世界は変わりつつある、新しい一歩を踏み出せるか
以前、叔母の娘から、遺品の洋服が送られてきたことを書いた。その前に義姉のミチコさんから、法事の引き出物を送りたいことやコロナが収まったら3人で旅行に行きたいと彼女が言っていたとの連絡があった。行き先はできることならアジアのどこかがいいらしい。私が想像するには、おそらく彼女は韓国がいいと言うに違いない。その理由は叔母が生きていた時に叔母と彼女、その夫、娘との4人で韓国に旅行に行ったからだ。その時に彼女はかの地を物凄く気に入って、また是非行きたいと言っていた。ところが、行く寸前になってコロナが流行して旅行は中止になってしまった。
彼女が叔母と行った旅行は彼女の夫が「お義母さんをどこかに連れて行ってあげたい」と誘ったにも関わらず、叔母が全て取り仕切った。実は夫は韓国をなんだか良さそうと旅行先に選んだのに、かの地に行ったこともなく、また現地についての知識もなかった。そのことを知らされた叔母は仰天し、これは何とかしなければと慌てた。3日間の旅行はすべてガイドさん付きで、観光地をタクシーで回るように段取りをした。知らない土地で、迷ったりしないように、危ない目に合わないように周到に準備した。その結果、何のトラブルもなく、楽しく安全に旅行することが出来たわけだ。叔母に言わせると、お金はかかったけど、まあ、仕方ないわね、でそんなに韓国を気に入ったわけでもないらしい。
叔母の葬儀で彼女と会った時、「あの時の旅行は最高に楽しかった」と言われたので、「台湾の失敗があったからよ」と返したら爆笑された。そうなのだ、叔母が私に頼んだ台湾旅行が波乱と驚きに満ちていたからこそ、叔母は完璧なまでの準備をしたのだ。もう、あんな目には会いたくない。二度と御免だと。今度は絶対に失敗したくないと。叔母には悪いが、私がいつも行く旅行はその場まかせで、行き当たりばったりでトラブルが付き物だった。でも、世の中はうまく出来ていて、人の善意に助けられて何とかなるものだ。そのことが叔母には理解できないらしく、無理もない、うまくスムーズに行って当たり前のツアーしか行ったことがないのだから。
あの時、叔母は「私は台湾を舐めてたみたい」と嘆いたが、私にとっても青天の霹靂ともいうべき経験だった。アジア屈指の人気観光地である台北があんなに異邦人にとってわかりにくい場所で、しかも最悪のタクシー運転手に出会ったことが未だに信じられない。今まであちこちに旅行したが、ガイドブックに書いてあることと、現地事情がこれほど乖離しているようなことはなかった。九份(チウフェン)に行って、何やらゲテモノを焼いている臭い匂い、いや、食べてみればこの上なく美味しいのかもしれないが、その匂いを嗅いだ瞬間、叔母は私を置いてどんどん先にいってしまう。焦った私は、叔母を見失わないように必死になって追いかけるしかない。
誤解を招くので付け加えておくが、チウフェンは路上に観光バスが何台も止まっていて、大勢の人で溢れかえっている人気観光地なのだ。それに想像以上に西洋人が多いことに驚く。だとすると、叔母が嫌いなあの匂いも気にしなければ、十分許容できる範囲なのだ。いやそれどころか、むしろあの匂いやチウフェン独特の雰囲気に人は惹きつけられるのかもしれない。いずれにせよ、叔母と私はマスコミが作り上げた台湾のイメージと実際の台湾との落差に衝撃を受けてしまった。台湾のガイドブックを何冊も買い、台湾グルメに関する漫画を何冊も読んで、台湾をこの世の楽園と錯覚した私はなおさらショックが大きい。現地に行って、頭がガ~ンとなって、「どうしてそうなるの!?」と絶叫したかったが、叔母とミチコさんという道連れ二人がいるのでできない。
さて、コロナ禍もとうとう終わりかと思う今日この頃だが、叔母の娘に誘われたらどこへ行こうか。もう心に決めている、それは中国で、何と言っても北京で、故宮に行って膨大な数の中国の宝物を堪能したい。来年あたりには行けるか、そうなったら、中国語の勉強にスイッチを入れなきゃ。でも、本音は半信半疑で、鬱蒼とした靄がかかっているような先が見通せない状況のせいで、エンジンがかからない。
mikonacolon