人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

うずまきパン

月に一度の特別なパン、ゆっくり味わう

 小学校の給食の時に出るパンは、子供にとっては味もそっけもない食パンだった。3枚もあって、一枚はマーガリンやたまに出るイチゴジャムをつけて食べればよかった。でもあとの2枚はどうやって食べればいいのか、いつも悩みの種だった気がする。当時は何でも好き嫌いせずに食べる決まりになっていたので、残すなんてことはできなかった。だから食べられなかった時は家に持ち帰っていた。食パンが入っているケースには必ず紙が敷かれていたので、その紙を少し拝借して、残りのパンを包んでこっそりランドセルに入れたものだ。私だけでなく、皆もそうしていたので,先生に見つからないかなんてドキドキすることもなかった。

 考えてみると、給食はなぜパンなのだろうか、ご飯よりも何か都合がいいのだろうか。当時はそんな疑問なんて抱いたこともなかったが、家で食パンを食べる機会はほとんどなかったので、子供心に給食は食パンが当たり前なのだと思い込んでいた。食パンに悩まされていた私が、既述した揚げパンと同様に楽しみにしていたのがうずまきパンだった。うずまきパンは遠い記憶の断片を繋ぎ合わせてみると、あれは現在のディニッシュのようなものだ。当時は近所にパン屋というものがなかったし、あんな美味しいパンがあることさえ知らなかった。

 パン生地が渦を巻いていて、まるでアンモナイトの化石のような形をしていた。うずまきパンの時は教室中にバターの良い匂いが漂っていて、食べる前から美味しい匂いを味わうことができた。たしか中にはクリームなどは入っていないが、砂糖の粒粒が付いていて、シンプルなのにバターの凝縮した味だけで幸せになれた。もちろん、うずまきパンに一気にかぶりついたりはしない。少しづつうずまきをちぎるようにして、ゆっくり時間をかけて味わった。うずまきパンの時は他のおかずなんてどうでもよかった。でも悲しいことに幸せな時間には終わりがある。それでもまた次回のうずまきパンの日を楽しみにすればいいだけのことだった。

 幸せいっぱいの私の側で、クラスの男子は何か物足りなそうな顔をしている。それもそのはず、食パン3枚とうずまきパン1個とでは、誰が見ても違いすぎる。どう考えても、食パン3枚の方がお腹が膨れるに決まっている。クラスに欠席者がいれば、余りものがあるのだが、不思議なことに美味しい物の時は誰も休まなかった。「腹減ったなあ」とかなんとかぶつぶつ言ってはいるが、そんな雑音は馬耳東風と聞き流す。質より量を重んじる男子には悪いが、なんでもいいから詰め込んで満足するなんてことは考えられなかった。

 大人になってから、都会のパン屋に行ったら、給食のうずまきパンと似たようなものを見つけた。もうその頃は子供の頃の感激をすっかり忘れていて、「ふ~ん」とそっけない態度だった。それはシナモンロールで独特なニッキの香りがするディニッシュだった。買って食べて見たが、給食のうずまきパンの味にはかなうはずがない。パン生地が柔らかすぎるし、表面がカリカリになっていない。本当は生地が何層にもなっていて、その隙間に砂糖の粒が入っているのが見える感じがいいのになあと溜息をつく。フニャとしているよりも、少し歯ごたえのある触感が最高なのになあと勝手なことを思う。

 そう言えば、私はここ何年かパン屋さんのディニッシュを食べていない。なぜなら私が通っていたパン屋さんはすべて閉店してしまったからだ。もちろん駅前にチェーン店のパン屋は数件あるのだが、私の好みのパンは置いていないのでそこには行かない。やはり個人でやっているパン屋の味にはかなわないのだ。

mikonacolon

 



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