人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ICレコーダーが限界にきた

目覚ましの音が鳴らなくなった

 今朝私は寝坊をした。まさか、まさかのICレコーダーから、NHK第一のニュースが聞こえなかったからだ。いつも2つのICレコーダーをセットし、最初は5時10分、次は5時15分に鳴るようにしていた。いくら私がネボスケでも、二段階認証のごとく、目覚ましをかければ、安心だと今までずうっと信じて来たのに、ついにその日が来た。その日とは、今活躍しているICレコーダーの引退で、近頃はやたらと電池がすぐなくなるとは気づいていた。だが、それがなぜ今なのか、と歎いてみても始まらない。手っ取り早く現実を受け入れた方が身のためである。

 念のため、オンタイマーをリセットし、目覚ましが鳴るかどうかを確かめる。確かに鳴ることは鳴るが、音量が24なのに何とも優しい音で、これでは目覚ましとしては役に立たない。因みに最大音量の30にしてみるが、普通なら耳をつんざくばかりの大音量のはずなのに、全然平気だ。明らかに音が出なくなっている、要するに寿命なのは明かだ。今朝布団の中でもうすぐICレコーダーが鳴るはずと思っていたら、寝過ごしてしまった。家人に「どうしたの?」と呆れられる始末で、なんとも体裁が悪かった。

 いつも、NHKラジオの「大谷選手が移籍第一号のホームランを打ちました」との最新ニュースや、「雨雲が本州付近に向かって移動中です」などの天気予報を聞きながら、目覚める習慣になっているのに、今朝は何も聞えなかった。慌てて起き上がってみたものの、暫しぽかんとして動けなかった。何も考えられなかった。いつものルーティンが狂ってしまったおかげで、今日はトイレと台所の床掃除はサボった。やりたいが時間がないので、まあ、良しとしよう。

 さて、問題はICレコーダーをどうしようかということで、まだ使えるなら、騙し騙し使い倒そうと思った。当然明日も頑張ってもらわないといけないので、音量を最大の30に設定しておく。今晩からはICレコーダーを枕元に置いて一緒に寝ることにする。音量が低いとなると、NHKの語学番組がちゃんと録れているかどうかが凄く気になった。幸い大丈夫なようだが、それも時間の問題で早急に新しい物を買った方がいいことは言うまでもない。ICレコーダーを二つ買わなければならないとなると、二つで3万円ほどの出費である。

 ふと、今あるICレコーダーはいったいどのくらい使っているのだろうと気になった。過去にNHKの語学番組を録ったマイクロSDカードを取り出して、調べてみた。すると、一番古い期日のものは2016年の10月3日から11月25日となっていた。2016年と言えば、今から8年前ということだ。何でも電気機器は10年持てばいいと思っていたが、それはあくまで理想で、普通は8年も経てば、ガタが来て当たり前だ。私が愛用しているICレコーダーにもついにその時がやってきたて、それが今なのだった。これからはどんどんその機能が衰えて来て、やがては録音ができなくなるかもしれない。そうなったら元も子もないので、すぐにでも買いに行きたい。だが、今の私には大事な用事があってすぐには行けそうもない。

 大事な用とは、眼科での視野検査の予約のことだ。昨年9月に右目が炎症を起こして検査した結果、左目の神経が普通の人よりも薄い部分があることがわかった。それの何が問題かというと、緑内障のリスクが大きいということで、年に何回かの定期検査が必要だと先生から言われた。視野検査は両目の視界がちゃんと開けているか調べる検査で、20分にも及ぶので、疲れてしまう。もちろん時々休憩は挟むのだが、何しろずうっと集中力を必要とするので、私などは想像しただけで逃げ出したくなる。ただ、目が見えなくなると考えるだけで、もう絶望感が半端なく襲ってくるので、嫌でも受け入れるしかない。

 ICレコーダーの話に戻ると、買ってから8年にもなるので、最近はどういう機種になっているかもさっぱりわからない。まずはネットで検索してみてから、ビッグカメラに買いに行くとしよう。

mikonacolon

 

