人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

障害者施設の給食を作る

今週のお題「やったことがあるアルバイト」



知らなかった裏側も見えて、勉強になった

 昔、障害者施設で給食を作って配膳する仕事をしたことがある。もちろん、そこには調理の大部分をたった一人で担当するチーフと呼ばれる責任者がいるのだが、それを補助するのが私たちの仕事だった。普通の社員食堂とは違って、利用者さんの障害の程度にあった食事の工夫をしなければならない。例えば、魚ひとつにしても、職員やそのままで食べられる人はいいが、大部分の人たちは小さく、細かく包丁で切り刻む必要があった。料理を切り刻むレベㇽには、粗刻み、極刻みがあって、中にはミキサーやフードプロセッサーを使って、どろどろのペースト状でなければ提供できない利用者さんもいた。その手間と労力も必要だが、一番肝心なことは、配膳を間違えると、命にかかわるかもしれないということだった。なので、面倒だなんて思うことは言語道断だった。

 調理室の隣りに広い食堂があったが、そこは職員と自由に歩ける人たちだけが利用する場所だった。ここの施設は一階に事務所と調理室と食堂があり、利用者さんが過ごす部屋は2階と3階にあった。ほとんどの人たちの食事は配膳車に乗せられて、上の階まで運ばれた。私たちはいつも名前だけで、あの人は荒刻みね、とか、極刻みねとか確認し合っていたが、それがどんな人かは知らなかったし、彼らに直接会うこともなかった。ただ、名前だけで、親近感を抱いていた。要するに仕事だから、覚える必要があったのだが、いつしかよく知っている人であるかのように錯覚していた。

 私がこのアルバイトを選んだのは時間が短く、午前中で終わるからだった。その施設に給食サービスを提供しているこの会社は、他にも小中学校や病院などでも事業を展開していた。面接のときに、担当者から学校給食の作業は量が多いので何よりスピードが要求されるが、一方の障害者施設ではスピードよりもその内容に留意することが肝心だと忠告された。実際とても神経を使ったし、普段から障害者と接する機会がない私には驚かされることも多かった。最初のうちは一見普通の食堂のように見受けられたが、ある日、ひとりの利用者さんが突然大きな声を出して、暴れ出した。付き添っている介護者さんに制止され、抱きかかえられる場面を目撃した。また、別の日は、なんとも奇妙な場面に出くわした。この施設では食べ終わった給食を利用者さんが調理室の返却口に返してくれるのだが、その背が高い青年は、返却口の上にある柱につかまって懸垂をしようとした。すぐに一緒にいた介護者さんに止められたが、どうやらその人は懸垂が大好きなようだった。それに利用者さんなりにこだわりのある人もいて、こちらが面とむかって、トレーを受け取らないと絶対に返却口から立ち去らない人もいるのだった。

 また、積極的に知ろうとしたわけでもないのに、当事者から告白されて衝撃的な事実を知らされることになった。例えば、調理全般を担当するチーフの話によると、調理師と栄養士の免許を持ってはいるが、未だに満足のいく給料を貰えていないという。彼女はこの施設の調理の責任者で、備品の管理からパートの教育まで一手に引き受けているのに、手取りは僅か16万円だった。でもまだこれでもよくなった方で、以前病院で働いていた頃はもっと少なかった。だから、この業界で働くなんてことは絶対考えてはダメなのよと真剣な顔で言われた。

 それからいつも助けられ、お世話になっていた栄養士の女の人のことを「先生」と私たちは呼んでいた。だが、ある日、彼女が正社員ではなく、非正規であることを知って絶句した。月のカレンダーを見て、祝日が多い時などは当然収入が減るので、それが悩みの種だと嘆いていた。収入のこともあって、実家から電車で1時間半かかるこの施設に通っているが、やはり通勤時間が長いのは疲れるので、アパートを借りることにした。私の「家では何を食べているのですか」という質問に、彼女は「安くまとめ買いして置いた冷凍のさんまをおろして食べているのよ」と答えた。なるほどそっちの面で栄養士としての仕事が役立っているのかと大いに納得した覚えがある。

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