人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

自分のエッセイが入試問題になったら

自分でやってみたら、正解できなかった?

 4月になって、いつもの朝日新聞の紙面が大幅に新しく変わった。例えば、毎週楽しみにしていた、金曜日の朝刊に連載していた『オトナになった女子たちへ』は土曜日に引越しをした。この『オトナになった・・・』は漫画家の伊藤理佐さんとイラストレーターの益田ミリさんが交代で受け持っていて、最後に読者からの短いコメントが紹介されていて、楽しかった。お二人が毎回取り上げるちょっとした”あるある”話に、「それ、すごくわかる」とか、「私もそんなときありました」とか書かれていると、こちらも「そうなのよねえ」と深く頷いたもだった。また、「わたしなんて、こんな失敗しちゃったんですよ」という爆笑もののコメントもたまにはあって、エッセイと共に2倍に楽しめるコーナーだった。

 毎回切り抜いてスクラップしているわけではないが、それでも強烈に記憶しているコメントがある。それは伊藤理佐さんが書いた、面倒くさがり屋だと自己主張しているエッセイに関してのお便りの中にあった。私にとっては信じられないようなコメントで、まじまじと何回も読み返してしまった。その読者にとっては面倒くさがり屋自慢で、しかも失敗自慢ともいえる内容で、それがあまりにも堂々としているので爆笑してしまった。『私は面倒くさがり屋でお風呂に入るときも、ついつい自分の部屋で服を脱いで、そのまま風呂場にいってしまうこともあるのですが、先日は裸の姿を夫に見られてしまいました。でも何も言われなかったので、大丈夫です』

 とまあ、こんな風にサラッとそのまま書いて感想を送ってくる大胆さに脱帽するしかない。正直言って、毎回のエッセイも楽しみではあったが、まるで付録のようについてくる「読者からのひとこと」もこのコーナーには欠かせないものだった。ところが、紙面の大幅刷新によって、いつの間にか、『このエッセイに関するお便りをお待ちしています。あて先はこちらまで』というお知らせが消えてしまった。しかもそれまで「くらし」の紙面のど真ん中にあった『オトナになった女子たちへ』は左の端っこに追いやらられて、挙句の果てに”お知らせ”と「読者からのひとこと」まで無くなった。いったいどうなっているんだ、毎回楽しみにしてたのに、と愚痴りたくもなるが、すべて新聞社の都合で、叫んでみたところでどうにもなりはしない。

 さて、気を取り直して、「そうだったの!?」とか「そう言うことになっていたのか」という話に移りたい。先日のエッセイでイラストレーターの益田ミリさんが書いていたのは入試問題のことだった。何でも益田さんのエッセイや小説が本人の知らないうちに入試問題に使われていたらしい。「らしい」というのは、入試問題が送られてきて初めて、益田さんが自分の作品が入試に使われていたと知ったからだ。私などは他人の作品を入試問題に使うのは一応許可というものがいるのではとか、あるいは何か一言連絡ぐらいあるのではないかと想像していたが、実際はカラスの勝手なのだ。要するに、事後承諾で、当の高校や大学から「あなたの作品を使いましたよ」とまるで報告義務でもあるかのように、送りつけてくるのだ。

 それで益田さんは「ああ、そうだったのね」と自分の作品が使われたことを知るのだが、正直言って悪い気はしない。むしろ嬉しい限りなのだろう。そうなると、自分で自分が書いた作品に関する問題を解いてみたくなった。こういった感情は何も益田さんだけでなく、写真家の長嶋由利枝さんも同様な反応をしていた。以前日経のコラム『プロムナード』で、その作品を書いた張本人が問題を解くのだから、絶対正解できると思っていたが、正直わからないと困惑していた。益田さんもそれと似たようなもので、例えば、「その時の作者の気持ちは次の三つの選択肢の中のどれでしょう」という問題があるとする。そうなると、可笑しなことにあの時の自分の気持ちを思い出そうとしても思い出せない。もはやその時の気持ちをすっかり忘れてしまっていることに気が付いた。自分が書いた文章なのに、いざ、入試問題で問い詰められると困り果ててしまう。これはどうしたものかと、目から鱗だったと言う。

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