人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

店員に声かけられるの好きですか

好きな人は少数、でも無視されるのも寂しい?

 先日の朝日新聞の土曜版Beの恒例のアンケートのテーマは、「店員に声かけられるの好きですか」だった。店員からの声掛けを好意的に受け止めているのはたった20%で、あとの人は嫌いと答えていた。これは私からすると予想通りの結果で、昔は店員さんに纏わりつかれて、どうしても買わなければならないのだろうかと、冷や汗ものの経験をしたこともある。なので、例えば、ショッピングモールを歩いていて、いい感じの洋服を見つけたとき、自然と引き寄せられてしまうのはしようがないが、それでもちゃんと店員さんの動きを察知して、こっちに来そうな気配があるときはその場をすぐ離れることにしている。だいたいが、そんなときは覗き見的な、ウィンドウショッピングのようなもので、真剣に買おうなんて露ほども思っていない。

 それに最近は店員さんに追いかけられて困るということがさっぱりない。要するに店に行かない、あるいは店員が寄ってくるようなそんな店に行かないだけのことである。以前は趣味がウィンドウショッピングだなんて言っていたが、お気に入りだった店は当の昔に潰れてなくなってしまった。最近はほとんど、特にコロナ禍になってからはほとんど洋服を買っていない私は、店員さんに声を掛けられて困る、あの苦しさをもう思い出せない。

 そうだった、以前は平日だと、やたら目立ってしまい、店員さんの集中砲火を浴びるので、わざと、人が大勢集まって来る休日に洋服を買いに行っていた。お客が大勢いて、店員さんも大忙しなので、誰も私などに構ってはくれない。その状態が逆に安心できて、落ち着いて洋服選びができたものだ。何だか良さそうに思える服を何着か抱えて、試着室に入って着てみる。こんな時店員さんがいたら、「いかがですか?」などと聞かれてしまって、早急な決断を迫られる。向こうはそう思っていなくても、お客としてはそう感じてしまうのだ。そんなプレッシャーにどうしても慣れることができないでいた。時間はかかっても、自分なりにあれこれ迷って決める、そんな自由が奪われかねないのだ。どうせなら楽しく買い物がしたい、そう思ったら、お客としてはこちらもあれこれ対策を考えなければならない。楽しいはずの買い物が地獄の苦しみに変わってしまうのを避けるために不可欠だ。

 現在では基本的に店に行くときは洋服を買うと決めている時で、冷やかしのウィンドウショッピングはしないことにしている。昔と比べるとおしゃれに関心が無くなっているのかもしれないが、私の視線は別の方に向いているから仕方がない。そう言えば、洋服を買う際にわざわざ店まで出向かなくてもいいベストな方法があった、それはネットショッピング。でもネットで洋服を買ったことはない。なぜなら昔セシールという通販があって、カタログの写真で見たイメージと現物があまりにも違うことにショックを受けたからだ。気に入らないものを送られて、さてどうしたものかと考えるのも面倒、さらにそれを返品するために宅急便で送り返さなければならないのにも嫌気がさした。

 ”触らぬ神に祟りなし”で自ら率先して、厄介事に巻き込まれるようなことはしないと決めた。それに洋服というものは、直に自分の目で生地の質感や、デザインを確かめて納得してから買わないと,後で泣きを見ることになりかねない。これが失敗を山ほど繰り返してきた私が学んだ教訓である。なので、いずれにしても店に出向いて洋服を探して買わなければならない。そしてその場合はなるべく自分が気持ちよく自由に選ぶことができるように、今の言葉で言うと、空気を読まなければならないのだろう。

 さて、今までは店員さんの声掛けが嫌いとか迷惑とかと書いてきたが、真逆の場合もあることはある。例えば、その代表例は量販店で冷蔵庫とか、洗濯機とか、テレビとかと言った家電を選ぶ時だ。私の場合は冷蔵庫を見に行った時、あまりにも沢山あってどれがいいのか、どれがお買い得なのかが当然のことながらわからなくて困った。店員さんに声をかけて聞こうにも、皆忙しそうで構ってもらえそうにもない。そんなときどこからともなく「何をお探しですか」との声が聞えて来た。まさに私にとってはその店員さんは救世主だった。渡りに船と、すぐにこちらの予算と冷蔵庫のタイプを告げた。いろいろアドバイスしてくれた後で、店で一番売れているお得な商品を選んでくれた。それからは配送の手続きも順調に進んだので、大いに助かった記憶がある。

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