人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

皆と仲良くしなきゃ

すべては人間関係をよくするため

 私の姪は大学を卒業して、かねてから希望していた児童養護施設で働いている。その姪が叔母の葬式で久しぶりに会った時に、「今のところは自分に合わないので他に移ろうと思っている」と話していた。姪によると、今の施設で一緒に働いている職員は彼女とは指導方針が異なるようで、そんな環境に身を置いて働くことに疑問を持ち始めたと言う。目指すものは人それぞれで、生徒に対する指導方針も異なることは当然だが、できる事なら自分と少しでも志を同じくした人たちと働きたい。そんな考えから転職を考え始めたようだ。言って見れば、これもひとつの人間関係が上手く行かないから転職を希望する例と言える。世間一般から見れば、彼女の場合は少し意味合いが違うかもしれないが、基本的には人の資質に関わることなのだから。

 その時私は彼女に、「人間関係は永遠の宿題みたいなもの」などと何の役にも立たない、とんちんかんなことを言った覚えがある。彼女よりもずうっと長く人間をやっているのに、未だに解決できない「人間関係」という課題を抱えて右往左往している。全く情けないような話だが、えらそうにアドバイスできる立場でもない。それに私なんかよりも、はるかにうまく、卒なくやっていくのかもしれないから。見るからに賢そうで 芯が強そうな彼女だが、もうちょっと柔軟な発想もあってはいいのではないかと感じたことも確かだった。

 彼女のことはさておき、私はこれまでずうっと「皆と仲良くしなきゃ」と思っていた。特に職場においては皆と仲良くすることは必要不可欠な ことだと考えていた。ここでの「仲良く」は誰とでも気楽に世間話ができることで、それは職場の雰囲気に大きく影響し、仕事の質にも関わってくることは間違いなかった。最初は仕事の話だけしていれば十分で、そんな余計なことは必要ないと思っていた。だが、ある啓発本に『雑談のない職場はなぜこうも人が辞めていくのだろうか?』と書いてあったように、氷のようにヒヤリとした雰囲気を醸し出していて、心だけでなく身体にも悪いのだ。

 そんなことは気にしないで、努めて仕事に集中しようとするが、仕事というのは自分ひとりでできるものでもなく、必ず相手がいるものだ。となるとカケラほどのコミュニケーションであっても必要で、それによって相手の反応が驚くほど変わってくるのだ。要するに、仕事のことで少し話をする際も、全く雑談をしたことがない私と、仲が良い誰かさんとは対応の仕方が異なるのだ。そんなことは気にしなければいいのだが、こちらはなんだか疎外感を抱いて、なんだか後味が悪い。それに無理なお願いをするときも相手と友好的な関係を築いておくことは有効だった。人間は機械ではないのだから、感情に左右されることは間違いない。

 人間関係を良くすることはより良い職場環境に繋がるのだと信じて疑わなかった。なので、誰とでも、自分の苦手だと感じる人とでも、気軽に話そうと試みた。何も相手とわかり合いたいのではなく、ほんの少しの間世間話ができれば満足なのだ。社会人ともなれば、ほんの数分ぐらいの世間話くらい、どうってことないだろう。まずはあいさつで、それから何でもない話題、例えば、一番当たり障りのない天気予報のことを話せばいい。実を言うと、これは大型書店のビジネス書のコーナーにあった啓発本の受け売りのようなもので、それを即実行に移したわけだ。それ以来『誰とでも会話が途切れない話し方』だの『会話上手になれる20のフレーズ』等々のありとあらゆる啓発本を読み漁り、試してみたものの、実際は本の通りには上手く行かない。

 だが、私は以前ある新聞記事を読んで目から鱗だった。そこには、悩むくらいなら、そうまでして『皆と仲良くならなくてもいい』のだと書いてあった。となると、エレベーターで同じ部署の人と二人きりになったとき、沈黙が怖いからと無理に話さなくてもいいと言うことなのだろうか。つまり、そう簡単に仲良くなれるほど、人間というものは単純な生き物ではないということなのだ。

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