にあるお屋敷のような家だった。その家がかなり傷んできたので、建て替えようとしたのだが、それよりは思い切ってマンションにしてしまおうと考えた。5階建ての建物で3階は自分たち一家が住むことにし、あとの部屋はすべて売却することにした。マンション名はエカテリーナ・ロイヤルパレスだなんて、なんだか豪勢な名前だなあと皆で笑ってしまった。

 「うちは一応6LDKなの」と先輩が言うので、私たち一同は中はいったいどうなっているのかと興味津々だった。玄関に入ると、そこは小さな部屋一つ分くらいはあろうかと思われる広さがあった。ものすごく贅沢でゆとりのある作りで、壁はすべて収納スペースになっていた。外に物が何も出ていないすっきりとした玄関に私たちは感動した。靴を脱いでスリッパに履き替えて、ドアを開けたら、そこは広々としたリビングルームで太陽の光が燦燦と降り注いでいる快適な空間だった。隣にグランドピアノが置いてあソファに私たちは座って、お茶を飲み、ケーキをご馳走になった。少しの間、おしゃべりをした後、先輩が、「これから部屋を見る?」と尋ねた。

 先輩夫婦のベッドルームや二人の娘さんたちの部屋も見せてもらったが、一番印象に残っているのは下の娘さんの部屋だった。その部屋はおそらく広さは6畳くらいだったと思う。床はフローリングでウオーキングクローゼットになっていた。5段くらいの本棚があって、どの段も本がこれ以上無理だろうと思うくらいギュウギュウに詰め込まれていた。ところがよく見てみると、その本棚が部屋のひとつのインテリアとしての役割を立派に果たしていた。たぶん、几帳面な性格なのだろう、仕事で使う保育関係の本、趣味の歌舞伎鑑賞のための本、その他のジャンルの本等がきちんとまとめられて入れてあった。

 先輩に言わせると、娘さんは本棚の中身と同様に、頑固で何に対しても正論を譲らない性格らしい。自分の祖母に対しても、容赦ないらしく、程々ということを知らないらしい。「あの子の言うことはいつも正しいけど、私には厳しすぎて、時々怖いと思うことがある」などと先輩に愚痴を言っていた。上の娘さんが祖母にとても優しいので、余計に下の娘さんのきつい性格が目に付くようだ。時には、宗教団体のデモに抗議したりして、転んで膝小僧を擦りむいてしまうこともあったらしく、先輩はとても心配していた。

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新しい家は快適、されど

家が新しくなったら、人が来ない

 以前ブログに書いた知人の実家の話には続きがある。長男が結婚しなくて嘆いていたら、新しい家を自分のお金で建ててくれたので感激したという話だ。知人は今年のお盆に田舎に行くか行かないか、どうしようか迷っていた。だが、会社の同僚の母親が亡くなったので、その関係でお盆は休暇が取れなくなった。つまり、知人の会社は会社自体の休みはなく、従業員が交替で休みを取ることになっていた。コロナ禍で2年近くも田舎に帰っていないので今年ぐらいはなんとかして帰りたいと思っていたのだが、どうやら無理そうだ。同僚の代わりに自分が出勤する必要があったからだ。

 それで、まずは実家から車で2~3時間の隣の県に住む次兄に電話をしてみた。今年は行けそうもないと断りをいれるためだった。次兄は毎年のようにお盆も正月も実家に泊まりに行っていたし、田植えや稲刈りの時にも手伝いに来ていた。港町に住んでいるせいか、いつも市場で安くて新鮮な海産物を仕入れて持ってきてくれていた。知人の実家は本家なので、盆と正月は親戚が集まる賑やかな家だった。次兄の差しいれた食べ物は皆の酒の肴になって喜ばれた。その次兄が、信じられないことに「俺も行かないと思う」と言ったのには、知人は仰天した。

 ええ~!?「行かない」ってどういうこと?訳が分からなかった。だって、今まであんなにしょっちゅう行っていたのにどうして!?次兄に理由を聞いてみて驚いた。何と「俺は親戚連中に煙たがれるんだよ」と言うのだ。「あんなにいろいろよくしてやったのに!?」と嘆きと怒りは止まらない。田舎の人たちは、と言ってももう親の世代は亡くなっているか、あるいは年を取って発言権がないのでその子供たちのことなのだが、次兄のことをよく思わない、どころか嫌な顔をする。次兄にはあまり来て欲しくはないのがその態度でよくわかるらしい。いわゆる、世代交代の波が田舎にも押し寄せてきていた。次兄はたまに兄と飲んで楽しく過ごしたいだけなのに、周りがそれに水を差すのだ。

