人生は旅

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パンの耳は好きですか?

パンの耳、あれって美味しいんですか?

 先日の朝日新聞の土曜版beに載っていた、アンケートのテーマは「パンの耳は好きですか?」だった。パンの耳、あれって、正直言って、無くてもいいのでは、いやはっきり言って邪魔だと思っていた。いつも仕方なく食べていて、最近では慣れて気にならなくなっていたところだった。それなのに、アンケートの結果では読者の76%のひとが「はい」と答えていた。この予想だにしなかった結果に仰天した。皆そんなに耳が好きだったのかとはてなマークが頭の中を飛び交い、あの硬くて、あまり美味しくない部分にも意外に人気があることに目から鱗だった。サンドイッチでも耳が付いているパンを使っている商品もあるにはあるが、大抵の人は耳をのこしているのを目撃したことが多々あった。それで、皆私と同じようにパンの耳が嫌いなのだとそう信じていた。

 ところが、この読者アンケートでは、耳が好きでない派はたったの24%で耳大好き派の圧勝だった。そもそも、あの端っこの硬い部分のどこがそんなにいいのか、その理由を探っていくと、どうやら子供の頃のエピソードが深く影響していることが分かった。ある読者は「祖母が切り落とした耳を油で揚げてくれたのが好きだった」とのことで、その頃から耳が大好きだったのだ。皆一様に「子供の頃から食べていた」という方が多い。どうやら耳大好き派は昭和世代が多く、「お菓子などない時代だった」のに、「誰が考え出した調理法なのか。砂糖をまぶして食べる”揚げ耳”が美味しかった」と懐かしく語る方もいた。

 驚くべきは、何でも端っこが好きだという方もいて、「何なら耳だけ食べたい。そもそも端っこが好き」という強者というか、変わり者もいらっしゃるのだ。そう言えば、パンの耳があまり好きではない私も、カステラは真ん中のフワフワした部分よりも、できれば端っこ、砂糖がねっとりと絡みついているような部分が大好きだ。カステラの濃厚な旨味が凝縮されているとしか思えない貴重な部分を食べることに幸せを感じるのだ。

 パンの耳と言うと、やはり、子供の頃の給食の時のことを思い出す。あの頃一人につき食パン3枚が皿に盛られていたが、今考えると、どうして3枚もなのか、不思議でならない。どう考えてもおかしい、ご飯のおかずとしか思えないメニューと一緒に食パンを食べなければならないなんて。でも当時はそれが当たり前で、食欲旺盛な男の子は飢えたオオカミのような速さでそれを完食していた。おそらくあの頃給食で食べていた食パンの耳が硬くて、不味くて、というマイナスのイメージだけが現在まで付き纏っているせいで、耳大好き派には絶対なれないのだろう。食パンのフワフワな部分よりも、それを無視して、敢えて耳が大好きという心境にはなれないのだ。

 それに、私だけかもしれないが、パンの耳にはどこか「節約」とか、今で言うと、SDGsのお手本のような響きがある。子どもの頃、遠足のお弁当に母は滅多にサンドイッチを作ってくれなくて、いつもおにぎりだったが、大人になったら、自分でサンドイッチを作るようになった。その時やはり、耳は切り落とすのだが、まさか捨ててしまうなんてことはできなくて、自分のお腹に食べてもらうしかない。でも厄介者の耳の部分を食べるのは苦痛でしかないので、そのうち、耳がすでに切り落とされている食パンを買うようになった。もうもったいないからと我慢してパンの耳を食べる苦行とは無縁になった。でも、まさかあの食パンの耳はどうなっただろうかなんて、考えもしなかったが。

 アンケートの記事には、「おしゃれなベーカリーを見つけました。お会計しようとしたら、”お持ち帰りください“と小さな袋に入ったパンの耳が置いてあるのを・・・」と書かれていた。だが、今自分の周りを見渡してみると、もうどこにも個人経営のパン屋さんは見当たらず、パンの耳を頂いて帰るそんな幸運にも出会うことは無くなった。

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