目立たない所を綺麗にしたい

今週のお題「きれいにしたい場所」

いつも思うのにすぐ忘れてそのまま

 自慢にもならないが、私の掃除の仕方は適当で、見た目至上主義のいい加減なことこの上ない。パッと見て、綺麗に見えるのならそれでよしで、いつも自己満足している。そんな私でも、イラついている時や、根拠のない不安に取りつかれている時などは、普段は気にならない汚れがやけに気になる。例えば、壁にある電気のスイッチに手あかがついているのを発見した時などは、「わあ、嫌だ、汚い!」と触るのもおぞましいように思うが、そう思うのはその時だけで、すぐ心の中から消えてしまう。すぐに行動に移せばいいのに、嫌悪して終わりで、ちっとも視界が開けない。思うのは勝手だが、思うだけでは根本的な解決にはならないのに、すぐ忘れることで解決したと錯覚しているのである。

 偶然?発見した汚れている場所を綺麗にすれば、どれだけ気持ちよくなれるかは十分想像できるが、面倒臭さが邪魔をして身体が動かない。一番気になっているところは洗面台で、台所のシンクよりもはるかに始末が悪い。なぜなら、シンクは色がシルバーなので、薄暗かったりすると、汚れが目立たない。だが、洗面台は陶器で輝くような白ときまっている。うちの洗面所は薄暗くて、電気をつけない限り、洗面台がどうなっているかはよくわからない。つまり、ぼんやりとした白さに見えるので、それで助かっている。以前、洗面台をようく観察してみたら、白いどころかまだら模様ができていた。はて、最後に掃除したのはいつだっけと胸に手を当ててよく考えてみても、答えは出ない。

 実を言うと、私は洗面台をどんな洗剤で磨いたらいいか、わからなくて、全ての洗剤を導入してゴシゴシやっていた。テレビでアルカリ洗剤を使ったやり方を知って、試してみたが、あまり落ちない。それに、まずはあの白さを維持できること自体、夢のようだとつくづく思う。どうにもこうにも上手くいかないので、やけを起こした私は、トイレの”混ぜるな危険”と表示された洗剤を使ってしまったことがある。その洗剤で毎日トイレ掃除をしていると、あら不思議、CMでやっている”サボったリング”とは無縁になった。とにかくよく落ちてピカピカになるのだが、困ったことには気を付けないと着ている洋服にも白い模様がついてしまうのだ。それで、ジーンズを2本ダメにした経験がある。

 トイレ洗剤の威力に感心した私は、洗面台にも早速使ってみた。洗剤はジェル状になっているので、ビニールの手袋をはめた手で洗面台の表面に伸ばして塗った後、5分ほど待って水を流す。洗面台本来の白さを取り戻すことができて、めでたしめでたしと言いたいところだが、塩素臭さが鼻につくのが難点だ。暫しの間だけで、またすぐに白だか何だかわからない鼠色になってしまうのだが、それでも、清潔で白さが際立つ洗面台は快適なことこの上ない。旅行で宿泊したホテルのピカピカの洗面台を思い出す。

 自ら積極的に動いて、懸命に汚れを落とす行為は、ある意味、気分転換できる要素を持っている。最近そのことに初めて気が付いた。例えば、先日などは自分でも理由が探せないほど憂鬱な気分だった。いつもは見過ごしている台所のシンクの汚れが目に付いて、我慢ならなくなった。寝ようとしていたのに、すぐにパジャマの袖をまくり、クレンザーをスポンジにつけて、シンクを磨き始めた。その時の自分はいつもの面倒臭がり屋の自分ではなく、ただ綺麗にしたいだけという純粋な心でもって動いていた。ものの10分ほどで、シンクは綺麗になった。そしたら、いつの間にかあんなに憂鬱だった気分がすっかり消えていた。自分としては、実に不思議な感覚だった。時には掃除が気分転換になりうるのだと大発見でもしたように感じた。

 だから、目立たない場所や、隅っこの汚れを取り除いたら、さぞかし爽快な気分になれるに違いないと想像できる。誰にも気づいてもらえないだろうが、それは私だけの秘密でありささやかな喜びであっていいとさえ思う。

mikonacolon

 

