人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

掃除した記憶がない冷蔵庫の中、冷凍庫の中

今週のお題「きれいにしたい場所」

気にもしていないので余計に気にかかる

 冷蔵庫の中、冷凍庫の中のことをわざわざ思い出して、話題にしてみると、なんだか心配になってきた。何がそんなに気になっているのかというと、言うまでもなく庫内の衛生状態のことだ。持ち主の私が掃除した形跡はないが、はた目には気になる汚れもないので、そのまま放置していた。本当は年末の大掃除、いや何も年末でなくてもいい、一年に一度くらい大掃除をすればいいだけのことだ。だが、何ごとも”言うは易く行うは難し”で、行動が伴わない。綺麗にすれば、努力しただけの達成感がムクムクと湧いてくることはわかってはいるが、なんせ肝心の身体が動かない。まあ、いいか、現状維持でもと自分を宥め宥めて、他のことを、自分のしたいことの方に気を向けて無視して終わりだ。

 最後に冷蔵庫の掃除をしたのはいつだったろうか、記憶が定かではない。そう言えば、以前冷蔵庫の中に入れて置いた残り物の汁が垂れて、庫内が汚れたことがあった。焦って、焦りまくってできるだけ早く何もなかったことにしようと、素早く行動した。すぐに汚れが解消し、綺麗になった瞬間、心の平安を取り戻してホッとした。あの時以来、掃除をしていなかった。今ふと思いついたのだが、冷蔵庫に汚れ指数の数値みたいなものが付いていて、その指数がマックスを示してくれたなら、俄然掃除をする気になるかもしれない。人間は、あくまでも私は数値に弱いので、それが「掃除を絶対しなければならない」ことを警告してくれるのなら、迷わず従うはずだ。はっきり言って、掃除をしていない年数?に関わらず、今のうちの冷蔵庫は見て見ぬふりしてもいい状況にある。衛生状態のことなど眼中になければ、このまま現状維持でいいと思えて来る。だが、こんな考えはやはり危険だ。

 冷蔵庫の中、冷凍庫の中は共に私の悩みの種にはなっていない。私の神経を逆なですることもしないので、それが逆に私の掃除への意欲を奪っているとも言える。だが、そんな私でも、たまに掃除する場所がある。それは野菜室で、いつの間にか野菜が入っていたビニール袋や、たまねぎが入っていたネットが押し合いへし合いして、化石のように堆積している。野菜室の白い床が見えないほどになって、ようやく”これはまずい”とものぐさな私でも思う。考えてみると、買ってきた野菜を次々と野菜室に入れ、取り出して使い、無くなったらまた補充することを繰り返していた。入れるだけで、余計なものの始末をしないと、どうなるかというと、いわゆるごみの中に野菜を入れているようなもので、野菜がごみで埋もれて、見えなくなった。取り出したい野菜の姿がはっきり見えなくてイライラする。

 そうなると、これはもう掃除をするしかない。使いたい野菜をさっと取り出せないのはストレスなので、取り除くことができるなら、躊躇している場合ではない。四の五の言わずすぐに行動に移し、これまで溜めて来たごみの多さに仰天する。あるはあるは、いったい何年、いや、何か月分だろうかと想像して、よくもこんなに溜めたものだと笑い転げたくなる。掃除を終えて、ピカピカの野菜室を眺めて悦に入りながら、どうせまたいつかは混沌の状態に戻るのかとため息をつく。生きている限り、掃除は必須事項なのだから。

 綺麗な冷蔵庫で思い出すのは、子供の頃遊びに行った近所の子の家の冷蔵庫で、とびっきり綺麗だった。いつも4,5人で遊んでいたが、その子の家の親は出かけていて、家にはいなかったし、もちろんおやつなどというものは出なかった。平日だったので、おそらく父親は会社に行き、母親はスーパーでパートをしていたのだろう。ある時、なにか食べ物がないだろうかと、冷蔵庫を開けてみたことがあった。その家は4人家族なのだから、いくら何でも何かあるだろうかと期待したら、何もなかったので皆がっかりした。特筆すべきは、本当に何もなくて、冷蔵庫の中が綺麗すぎることで、子供ながらもの凄い衝撃を受けた記憶がある。庫内の白さがひときわ際立っていた。今思い出しても、まるで生活感がない冷蔵庫で、子供が二人もいる4人家族の家の冷蔵庫だとはとても思えない。いったいあの家では毎日何を食べていたのだろうかと謎が深まるばかりだ。

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