人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

朝起きたら真っ先にすることは

今週のお題ビフォーアフター

一番やりたくないことを敢えてやったら、それが習慣に

 この一年の変化は何と言っても、朝起きてすぐに掃除をするようになったことだ。本当のところは、掃除なんて起きたばかりでしたくはないが、敢えてやることにした。それまでは掃除は時間のある時にやるもの、気が付いた時にやるものだった。だが、そんないい加減で、都合のいいことばかり言っていると、時にはとんでもない事態に陥った。要するに汚れが溜まって、その場限りの努力と労力では到底太刀打ちできない現実に打ちのめされることになったのだ。それに、そんなときに限って、他にやりたいことがあるものだ。それを中断してまで取り組まなければならなくなって、「どうして今、掃除をしなければならないの?」などという理不尽極まりない気持ちにさせられた。

 考えてみれば、人間が生活している限り、埃も溜まるし、汚れだって付くのは当たり前のことだ。それを気の向いた時に、いや、にっちもさっちもいかなくなった時にまとめて、一気にやるのはどう考えても効率的ではなかった。正直に言うと、一年に一度はある電気やガス器具の点検のお知らせは、私にとっては掃除の絶好の機会だった。当方も社会人としてそれなりの常識もあるし、世間体もまあ気にするので、家に来てくれる係りの人が驚かない程度には綺麗にしようと頑張ってみる。よく片づけの本に載っているのは、”家の中を綺麗に保つ秘訣は友だちを呼ぶこと”いう名言だ。まさにそのとおりなのだが、家に来るのが友だちでは動機が弱すぎる。何も家でなくても、片付けるという面倒なことをしなくても外で会えばいいだけのことだ。だからこそ友達以外の人が家に来ることは、滅多にない、貴重な機会だった。

 ある日ふと思った、やりたくはないがどうしてもやらなければならない掃除を嫌な気持ちにならずにやることはできないものだろうかと。いくら掃除が苦手で、めんどくさがり屋の私でも、トイレの汚れや、床に落ちているゴミや埃は嫌でも目に付く。知らんぷりを決め込んだところで、気になるものは気になる。どうせやらなければならないのなら、もっと気持ちよくできないものだろうか。それで、朝起きてすぐやれば、その動作を自分の身体に教え込んで、習慣にしてしまえばいいのではないかと考えた。

 朝起きたら、まずはトイレ掃除で、便器を流すだけで済むクリーナーでササさっと掃除し、床は風呂の残り湯で拭くだけの簡単な作業で時間は5分とかからない。次に洗面所の床と台所の床を雑巾がけして終わりだ。小学校の時の掃除当番のノリで楽しくやっている。自分にあまり過度なミッションを課すと長くは続かないので、”いい加減”でいいと開き直った。見方によれば、緩すぎる掃除と言えなくもないないが、何事もしないよりはましだ。当方も”朝掃除したのだからまあいいか”と穏やかな気持ちでいられることが何より嬉しい。不思議なものであんなに掃除を毛嫌いしていた自分が少しずつ変わり始めた。近頃ではどうしたら、汚さずに暮らせるだろうかと考えるようになった。

 もちろん毎日の簡単掃除だけでは済むはずもなくて、大掃除が必要になるのだがそれはそれで避けられないイベントと割り切っている。ただ世間で言われるような暮れの大掃除には賛成できない。なぜかと言うと、エアコンを付けた暖かい部屋で掃除機をかけるなんてことは無理だからだ。途端に電気のブレーカーが上がってしまうので、たいていは寒い中で掃除をする羽目になってしまう。くしゃみを連発し、ひどい風邪を引いてしまう経験をして以来、寒くなってからの大掃除はしないことにしている。

 考えてみると、これまでの私は生活の中で掃除というものをないがしろにしてきた。大事なのは料理と洗濯で、掃除はしてもしなくてもどっちでもいいものだった。実際は全然そんなことはないのだが、まあ嫌いだから自分の都合のいい捉え方をしていただけのことだ。最近私は落ち込んでいる時に、何を思ったか、台所の流し台のシンクをピカピカにしたくなった。さっきまで寝ようとしていたのに、スポンジにクレンザを付けて磨き始めた。するとどうだろう、噓のように晴れやかな気持ちになれたのだ。

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