掃除した記憶がない冷蔵庫の中、冷凍庫の中

今週のお題「きれいにしたい場所」

気にもしていないので余計に気にかかる

 冷蔵庫の中、冷凍庫の中のことをわざわざ思い出して、話題にしてみると、なんだか心配になってきた。何がそんなに気になっているのかというと、言うまでもなく庫内の衛生状態のことだ。持ち主の私が掃除した形跡はないが、はた目には気になる汚れもないので、そのまま放置していた。本当は年末の大掃除、いや何も年末でなくてもいい、一年に一度くらい大掃除をすればいいだけのことだ。だが、何ごとも”言うは易く行うは難し”で、行動が伴わない。綺麗にすれば、努力しただけの達成感がムクムクと湧いてくることはわかってはいるが、なんせ肝心の身体が動かない。まあ、いいか、現状維持でもと自分を宥め宥めて、他のことを、自分のしたいことの方に気を向けて無視して終わりだ。

 最後に冷蔵庫の掃除をしたのはいつだったろうか、記憶が定かではない。そう言えば、以前冷蔵庫の中に入れて置いた残り物の汁が垂れて、庫内が汚れたことがあった。焦って、焦りまくってできるだけ早く何もなかったことにしようと、素早く行動した。すぐに汚れが解消し、綺麗になった瞬間、心の平安を取り戻してホッとした。あの時以来、掃除をしていなかった。今ふと思いついたのだが、冷蔵庫に汚れ指数の数値みたいなものが付いていて、その指数がマックスを示してくれたなら、俄然掃除をする気になるかもしれない。人間は、あくまでも私は数値に弱いので、それが「掃除を絶対しなければならない」ことを警告してくれるのなら、迷わず従うはずだ。はっきり言って、掃除をしていない年数?に関わらず、今のうちの冷蔵庫は見て見ぬふりしてもいい状況にある。衛生状態のことなど眼中になければ、このまま現状維持でいいと思えて来る。だが、こんな考えはやはり危険だ。

 冷蔵庫の中、冷凍庫の中は共に私の悩みの種にはなっていない。私の神経を逆なですることもしないので、それが逆に私の掃除への意欲を奪っているとも言える。だが、そんな私でも、たまに掃除する場所がある。それは野菜室で、いつの間にか野菜が入っていたビニール袋や、たまねぎが入っていたネットが押し合いへし合いして、化石のように堆積している。野菜室の白い床が見えないほどになって、ようやく”これはまずい”とものぐさな私でも思う。考えてみると、買ってきた野菜を次々と野菜室に入れ、取り出して使い、無くなったらまた補充することを繰り返していた。入れるだけで、余計なものの始末をしないと、どうなるかというと、いわゆるごみの中に野菜を入れているようなもので、野菜がごみで埋もれて、見えなくなった。取り出したい野菜の姿がはっきり見えなくてイライラする。

 そうなると、これはもう掃除をするしかない。使いたい野菜をさっと取り出せないのはストレスなので、取り除くことができるなら、躊躇している場合ではない。四の五の言わずすぐに行動に移し、これまで溜めて来たごみの多さに仰天する。あるはあるは、いったい何年、いや、何か月分だろうかと想像して、よくもこんなに溜めたものだと笑い転げたくなる。掃除を終えて、ピカピカの野菜室を眺めて悦に入りながら、どうせまたいつかは混沌の状態に戻るのかとため息をつく。生きている限り、掃除は必須事項なのだから。

 綺麗な冷蔵庫で思い出すのは、子供の頃遊びに行った近所の子の家の冷蔵庫で、とびっきり綺麗だった。いつも4,5人で遊んでいたが、その子の家の親は出かけていて、家にはいなかったし、もちろんおやつなどというものは出なかった。平日だったので、おそらく父親は会社に行き、母親はスーパーでパートをしていたのだろう。ある時、なにか食べ物がないだろうかと、冷蔵庫を開けてみたことがあった。その家は4人家族なのだから、いくら何でも何かあるだろうかと期待したら、何もなかったので皆がっかりした。特筆すべきは、本当に何もなくて、冷蔵庫の中が綺麗すぎることで、子供ながらもの凄い衝撃を受けた記憶がある。庫内の白さがひときわ際立っていた。今思い出しても、まるで生活感がない冷蔵庫で、子供が二人もいる4人家族の家の冷蔵庫だとはとても思えない。いったいあの家では毎日何を食べていたのだろうかと謎が深まるばかりだ。