 それに、兄の長男の建てた家と言うのが、前の広々とした家とは違って狭いらしい。「もう、寝る部屋はないぞ。茶の間に布団敷いて寝るしかない」そうで、以前のようにどこの部屋でもいいと言うわけにもいかないらしい。新しい家は2階建てで、2階には長男と長女の部屋があり、1階は台所と兄夫婦の部屋と茶の間だけらしい。お客が来ることなど想定していない、いかにも40歳になる長男らしい発想の家だった。それでも「茶の間になら、5人分の布団ぐらい敷けるぞ」と兄は言い訳をするので、弟たちには来て貰いたいらしい。古い家が新しくなったのは喜ぶべきことかもしれないが、もう以前のようには暮せない。昔のようにもう人が集まる家ではなくなってしまった実家は、次兄にとっても、知人にとっても”いつでも帰れるホッとする場所”ではなくなってしまった。遠く離れた場所で実家を想う知人はともかく、車で行こうと思えばすぐにでも行ける距離に住む次兄はその複雑な思いをどう解消すればいいのだろう。

 ましてや兄も次兄も70代でこれから人生後半楽しくやりたい思っていたのにこんなことになるなんて、想像もしなかった。実家はもう兄の代ではなくなったのはよくわかっている。「これからは若い人の流儀で、若い人の考えに従うしかない」と兄が寂しそうに言っていたのを思い出した。だが、最近言われるような”人生100年時代”にあっては、このままでは老人に「死ぬまで我慢せよ」というのに等しい状況だ。だいたいが、年寄りと若い人が双方とも満足して仲良く暮らすことに無理があるのではないだろうか。知人の兄は子供たちに各自好きなことをさせてきた。子供の意志を尊重して育てて来たのに、年を取ってみたらなんとも寂しいことになっていた。

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コロナで一変した本棚の中身

今週のお題「本棚の中身」

世の中が変われば、本棚の中身も変わる!?

 本棚の中身をまじまじと見てみたら、コロナ前とは全く違うことに気付いた。以前はほとんど旅行のガイドブックやエッセイなどで溢れていたのに、今ではそっちの関係の本は一冊もない。これではまるで、さっさと海外の旅行関連の本を片付けてしまった、使えない近所の本屋みたいな風景だ。自分にとって今必要な本を手に取りやすい段の棚に置くのは自然なことだ。だからとりあえず目の前から消すのは分かるとしても、どうせ行けないのだから、目の毒でしょうとばかりに押し入れに追いやってしまったのはやり過ぎだった。当分旅行のことは考えないように、願ってもどうにも実現不可能なのだから諦めるように強制的にそうしたのだ。

 最初はモヤモヤして、どう気分転換して生きていこうかと暗中模索の状態だったが、あれから2年も経ってしまった。人間は知らず知らずのうちに不慣れな環境に順応するものだなあと今では痛感している。”気分転換には離陸が一番”と信じて疑わなかったし、またそれがなければとても生きていけそうもない、と本気で思っていた。そんな私が2年もどうにかこうにか今こうして生きている。頭がおかしくなることもなく、病気になることもなくちゃんと生きていることは、コロナ前の私からすれば奇跡のようなものだ。

 先日、押し入れを開けて、探しものをしていたら、偶然旅行関連の本を見つけてしまった。地球の歩き方ガイドブックのフランス、パリ、ことりっぷパリ等が次から次へと出てきて、懐かしさに思わず手に取ってしまった。だが、懐かしいだなんて、思い出でしかないなんて、物凄く心外だ。自分が体験した数々の出来事が、すでに過去の遺物でしかないないなんて、物凄く寂しい。このどうしようもない寂しさをどう埋めようか、方法は二つある。“去る者日々に疎し”で忘却の彼方に飛ばしてしまうか、あるいは、再び現地に行って、思い出を現実にしてしまうかのどちらかだ。

 もう必要ないかもしれないが、今でもNHKラジオのフランス語講座のテキストを買っている。ページを捲ったら、なんと口絵のグラビアはパリのエッフェル塔の写真だった。パリの街の象徴ともいえるエッフェル塔だが、近くで見たことは何度もあるが、上まで上ったことはない。「今でなくてもいいでしょう、いつでも行けるでしょう」といつも後回しだった。ルーブル美術館やオルセー、オランジェリー等に気を取られて、あの界隈に足を踏み入れたことさえなかった。グラビアのタイトルは「いつか行ける日のために」で、その言葉に正直言って、いつか?っていったいいつ?と反応してしまった。

 今の社会情勢やら、経済状況やらを考えてみると、仕事でどうしても必要でない限りは躊躇してしまうのではないだろうか。つまり、これから先のことを考えたら、旅行にお金を使うべきかどうか、しばし考えてしまうような気がする。でも、その判断も個人の何を一番優先させるかにかかっているのだから、選択肢は人それぞれにあっていい。他人にとってはどうでもいいことでも、自分にとっては大切なことは確かにある。

