人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

贈り物は恐ろしい

箱を開けたら、相手の真意を理解できた

 最近は残暑が厳しいので、身体の調子がいまひとつすっきりしない。残暑と一口に言っても、例年のような暑さだけでなく、時々急な寒さにも襲われるからだ。そのおかげで身体の方も慌てふためき、どうしていいかわからず戸惑っている。一番厄介なのは身体に纏わりつくような湿気で、まるで分厚いコートを着せられているみたいだ。重苦しい空気の中でやっとのとこで息をして日々をやり過ごしている。

 そんなある日、メールの文面通り、叔母の娘から宅急便が届いた。郵便局員から渡された箱を見て、想像したよりも大きかったので少し意外に思った。法事の引き出物を送るだけなら、あんな大きな箱は必要ない。となると考えられるのはただ一つ、叔母の遺品の洋服がかなり入っているのだ。箱を開けてみると、高島屋の包装紙に包まれたうすっぺらな箱が二つ有るのが見えた。一つは名前も知らないがベルギーの高級そうなクッキーの詰め合わせで、もう一つは真空パックのどんこシイタケだった。

 その二つの箱の下にはビニールに包まれた何かが、つまり叔母の洋服がごっそりと入れてあった。その塊を見た瞬間、送り主の真意がはっきりとわかった。これだ、きっと引き出物にかこつけて、叔母の洋服を処分したかったのではないだろうか。1年以上も放置して置いた遺品をそろそろ片付けてしまいたかったのか。叔母が亡くなってすぐなら納得がいくが、どうして今頃なのか、首を傾げたくなる。

 クリーニングの袋に無造作に入れられた洋服を取り出して見てみた。中には裏にボアが付いた暖かそうなコート、茶色のジャケット、セーター、ブラウスなど全部で5着の衣類が入っていた。叔母の遺品なのにも関わらず、この取り扱いはまるで不用品のように思えてきた。だいたいが、人に物を贈るのなら、それ相当の配慮があってしかるべきだ。例えば、クリーニングに出してきちんと体裁を整えるとか。もっともそれにはお金がかかるが、それとも、それらの洋服はそれには及ばない部類に属するのだろうか。

 メールの文面にはなかったが、「もし気に入らなければそちらで任意に処分してください」と暗に示唆されているのも同然なのだ。果たして、叔母の遺品を送りつけられたことに対して”善意で”と受け取るべきなのか、それとも利用されたと悪意に満ちた捉え方をすればいいのか、見当もつかない。だが、送り主は引き出物はあくまで言い訳で、本当は叔母の遺品整理をしたかったに過ぎないことは明らかだ。確かに叔母とは気心が知れていたからそれなりに思い出も多いが、叔母の娘とは取り立てて言うほどの接点もない。だから、勝手にこちらの了解を得ることなく、送りつけられてもそれほどの怒りも何もないのが正直なところだ。お互い遠く離れた場所に住んでいるので、これからも望まない限りは会うこともないのだから。

 ただ、メールの返信で「わざわざ有難うございます。コロナが落ち着いたら、どこかに行きましょう」と送ったのは、失言ならぬ、失メールだったと後悔した。あの時の気分は”来るものは拒まず”でだったが、心のどこかでそんな日はあり得ないとたかをくくつていた節もある。義姉のミチコさんと私と3人で旅行に行きましょう、という申し出にどんな意味があるのか、まずはその理由を聞いてから考えよう。たぶん、社交的な性格のミチコさんは断らないだろうから、その時はその時だ。

 遺品整理で思い出すのは親戚の葬式が終わった晩のことだ。故人の姉妹3人が部屋で遺品を物色しているのだが、聞きたくなくてもその声が聞えてくる。故人の指輪だの、ネックレスなどという宝飾品を漁って、いや、選んでいるのだがびっくりするほど熱を帯びていた。「私はこれを貰うから、あんたはこっちにしなさいよ」と言ったかと思ったら、「ロクなものがないねえ」と愚痴ったりしている。自分たちの姉が亡くなったことよりも、宝飾品に目が眩んで、悲しみのカケラすら見えなかった。

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