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それはズバリ、口の中

今週のお題「きれいにしたい場所」

綺麗にしたいが、よく見えない

 私にとって、きれいにしたい場所は五万とあるのですが、すぐに思い浮かんだのは、口の中です。つまり歯に関連したことなのです。それはこれまでの苦い体験と、これからも続く苦難の日々を如実に物語っている発想なのです。ここのところ、歯医者で経過観察で済んでいたのに気をよくしていい気になっていました。だが、そんな穏やかな日々は歯医者の先生の一言で終わりをつげ、またまた歯科治療の憂鬱な日々を送らなければならなくなりました。上の左奥歯に、何と2本の歯に虫歯が見つかったのです。念のため「レントゲンを撮りましょうか」と先生に勧められてわかったのです。もっともその2本は差し歯なのですが、差し歯にしたからと言って安心できません。持ち主の知らない間に、虫歯は進行するので、油断大敵です。

 かくして、今の差し歯を外すのに身の毛もよだつあのギイ~ンギイ~ンという振動を我慢し、やっとのことで差し歯が外れました。それからは俎板の鯉のごとく、先生にお任せし、本場の型どりをしました。コスパを重視する先生は、定期検診で虫歯が見つかった時点で、用意周到に借り歯を作っておきました。なので、2週間後には本歯が出来上がってきます。問題なのは1万円ほどの出費が発生することです。以前のようにロシアから原料が手に入れられないために、差し歯や銀歯の価格が相当に高騰しているようです。たしか以前は1本に付き4千円もしなかったのにと溜息をついたところで、それが何になるでしょうか。黙って受け入れるしかありません。

 そんな時は以前新聞に載っていた米国在住の特派員の人のコラムを思い出して、まあいいかと納得するのです。アメリカでは出産費用が200万円かかるだの、医療費が天文学的に高いだのと聞いたことがありました。そんなことを聞いても、別世界の事でピンときませんでした。ところが、特派員の人の「虫歯治療に3万円、神経の治療や差し歯を入れたら、その10倍費用が掛かかった」との記述を読んで、震え上がってしまいました。幸い、その人は会社の健康保険に加入していたので、後からお金が戻って来るようですが。

 となると、毎日の歯のケアは欠かせません。昔から風邪ぐらいでは外国人は医者には行かないで、オレンジジュースを飲んで済ませるのだと噂されていました。でも、歯に関してもそうなのでしょうか。お金がかかる、それも大金が必要となれば、自然と足が向かなくなるものですが、歯に関して言えばそれは難しいです。歯の痛みとお金とを天秤にかけたら、迷うことなく歯の痛みが勝ちます。いくらお金がかかってもいいから、歯の痛みをどうにかしたいと心から願うでしょう。

 別世界の話はさておき、健康保険に加入していて、普通に治療が受けれられる私でも、それなりに悩みはあります。それは口の中がどう努力しても、コントロールできないということです。歯に関して言えば、見えない歯の裏側や奥歯は別にしても、しっかり自分の目で見えている前歯さえも、虫歯菌から守れないことに無力感を覚えます。毎日、それなりに時間をかけて、細心の注意を払って磨いているつもりです。いいえ、歯磨きだけでは足りないので、歯間ブラシも2種類使って、食べかすを取り除いています。歯医者の先生に、「歯間ブラシは歯周病予防で、虫歯の予防にはフロスなんですよ」と言われて、頭をガツンとやられて以来、フロスで歯と歯の隙間をごしごしとやるようになりました。

 でも、それだけでは足りません。なぜなら上の歯の裏側はブラックホールのごとく目に見えず、未知の世界で、一体全体どうなっているのかさえも見当がつかないからです。磨いているつもりで、一応歯ブラシを当ててみるのですが正直虚しいです。そのことを歯医者の先生にぶっちゃけると、「それだからこそ、お手数ですが、定期的に歯医者に通ってもらう必要があるのです」と諭されてしまいました。「はっきり言って、ゴールは無いのですよ」とも言われ、生きている限り付き合いは続くのだと思い知らされました。

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つくしの異変

どうして今頃、生えてくるの?