 生活から旅行の2文字が消滅した私の本棚は以前とは一変したものになった。中国ドラマの時代劇ものが好きな私はラジオの「まいにち中国語」を聞くのが日課になっている。それで、旅行のガイドブックの代わりに毎月のテキストがずらっと並んでいて、その中にたまに気になった単行本や文庫が数冊ある程度だ。古いこたつをテーブル替わりに使っていて、すぐ側に本棚を置いている。座ると手が伸ばしやすい棚に今すぐ必要なものを配置して、可能な限りストレスをゼロにするよう心掛けている。本棚を見ると、その人の生活がわかってしまうのは当たり前のことで、だから他人にあまりジロジロ見られると、なんだかそわそわしてしまうのも仕方ないことなのだ。

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本棚の中身に助けられた話

今週のお題「本棚の中身」

時間を潰す必要が、でもどうすればいいのか

 以前親戚の葬儀で田舎に行った時、その土地の風習のせいで2~3日そこに留まることになった。普通はお通夜の翌日は告別式と決まっているようなものだが、土地柄なのか、”日が悪い”と言うことで、2日ほど時間が空いてしまった。さて、異邦人の私たちは一体どう過ごしたらいのだろうか、何をしたらいいのかとほとほと困り果てた。それなのに、地元に住んでいる彼らは、羨望の目で見つめる私たちの視線などにお構いなく、当然のようにそれぞれの職場に出掛けて行った。

 お通夜と葬式の間にぽっかりと空いた時間を、無駄なく使える彼らをただ見つめるしかない私たち一同は檻の中に閉じ込めれて自由を持たない動物と同じだ。監禁されているわけでもないのに、自由がないと思えるのはさしあたりこれと言って何もすることがないからだ。何か読むものや見るものでもあれば、どんなにかよかっただろう、でもその時は遊びに来たわけではない。だからこそ、時間の潰し方がわからなかった。もしも、彼らがサービス精神を発揮してくれて、退屈だからとどこかに連れて行ってくれればよかったのだが、そんなことはあり得ない。排他的で、人のことには構わない土地柄なので、天地がひっくり返りでもしない限り、期待などできやしない。

 一応、喪中なので、親戚の人たちがしょっちゅう親戚の家の出入りする。何人もの人たちがやってくるのだが、挨拶をするだけで、そそくさと帰って行く。こちらは誰でもいいから「暇そうだから、どこかに連れて行ってあげようか」などと親切に言ってくれるのを期待する。物欲しそうな目で訴えるのだが、私たちの切なる思いはさっぱり彼らには届かない。「まあ、仕方ないね、しきたりだから待つしかないね」とまるで他人事のように言う、いや、自分たちには関係ないことなのだ。「もし、どこかに行きたいなら、車を貸してあげるよ」と言ってくれる人もいたのだが、果たしてあの片田舎でどこに行けばいいのやら。どう考えても、ショッピングセンターぐらいしか思い浮かばなかった。

 もしもあの状況で家の周りになにか店とかあればよかったのだが、残念なことに何もなかった。たしか前に来た時は2~3軒先に雑貨屋があってそこでお菓子やらアイスやらを売っていた記憶があるが、すでにそこは空き家になっていた。子供がない家や子供がいても結婚しないと跡を継ぐ人がいないので、当然家は消滅する運命にある。

 それで私たちは何か食べたいものがあっても、普段のように外に行けば何でも手に入ると言うわけにはいかない。家のお嫁さんが朝パートに行く前に「冷蔵庫の物は何でも食べていいから」と言ってくれるのだが、なんだか喜べない。野菜は畑でとれたナスやピーマンがたくさんあって食料不足と言うわけでもないのに。今思うと、あれは行動を規制された隔離生活のようなものだった。

 気分転換に散歩でもすればいいのだが、ちょうど真夏で遮るものがない田舎では直射日光が容赦なく照り付けて外にはいられない。太陽の凄まじい熱量に外にでたものの、すごすごと逃げ帰った。これではとても外では過ごせないと諦めた。見渡す限りの水田地帯の緑は眩しいくらい綺麗なのだが、その美しさを眺めて楽しむ余裕はなかった。外がダメなので、自然と私たちの視線は家の中に向いた。家に大勢の人が集まるので、自分の部屋を差し出して、行き場を失ったその家の娘たちの本棚が部屋の隅に置かれていた。今は使われていないその部屋には一時避難したタンスや机が置かれていていっぱいだったが、私たちにとっては誰にもじゃまされないホッとできる空間だった。

