人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

人の痛みに寛容なこと、それが大人では

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

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「痛い!」って言うのはやめて?

 私はお正月に遠く離れて住んでいる叔母二人と久しぶりに会って話をしました。でも私にはもうひとり叔母がいるのですが、残念ながら彼女とは会うことはできませんでした。理由は彼女が皆と会うのを拒んだからです。どうやら足が痛くて引きずらなければ、歩けないようなのです。だから自分のそんなみっともない姿を見られるのが嫌だというのです。叔母たちが、車で迎えに行くから、大丈夫だからと電話で説得しても、頑として彼女の意志は変わりませんでした。一番気になる人なのに、他の元気すぎる二人の叔母と違って、彼女は普通の80歳の高齢者に過ぎません。常識的に言って、80歳ともなれば、身体のあちこちが痛いのは当たり前なのです。

 ふと以前会ったとき、彼女が言っていたことを思いだしました。「年を取ると、毎日痛い場所が変わるのよ」と、それからこうも言って嘆いていました。「家が暗くなるから痛いって言うのはやめて」と娘や孫に叱られてしまうのだと。これには叔母たちも私も絶句してしまい、黙っているしかありませんでした。彼女にかけてあげる慰めの言葉が見つからなかったのです。「だから家族の前では痛いという言葉は言わないようにしている」のだと諦めていた彼女。叔母たちも何とかしてあげたいのにどうにもならない虚しさを感じていたはずです。昔は姉妹ではあっても、人の家のことに口出しはできません。自分の娘と孫の3人でさぞかし仲良く幸せに暮らしているものだと、みんなそう信じていました。

「痛い!」という言葉で家の中が暗くなる?

 それにしても、どこか痛いときに「痛い」と言うのは自然なことではありませんか。それなのに、「痛い」を禁句にされてしまったわけです。これは当人にとっては辛いことです。老いと言うのは誰にでも平等にやってくるものなのに、今は健康で元気な家族には理解できないようです。ましてや娘は看護師をしているのですから、驚くしかありません。まだ中学生の孫なら少しはわかります、でも、もう50は過ぎているはずの娘の言うことかと呆れるばかりです。看護師とか職業に関係なく、世間でいう大人の言うことかと理解に苦しみます。大人なら想像力をもっと働かせてもいいのでは、言われた相手のことを考えてもいいのでは、などと勝手なことを思います。老いが家庭に暗さを持ち込むとしたら、みんなが明るい家庭を目指す現代にあってはどうすべきなのか。老いは嫌われもので、排除すべきものなのかなどと考えてしまいます。でも大人はちゃんとわかっているのです、老いとは成熟なのだから、そんなに悪いものでもないのだと。

「家の中が暗くなるから嫌」で逃げ出す?

「家の中が暗くなるから」の叔母の娘の言葉で思い出したのは、知人の娘さんが離婚した話です。子供ができたせいで学生結婚した娘さんは、最初は幸せな結婚生活を送っていました。でもその後、旦那さんが仕事のことで思い悩む日が続き、黙り込んで家族と話さなくなりました。別に暴力を振るわれたわけではないのですが、いつしか家の中は暗い雰囲気が漂いました。普通なら、これまでの私の中の常識からいえば、何とか乗り越えれば切り抜けられると思っていたのです。それは自分の周りの人達もよほどのことが無い限り離婚という決断をしなかったからです。それなのに、娘さんは歩いて10分ほどの実家に逃げ出しました。「あんな暗い家に居るのは耐えられない」からでした。

 以前読んだ本には「結婚が私を大人にしてくれました」とか「結婚は人生における修行の場で鍛えられた」などと書かれてありました。時代の流れで、結婚に対する考え方も変化するのは当然です。それでも、知人の話で一番驚かされたのは、娘の母である当の彼女が「だって、家の中が暗くなるのは嫌でしょう」と平然と言ってのけたことです。「老いては子に従え」の教えを実践しているのです。何事も損得勘定で考える人なので、娘に従った方が得と考えたからなのか、あくまでも憶測にすぎませんが。

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