人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

歯の痛み、これからどうなる

先生の言葉を信じるしかないか

 昨日に引き続き、また歯の話で恐縮だが、やはり気になるものは気になる。先週の土曜日に思わぬ予約のキャンセルが出たおかげで、飛び入りなのに待たずに診てもらえた。「歯が痛いのに大変申し訳ないのですが、少し押しますよ」と言いながら、前歯に被せてあったカリブタ、おそらく、仮蓋を先生は外した。するとピンセットの先に糸のようなものが付いているのが見えた。「ほら、見てください、糸の先には血液も膿も何も付いていません」と私に指し示しながら説明をする。どうやら、神経を取った後の傷口の痛みではなさそうだ。なのに、痛みが出ると言うことはやはり、まだ神経の興奮が収まっていないからだ。落ち着くのには、元の状態に戻るにはまだ少し時間がかかると言うことだった。

 先生に「仮蓋を取ったら、痛みが少し収まった感じはありますか」と尋ねられたので、「たいして変わりはありません」と答える。「う~ん、どうしようかなあ、開けっ放しにしたほうがいいのかなあ、それとも、仮蓋をしたほうがいいのかなあ」と先生は暫し考え込んだ。もし、仮蓋の圧迫感で痛みが出たのなら、また同じことをするのはリスクがあるからだ。それでも、私の場合は関係なさそうだと判断して、先生は仮蓋をすることにした。実を言うと、その時の私は、歯に多少じ~んと来る痛みはあったが、何かしら気分はすうっとしていた。要するに、歯医者で診てもらったおかげで、心に保険が掛かったわけだ。

 そう言えば、仮蓋で思い出したのだが、以前歯の治療中に海外旅行に行った時、旅先で少し歯が痛くなった時があった。その際に先生に「そういう時は、仮蓋を取っても構わないですよ」と言われたことを思い出してその通りに実行した。その結果、先生の言う通り歯の痛みはすう~っと消えた。確かその時はただの虫歯で、今の神経治療後の処置とはまた別ものなのだが。

 処方箋を貰って気分が落ち着いたのか、薬局でロキソニンを受け取ると、歩いて30分のスーパーに行こうと思い立った。買いたいものがあった。そこの店にしか置いていないもので、それは綿100%のTシャツで、夏に実家の法事に行く予定がある私には必要不可欠なものだった。ちょうど時間があったので、ついつい行こうと言う気になった。考えてみると、普通なら歯医者の帰りともなれば、一目散に家に帰りたくなるのが人の常というものだ。この時の私は寄り道をするのを全く厭わなかったのだから、それぐらい気分は上々だったのだ。それも、スーパーに行ったところで、お目当てのTシャツが売っているのかどうかもわからないのに。時代の流れか、昔からあるその老舗のスーパーは最近は新しくできた他のスーパーに押され気味で、昔に比べると品ぞろえがよくなかった。だが、そこには一つ問題があって、他のスーパーには衣料品が置いていなかった。近隣で何かを求めようとすれば、そこ以外には選択肢はなかった。それなのに、その貴重な売り場さえももはや風前の灯火と言える悲惨な状況だった。

 だが、幸運にも、私はお目当てのTシャツを6枚も買うことができたし、少し前に行った時よりも、品揃えは遥かによかったので安心した。おそらく誰かが店側に苦情を訴えたのだろう、食料品を買うついでに、衣料品も買えてしまうのは一石二鳥だ。もっともこんなことは当たり前のことかもしれないが、私の住んでいる地域では世間では普通だと思われていることができない。

 さて、ルンルン気分で帰宅した私は、歯の痛みを忘れていた。その日は何事もなくご飯を食べて、風呂に入って寝た。ところが、次の朝布団の中で目が覚めた瞬間、歯にじ~んとした痛みを感じた。ズキズキではない、ジワジワと押し寄せてくるような痛みを感じて慌てまくった。もう痛みとサヨナラしたはずだっのに、忘れていたはずの痛みと再会したような情けない気分になった。真っ先に思いついたのは、薬局で貰ったロキソニンを飲まなきゃと言うことだった。その時朝の5時10分で、痛み止めを飲んだおかげで、あくる日の朝までずうっと快適に過ごせた。そして今は月曜日の午前中で、今こうしてブログを書いているが、そろそろ薬が切れる頃かと思うと、実は少し不安なのである。

mikonakoron