 自然と本棚に目がいった、「一体どんなものを読んでいるのだろうか」。正直言って、その持ち主にはたいして興味はないが、本棚の中身には興味津々だった。まるで人の心の中をのぞき見するような気分になるから不思議だ。ざあっと見てみたら、私とは全く違うジャンルが好きらしく、よさそうだけど、手を伸ばす気にはならない話題の本もあった。この際だから、いい機会だから、今読んでしまおうかと思って、一気に読んだ。まるで、異文化体験のような感覚だった。ただ、人様の本棚を本人の断りなく、勝手に好き放題いじりまくることに少なからず後ろめたさもあった。だから少しドキドキしながら、誰も来ないことを願いながら読んでいた。

 幸運にも、本棚の持ち主から「何勝手なことしてるの!?」なんてことは言われずに楽しむことができた。時間を潰さなかければならない羽目になり、どうしようかと悶々としていたが、あろうことか、他人の本棚の中身に助けられた。

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ランドセルの色、好きな色ではダメなの?

▲6月7日の朝日新聞夕刊から

色は50色、好きな色を選べるはずなのに

 通勤途中、近所で登校中の小学生を見かけることがある。彼らが背負っているランドセルの色が様々なことに時代を感じてしまう。男の子は黒、女の子は赤でと、それが当たり前で、それしか選択肢がないと思い込んでいた。ピンクがいいとか、もっと他の色がいいだなんてことは考えもしなかった。ランドセルの色は制服と同じで規則で決められているのだとばかり思っていた。規則を破るなんてことは勇気のいることで、集団の中で目立つことだ。だから、少しなんか変だなあと思っても言わない方が、日々を安心して穏やかに過ごすことができた。ランドセルの色にこだわるなんてことは余計なことだった。

 ランドセルメーカーの土屋カバン製作所は「今年、顧客の好みの多様化に対応するため、約50色を用意した」そうだ。ところが、購入したランドセルの色のランキングを見てみると、少し意外な結果になっている。男の子の上位5色は1位が黒で58.4%と圧倒的人気で、次は紺で17.6%、それから青、緑、こげ茶と続く。どの色も男の子色?のように感じてしまうのは私だけなのだろうか。本当に男の子は黒が好きなのだろうかと疑問に思ってしまう。大人には想像もつかない、それの何が面白いのか理解不能なことをやってのけるのが本来の子供だ。子供の好きなように選んだのならこんなステレオタイプな結果になるのだろうか。もっと性別を超えたバラエティに溢れた選び方をするだろう。黒に集中すること自体がなんだか可笑しい。

 では女の子はどんな色を選んだのだろうか。女の子の上位を見てみると、1位はピンクではなくて、紫と薄紫で、24.1%、次は桃で21%。それに続くのは赤で17%と全体の6割をこの3色が占めている。4位は私も気になっていた水色で、近所の小学生の女の子もそうだった。どうやら女の子は水色が好きらしくて、普通に考えたら性別を感じさせない中性色だと思うのだが、男の子がその色のランドセルを背負っているのは見たことがない。水色は女の子の色?とでも思っているのだろうか。私個人としては、子供の頃から水色は大好きで、大人になって水色のランドセルがあるのを知ってすごく羨ましかった。ピンクよりも落ち着ける色で、とても綺麗な色だと思う。

 気になったのは、5位にうす茶が6.6%で入っていることで、これはもう大人の感覚で選んでいると言ったら、私の偏見でしかない。大人の女性は好きな色はピンクやオレンジであっても、普段持ち歩くバッグは落ち着いた色、例えば、グレー、茶、こげ茶、黒を選ぶ傾向にある。それは私だけかもしれないが、色鮮やかな原色のバッグを持っている人は数少ない。だから、人目に付く洋服やバッグではなくて、小物に好きな色を選ぶことが多い。ひっそりと、こっそりと自己満足に浸っているのが現実だ。

 ジェンダーレスを目指す今の世の中からすれば、女の子が黒を選んでも何の問題もない。実際大人の女性は黒が好きだから、それが子供であっても何の不思議ではないはずだ。なのに、女の子だからと言うだけでこうあるべきという色眼鏡で見ようとするから自由でなくなるのだ。では具体的にはその自由を阻むものは何なのだろう。

 土屋カバン製作所の広報担当者は、売り場で「赤が欲しい男の子が”女の子カラーだから”と諦めたり、女の子が黒を選びたいのに”男の子の色だよね”と親に言われる光景を目撃した」と言う。どうやら、選ぶ子供自身にもいつの間にかステレオタイプなイメージが刷り込まれているようで、周りからとやかく言われたくない気持ちの方が強いようだ。おそらくその子が育った環境にも影響されるし、何よりも社会全体が異質なものに対する許容度が低いことも問題だ。女の子の黒も、親は好きな色を選んでいいと言ったにも関わらず、建前はそうでも気持ちとしてはしっくりこないのが現状なのだろう。

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