人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

不要不急の楽しみが消えたなら

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アジサイには一番雨が似合うと思うのに雨はたいして降らない。雨の滴が光っている

アジサイの花が梅雨の風物詩だというのに。

コロナの影響が身近に迫ると人は

 夫婦がリビングでいつものようにたわいもない話をしていた。しかし話題はどうしてもコロナのことになってしまう。妻が新聞を読みながら『コロナの影響がどうなるか』とふとため息をつく。するとすかさず夫が『人々は強い。必ず元に戻る』ときっぱり言い放つ。いつも頼りない人なのに、このゆるぎない自信はいったいどこから来るのかと疑いたくなった。ここまでは夫は何とか対面を保っていたが、次の妻の一言でうっかり地が出てしまう。『そういえば、近所の洋食屋さんが店をたたむって』という妻の発言を聞いた途端、びっくり仰天した。もうあそこのシチューが食べられないだの、他の店のじゃだめなんだとか、とにかく嘆き方がすごいのだ。「ねえ、あんたはあの店がそんなに好きだったっけ?」とからかってやりたくなったほどだ。「ふう~ん、そうなんだ」ぐらいにしか反応しないのかと思ったら、意外にも無くなったら困るらしい。このシチュエーションは先日の夕刊の地球防衛家のヒトビトの4日マ漫画でのお話です。

 この漫画を見て素直に笑ってしまいました。でもすぐに自分の身近で起こる変化はやはり嫌なのだ実感しました。実は昨日久しぶりに用事があって行った街は信じられないくらい変わっていたのです。おそらく3か月ぶりだったのですが、以前はラーメン店が立ち並ぶ場所で有名だったのですが、通りかかると看板も剥がされて人影もなく物も何もない店がありました。どうやらコロナの影響で閉店したのです。隣と言えば、やたらに多い段ボールの山が積んであり、中で人が何やら作業をしているのがガラス越しに見えます。いずれにしろ店は開いていても営業はしていません。近くに日用品の大型スーパーがあるため人通りはあるのに寂しい限りです。

不要不急の楽しみは不可欠?

 飲食店に行くことが「不要不急」のことだとしても、人間には「不要不急」の楽しみが必要なのだ。それどころか人間の生活を豊かにしてくれる不可欠なものなのだ、そんなことを誰かが新聞に書いていました。有名な指揮者の方が「こんな時期だから本当に音楽は必要なのかという究極の質問を自分に向けてしなければならない」と現在の苦悩を吐露しているときにです。人にとって無駄と言えるものもよく考えてみれば必要なもので、無駄を嫌う社会は余裕がなくて息苦しいだけなのだとも指摘しています。

 例えば通勤時間でいうと、痛勤時間と言えるようなラッシュアワーはないほうがいいに決まっている。しかし短ければいいと言うわけではなく、職場と家庭には適度な距離が必要で近すぎると精神衛生上よろしくないそうです。仕事での失敗や嫌なことを家にまで引きずってしまうからで、道中に自然に解消したり、発散したりする時間が必要なのだといいます。「人間の心は鏡のようなもので息を吹きかけるとすぐ曇る」。ある精神科医は人間は機械のようには動けないし、機械よりはるかに複雑で繊細な存在だと表現しています。

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 最近は朝の情報番組で有名人のリモート動画というものを見せられることが多いです。「コロナに負けず頑張ろう」と