人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

他人から言われた悪口

今週のお題「忘れたいこと」

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どうしても傷ついてしまうが、何とかして忘れたい

 忘れたいことのひとつにあげられるのが、他人から言われた悪口です。だいたい悪口というのは面と向かって言われるのではなく、陰でこそっと言われるのを偶然に聞いてしまうのです。あるいは誰かから「あの人達たち(職場の人間とか)があなたの悪口を言ってたよ」とご親切にも報告を受けたりします。本音を言うと「そんなこと聞きたくもなかった」でこちらとしては迷惑千万なのです。いくら何でも自分の悪口を聞かされて嫌な気持ちにならない人などいないのですから。だからそんなことは「言わぬが花」で、相手も聞きたくないはずです。「知らぬが花」で聞かなかったら、何も起きなかったと同じで幸せでいられるのです。でも私に教えてくれた人は言うのです。「あなたが知らないと可哀そうだと思って。事実を知るべきでしょう」。そんな理屈ってあるでしょうか。私は仲良しの人の悪口を聞いたとしても、絶対に本人には言わない主義なのです。だってそんな余計なことを言って相手を悲しませたくないから。笑っている顔が一瞬にして曇るのを見るのが嫌なのです。

 以前何かの本で読んだのですが、人には誰にでも幸福に生きる、毎日を気持ちよく過ごす権利があると言います。できるだけ他人から負のエネルギーを受け取りたくはないのです。だから悪口は断固として拒否したい、でも聞いてしまった事実はどうしようもないのです。すぐに忘れようとしても、これがなかなかうまく行かないのです。根の葉もないことならいざ知らず、悪口の中に一理あると大変です。なんだかんだと言い訳をして、自己嫌悪になって悩んでしまうのです。悪口を聞いてしまった瞬間から、嫌な気持ちに支配されて、その日はとんでもない一日になってしまいます。何とか頭から悪口を追い払おうとするのですが、振り払っても振り払っても消えてはくれません。「そんなことを気にするなんて馬鹿げてる」と笑い飛ばしてみても、夜布団の中に入ったら、ふと昼間のことを考えてしまうのです。我ながらもう嫌気がさしてどうしたらいいかわかりませんでした。

 そんなとき新聞でAKBのプロデューサーの秋元康さんのことを知りました。秋元さんは他人から悪口を言われた、つまり偶然にも他人が自分の悪口を言うのを聞いてしまったときの対処法をこう話していました。「僕が悪口を言われてずうっと嫌な気持ちを引きずっている時に、当の相手はそんなことはケロリと忘れて楽しくやっている。そう考えたら、なんだか腹が立ってきたんです。それってなんだかとても理不尽に思えて、それからは真面目に受け止めるのをやめたんです」

 秋元さんの言葉のおかげで私は目から鱗が落ちて、他人の無責任で言いたい放題の悪口を気にする必要はないのだと思えたのです。ただ理屈では理解できても、人の心は絶えず揺れていて、有名な詩人が言うように「人の心は鏡に似ていて、ふうっと息を吹きかけただけでもすぐ曇る」のです。それでも秋元さんの言葉を知ってからは心の痛みがすうっと消えていくのがわかりました。秋元さんのような社会的に成功している人でさえ、悪口はかなり堪えるのものなのですから、私のような凡人ならなおさらです。

 実際に私が悪口を言われたのは職場で、仕事の途中でトイレに行こうと部屋を出て行った時のことでした。トイレから帰ってきて、部屋の入口まで来ると何やら話し声が聞こえました。「あの人(私のこと」、エビが食べられないんだってね」「そうなんだよ、なんて我儘なんだろうねえ」等など勝手なことを言われていたのです。すぐに、だから私はエビアレルギーだって皆に何度も言ってるのにわからないの!と言ってやりたい気持ちになりました。我儘?違うでしょう!でも思い直してグッと抑えたのですが、アレルギーの辛さは経験したことがない人にはわからないようです。わからない人には言っても仕方がないのです。誤解を解くために声を大にして主張するよりは、まずは気にしない方が得策なのだと考えることにしました。

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