 昨日いつものように散歩をしていて、面食らった。なぜなら、ありえない場所につくしが生えているのを見つけたからだ。それは去年ゾロゾロとつくしが群生していた場所で、坂道に面して建っている市営住宅の敷地にある石垣のようなところだった。3月に入ってから、もうそろそろと楽しみにしていたが、何も生えてはいなかった。それもそのはず、冬が来る前にすべての雑草を草刈り機で根こそぎ取り去ったからだ。普通なら雑草が繁茂し、これでもかと伸び放題になっているはずだが、草刈り機の威力には抗いきれないらしい。つくしどころが、雑草一本だって生えてはしない有様だった。うまい具合に土の中に雑草の種子でも隠れてはいないだろうか、あるいはわずかなつくしの生命の一滴でも残ってはしないかと淡い希望を抱いてみたが、無理な注文だった。

 去年つくしが生えていたその場所を見上げると桜が綺麗に咲いている。桜の木は太陽の光を全身で浴びているが、つくしの居場所は日当たりが悪い。まあ、つくしはそんな日陰の場所に生えているものだが、桜とつくしのコンビネーションが信じられなくて、新鮮な驚きを私に与えてくれた。もちろん、坂道を急ぎ足で通り過ぎる人は私などには目もくれない。いったい何をしているのですか、何か探しものですか、などと声をかけてくれる人などいやしない。皆自分のことで忙しく、他人のささやかな言動を気にかける暇などないようだ。いや、別にそんなことはどうでもいい。それに、私が、「ちょっと見てください。こんな時期なのにつくしがどんどん生えてきているんですよ」と自然の生命の不思議を強調したところで、「それがどうしたのですか?」と呆れられるにきまっているだろうから。

 それを良いことに、私は朝っぱらから、「凄い、凄いねえ」とひとりごとを言いながら悦に入っている。たまに人が通り過ぎても、気にしなくていいので気が楽だ。桜が満開の季節につくしと出会えたことに、今年は無理かと諦めかけた矢先につくしを発見できたことにとても満足している。たかが、つくし、でも季節外れのこの時期に出会えたからこそ、余計に気になってしまう。それどころかつくしは今が成長期らしく、地面からニョキニョキと顔をいや、頭を出してぐんぐん伸びているところなのだ。ふと周りを見ると、スギナもちらほら姿を見せて、少ないながらも他の雑草も生え始めてきている。もしかしたら、この日当たりが悪い石垣は今がちょうど春の目覚めを経験しているところなのかもしれない。

 最近の目まぐるしく変わる天候を考えると、植物が勘違いしてもおかしくはない。近所の桜は今が満開だが、もうすでにツツジも開花している。あれ、桜の次がツツジではないのかと私などは二つの花の同時進行の開花に戸惑っている。そうなると、次に咲くのはアジサイかと気の早いことを言いたくなる。今気になっているのはハナカイドウの花で、ピンクの小さな可憐な花が美しい。そう言えば、岸本葉子さんが日経に連載しているコラムの中で、自宅マンションの猫の額のような庭にハナカイドウを植えたと書いていた。岸本さんの部屋は一階だが、家にいても桜が見たいと思った。自宅の窓から何か心が華やぐようなピンクの花が見たいと知り合いの庭師さんに相談したら、桜は無理だが、ハナカイドウならと勧められた。岸本さんの狭い庭では桜は根っこが広がりすぎて向かないようだ。最初は残念に思った岸本さんだが、今ではハナカイドウにとても満足しているそうだ。

 花見に行かなくても、いつでも桜が見られるのは限られた人だけに与えられた特権だと言っても過言ではない。岸本さんのコラムを読んで、これもひとつの贅沢かもしれないと実感した。思えば、コロナ禍のおかげで、それまでないがしろにしていた自然との交流が始まった。そんなことに構っていられなかった、お金や時間のコスパにばかり気を取られていた自分を省みる時間を与えられたのだ。

mikonacolon

 



 

