人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

誕生日はノー家事デー

誕生日ぐらい家事を休みたいという発想がユニーク

 主婦が家事を休みたいだなんて、口にするのはタブーだとばかり思っていた。でも先日の新聞の読者からの投稿には『誕生日ぐらい家事を休ませて』と夫に頼んだと書いてあった。というのもたまたま自分の誕生日が休日と重なったからで、それで『プレゼントは要らないから』と前置きし、その日は丸一日家事をやらない日にして貰った。『夫も快く?承諾したので』とあったが、いやはや提案する方もする方だが、夫さんも一見我儘とも受け取れる妻の提案を尊重してくれたのだからある意味凄いことだ。

 この投稿を読んで自分も真似してみようなどと思う人もいるかもしれない。でも”ノー家事デー”にしてくれるように提案ぐらいはできるかもしれない。くそ真面目な顔では到底言えないので、冗談半分に口にすることはできるだろう。だが肝心の夫さんの反応は芳しくなく、またロクでもないことを言ってるとしか思ってもらえず、相手にされないのがおちだ。それに普段から軽いフットワークですこしでも家事をやってくれている夫さんでなければ、ノー家事デー実現へのハードルは高すぎる。「まあ今日一日ぐらいはしょうがないからやってやるか」と妻の戯言を大目に見てくれる包容力も必要になる。

 だが、普段から横の物を縦にもしない夫さんの場合は、ノー家事デーを口にするのも憚られ、最初から諦めるしかない。おそらく投稿者の夫さんはそんな無精な人ではないのだろうと勝手に推察する。『私はやって欲しい家事をすべて紙に書きだし、「わからないことは何でも聞いてね」と言って手渡した』とあるので、この夫婦は普段からある程度のコミュニケーションは取れているのだとお見受けした。そして迎えた誕生日当日は『いつもは家事に費やしている時間を自分のためだけに使えるのは、なんて幸せなんでしょう』と至福の時を過ごしたと言う。『朝ごはんは食べっぱなし、(夫が片付ける)、パジャマを脱いだら洗濯機にぽ~ん(夫が洗う)』と綴っていて、読んでいるこちらにもなんだか楽しそうな雰囲気が伝わって来る。

 久しぶりに外出し、『夕飯の支度を気にすることもなく、のんびりと自分の時間を満喫した』後、家に帰ったら、『夕飯が用意され、お風呂も沸いている』ので感激した。もちろんおかずはスーパーで買って来た惣菜だったが、それでも上げ膳据え膳は夢のようでこの上なく嬉しかった。心から夫に『ありがとう、ノー家事デー最高!』と言いたかったが、すぐに気が付いた、「夫はこれが毎日当たり前なんだよね』と。今まで考えもしなかったが、たった一日だけでも家事をしなかったおかげで、夫さんにとっての当たり前を支えていたのは自分だったのだと投稿者は気が付いたのだ。

 ノー家事デーを体験したことによって、投稿者は久しぶりに解放感を味わい、贅沢ともいえる時間を過ごして最高の気分転換ができたようだ。考えてみると、日常生活は毎日が家事の連続で、どこかのコンビニのように24時間営業でしかも休みなしだ。投稿者のように『誕生日くらい家事を休ませて』と願うのは当然のことで、決して我儘なのではない。家事は雑用に分類されるが、どうしても誰かがやらなければならない必須事項で、サボるとたちまち非常事態を引き起こす。何も家族に限ったことではなく、単身であっても避けては通れない不可欠なものだ。意識的にでもやらないと、部屋の中がゴミ屋敷と化してしまうのも時間の問題である。

 私は最近つくづく思う、今は健康で身体が動くから朝のルーティンであるトイレ掃除や台所の床の拭き掃除ができている。だが、少しでも具合が悪くなれば(幸運にも今のところその兆候はないが)たちまち今までやって当たり前だったことをパスしなければならなくなるのは分かり切っている。今のパッと見て綺麗な状態を維持できなくなり、部屋は散らかり放題で埃だらけになるが、それでも嫌がる自分と折り合いをつけて気にしないようにするしかない。エッセイストの岸本葉子さんもコラムに書いていた、部屋を綺麗な状態に保てるのは健康な身体があってこそなのだと。持病である胃腸の病気が悪化して3日ほど寝込んだら、案の定、部屋の中は宅配の荷物や洗濯物で溢れ、台所の流しは片付けられない食器で山積みになった。それで、岸本さんは自分の綺麗好きのランクを少し落とした方がいいのではないか、その方が心穏やかに過ごせるのではないかと考えたのだった。

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