人生は旅

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サラリーマン川柳が面白い

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 川柳はコロナの現実を映し出していて

 昨日の新聞に第一生命保険が募集したサラリーマン川柳コンクールの結果が載っていました。やはり、コロナ禍の世相を反映した作品が上位3位を占めました。第一位に選ばれたのは、30代の男性の「会社へは 来るなと上司 行けと妻」で笑ってはいけないのですが思わずクスリとしてしまいます。なるべくならリモートワークで乗り切りたい会社側と家に居場所がない自分との思惑のずれが悩ましくて、コロナ禍の中でのあるある光景といえます。でも、私は少し違和感を抱いてしまうのです。なぜなら、最近はインターネットのアンケートや新聞の投書などで、「コロナ前より家族の仲がよくなった」とか「家族で過ごす時間ができてうれしい」とか、子供からは「お父さんが家に居てくれて嬉しい」との感想まで聞こえて来たからです。

 こんなにコロナ禍でよかったことばかりを聞かされると、「では今まではじっくりと家族で向き合える時間がなかった」だけなのかと信じられない思いで頭がくらくらしました。でも、この川柳が人々から共感されて、選ばれたことに少しホッとしています。今の時代働いていない奥さんなんていないと思うのですが、突然夫が家で仕事をすることになったとしたら、私なら戸惑ってしまいます。だから、悪いとわかっていてもついついイライラをぶつけてしまうのです。普通なら夫が会社に出かけた後は、自由時間で好きなように過ごせました。でも、近頃は家に居て仕事をするので、鬱陶しくて仕方がないのです。何と言っても毎日お昼ご飯を用意しなければならないのが嫌なのです。

 一方、夫も妻が自分が家で仕事をするのを快く思っていないのをひしひしと感じています。できることなら家に居たくはないのです。しかし、会社からはできるだけ来るなと釘を刺されています。だから、どこか別の場所を見つけるしかないのです。されど、行きつけのカフェに行くのは抵抗があるし、他に行く場所が思い当たりません。前に一度だけ図書館の閲覧室にも行ってみました。アクリル板で仕切ってある空間は最善の場所かと思われたのですが、突然誰かが電卓をものすごい勢いで叩き始めたのです。あの音で一瞬で集中力が失われて、その場所に居ること自体耐えられなくなりました。身体が自然に動いて、パソコンと書類をカバンに詰め込んで図書館から逃げ出しました。最適の避難場所だと思われたのに、あっけなく居場所を奪われてしまいました。さて、どうしたらいいのか、居場所を求めて彷徨う自分はまるで糸が切れた凧のような漂流者のようにも思えてくるのでした。

 ひと昔前には「亭主元気で留守がいい」などとよく言われましたが、今の世の中は「亭主元気で家に居るのがいい」とさえ思えてきます。つまり、留守でいろんな場所に行かれては感染のリスクが高いからです。だから家に居てくれるのが一番安全安心なのです。会社に行くとなれば、どこでウイルスを貰ってくるかわかったものではありません。家族をウイルスから守るためにも、外に行かないことは有効なのです。要するに妻の方も発想の転換をすることが必要なのです。知人によると、コロナが流行って夫の仕事が無くなったときは不安で仕方なくて、同時に夫が家に居るのが邪魔だとしか思えませんでした。でもまた仕事ができるようになると、あの時は通勤しなくて正解だったと確信しました。それ以来、彼女は目の前の事態に一喜一憂することはなくなりました。悪いこと良いことは表裏一体で光が当たるところには必ず影ができるものです。靄に覆われて、先の見通せない世の中にあっては、まずどうにかならずに自分の心の平安を保つのが先決なのです。

 また、彼女は夫を今まで「仕事をするから価値がある人」だと思ってきました。だから、仕事をしない夫は何のとりえもないダメな人間だと思ってしまうこともありました。でも今ではそんな考え方は傲慢でしかないと反省しました。誰にだって抗えない嵐は襲ってくるのだっと悟ったからです。

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