韓国ドラマ『嘘の嘘』

これからの展開が楽しみ

 中国の動画配信サイトのアイチーイーからやっと抜けられた。自分ではすでに昨年の12月で解約したつもりだったのに、そうではなかったとわかったときは愕然とした。先日銀行口座から引き落としがないことを確認してほっと胸を撫でおろした。実を言うと、解約したら、すぐにフジテレビ系列の動画サービスのFODに入ろうと思っていた。見たいドラマがあったからで、それは年末年始に実家に帰省した時にBSでやっていた『大秦帝国』だった。家に戻ってからネットで検索してみたら、FODで配信されていると知った。すぐに入るはずだったが、アイチーイーのことが気になってできなかった。

 そうしているうちに、民放でもいくつかの韓国ドラマが始まって、今はそれを見ている。週に2回の放送だが、録画してまとめて見る私には十分だ。そのなかでも、今注目しているのは『嘘の嘘』で、いったい”うそのうそ”とは何なのかという素朴な疑問が浮かんでくる。”うそのうそ”とは翻っていえば、本当のことであり、真実だとも言える。ドラマのヒロインはイ・ユリさんで、彼女は”愛憎劇の女王”と呼ばれているそうだ。優しい顔立ちで、スラリとした立ち姿からは、愛憎に塗れた、なりふり構わぬ女性のイメージは湧いてこない。このドラマの主人公のチ・ウンスは副社長夫人で皆がうらやむような存在だったが、ある日突然、夫殺しの罪を着せられて、刑務所に送られる。ウンスはその時妊娠していて、ドラマは復讐劇というよりも、その時お腹にいた子供を中心に展開する。

 普通は刑期を終えて出てきてまずやるべきことは、自分を陥れた者たちへの復讐と決まっているが、それよりも、ウンスの場合は子どもだった。生きがいとも言える子供と引き離されたウンスは、子供の居場所を必死で探す。死んだと聞かされた子供が生きていると知ったときのウンスの喜びは到底言葉では表現できない。自分は受刑者だから、子供に面と向かって、自分が本当の母親だと名乗ることは許されない。今は何処かの裕福な家庭に引き取られ、幸せに暮らす子供を一目見ようとするが、ひと目だけでは満足できるはずもない。ウンスは遠くから子供を見守ろうとする。こう書くと聞こえはいいが、要するにストーカーである。

 子供の名前はウジュで子役の女の子はとてもかわいい子だ。父親は新聞記者で、演じているのはヨン・ジョンフンさんで、以前別のドラマでとても好感が持てた俳優だった。正直言って、私はどろどろの愛憎劇は苦手だが、ジョンフンさんが出ているなら見てみるかと考え直した。どろどろの渦中に爽やかな風のようなジョンフンさんが巻き込まれたらどうなるのかも気になって仕方なかったから。

 生みの親なら自分の子供が別の家庭で育てられていると知ったら、取り戻したいと思うのが普通だ。だが、ウンスは違った。子どもに母親が元受刑者だという重荷を背負わせたくないと考えた挙句、父親の女になってもいいと決心する。つまり、父親が離婚して独り身なのを良いことに、父親を誘惑し、上手いこと立ち回って子供の母親に収まろうと企む。化粧品会社に勤めていたウンスは美術の才能に恵まれていて、その才能は娘にも受け継がれていた。絵の先生として娘に近づき、完全に娘を自分のとりこにしたウンスの標的はその父親だった。ここから、ウンスは獲物を狙う黒ヒョウのごとくしなやかに変身する。

 はた目から見たら、嫌らしいほどの、わざとらしさで父親を翻弄する。くもの巣を張って獲物を狙っている毒クモのごとく、虎視眈々とその機会を待っていたのだが、予期せぬ邪魔が入る。離婚した母親が突然ウンスの前に現れ、「いずれ元のさやに収まるつもり」だとウンスをけん制してきたのだ。焦ったウンスはまだその気になっていない父親に「好きです」などと告白してしまう。過去に妻に浮気され、今も心に傷を負う父親にとってその告白は逆効果だったようだ。どう見てもウンスの言動は時期尚早だった。さて、これからどうなるのか、来週の放送が楽しみだ。

mikonacolon

人生相談の回答に目から鱗

ありのままの自分を否定しない

 中日新聞に載っていた人生相談の回答を読んで、思わず目を見張った。なぜなら、一般的な回答とは全く一線を画した相談者に配慮した内容だったからだ。相談者の女性は80代半ばの夫の介護生活に日々明け暮れていて、毎日がつまらないという。夫婦仲が悪いわけではないが、大好きな旅行にも行けないので、一人だったらいいのにと考えてしまう。何よりも嫌なのは、夫を施設に入れて、早く自由になりたいと思ってしまう自分自身だ。何処にでもある介護生活の風景だが、果たして、この相談者にどう向き合ったらいいのか、せっかくお便りを寄せてくれた困っている人の助けになるだろうか、と私なりに考えてみた。だが、縁あって夫婦になったのだから、何かで気をそらし、少しでも楽しみを見つけてやり過ごすしかない、などという月並みな提案しか浮かばなかった。皆から世間知らずと言われる私にだって、常識をそんなに簡単に飛び越えるような突飛なアドバイスはできるわけもない。それに相談者は夫婦仲がいいのだから、そんな我儘は言わずに妻であることを全うすべきだなどという世間に配慮したことしか言えないのである。

 どう考えても答えになっていない。相談者の悩みにちっとも寄り添えていない。これでは世間で受けがいい常識でがんじがらめにして、まるで「つまらない」と思うことが悪い事でもあるかのように、間違っているかのように思わせて、どんどん追い詰めてしまっている。あなたが我慢すればいいことなどと、何処かで聞いたようなセリフが浮かぶが、それでは相談者は何のために生きているのかわからなくなるではないか。相談者自身の人生はどうなるのだろうか、夫がいなくなればいいのになどと、毎日思う生活はまさに地獄だ。

 たいして人生経験もなく収容能力のない私の頭で考えられるのはここまでだが、回答者の松井久子さんの鋭い指摘には目から鱗だった。「あなたは、これまでずうっと自分自身の声を聞くまえに、まずは夫がどう考えるかを優先してきたのではないですか」と相談者の立ち位置をズバリ言い当てた。つまり、世間で言われる、良き妻、良き母を演じてきた女性が、介護の時を迎えて、「私の人生、いったい何だったの?」などと考えてしまう。そしてさらに悪い事に自由になりたいということまで否定してしまうのだと推測している。今までそうだと信じていた確固たるものが突然ガラガラと崩れ落ちるような感覚なのだろう。

 松井さんは私ならすぐに行動に移すのだが、と前置きしたうえで、「介護生活がつまらないと思うのは無理をしているから」と指摘する。一番大事な事は、ありのままの自分を否定しないことで、まずは「ありのままの私とは?と自分に問いかけてみて欲しいという。「たまには夫の世話を子供に任せて、気晴らしに旅行に行くとか、自由になりたい自分を否定しないことです」と相談者の思いを間違っていないのだと認め、相談者の心に寄り添った提案をしていた。さらに、「80代は仕上げの時なのに、我慢しながら毎日を送るのではあまりにもったいない。ありのままでいいと当たり前に思うことができたら、今のモヤモヤから抜け出して、あなたにとって本当に大切なものにたどり着けるのではないでしょうか」という貴重なアドバイスで回答を締めくくっていた。

 相談者がこの回答を読んで、何らかの行動に移すかどうかは別にして、「ありのままでいい、湧き上がった感情を否定しなくていい」と認めてもらえたことで、希望と勇気を貰えたことは間違いない。「人としてあるべき行動を」などという常識に囚われなくていいのだという心強いアドバイスを貰ったことは大いに助けになるだろう。そう言えば、以前見ていたドラマ『作りたい女と食べたい女』でも、相談者と同じ状況の女性が出て来た。彼女は働きながら夫の親の介護を続けていたが、もう限界だと職場仲間に漏らしていた。そんな彼女に仕事で知り合った春日さんは「自分らしくいてくださいね」と励ましの言葉をかける。その後、彼女は「私、離婚することにしたの」と驚くべき決断をするのだが、現実にはたやすい事ではない。正直そう思ったが、今ならそれくらいしないと、「自分らしく」は貫けないのだとつくづく思う。

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