人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

手作りしなきゃ

お弁当は母親の愛情表現のひとつですか?

 手作りというと、どうしても私の頭の中に浮かんでくるのはお弁当のことだ。幼稚園から高校に至るまでお世話にならずにはいられない不可欠なものと言えるだろう。お弁当の作り手は主に母親で、毎日毎日愛情込めて?いや、惰性でというか、仕方なく作っている場合もあるだろうが、世間的にはあれは母親の子供に対する愛情表現のひとつであると言われている。母親なら子供の弁当くらい作って当たり前で、別に褒められた話ではないと言うのがステレオタイプな意見だ。以前テレビ番組で、是枝監督の映画『誰も知らない』に出ていたYOUさんが言っていたことがとても印象的だった。「どんなに遅くまで飲んでも、朝はちゃんと起きて息子の弁当を作ることにしている」と誇らしげに話していた。YOUさんにとっては息子さんの弁当を作ることは、まるで母親であることの証明のようなものだと言いたいのだと私は受け取った。そんなYOUさんの発言に対して、視聴者からは、「芸能人だから、特別だとでも言いたいの?別に自慢することでもないでしょ」という厳しい意見もあった。

 お弁当に関して、私が一番驚いたのは、以前同僚の女性が昼休みに話してくれた出来事だった。彼女には高校生の娘がいて、毎朝弁当を作っているのだが、その日は何らかのアクシデントがあったようだ。「今朝はコンビニにお弁当を買いに走ったわよ」と言うと、事の顛末を話し始めた。なぜコンビニに弁当を買いに行かなければならないのか、最初は私も他の同僚も訳が分からなかった。そうなった原因が何だったか忘れてしまったが、寝坊したとか、ご飯の炊飯予約をし忘れて朝炊けていなかったとかそんなことだったと思うが、弁当が作れなくて”万事休す”の状況だったことは確かだった。

 それで、彼女がどうしたかと言うと、コンビニ弁当を買ってきて、いつもの娘の弁当箱に詰め直したと言うのだ。そんなことを聞くのは初めての私は仰天した。いったい何のためにそんなバカげたことをするのか。まあ、そうするのには何らかの事情と理由があるのだと想像はできるが、そうまでして体裁を取り繕う必要があるのだろうか。これほどまでに、たかが弁当ごときのために翻弄されていいものだろうかと内心思った。呆然としている私のことなど気にならないのか、彼女は「こんなことは皆やっているわよ。私だけじゃないわ。全部じゃなくても、おかずだけ詰め替える人もいるのだから」と平然と言ってのけた。

 だいたいが、弁当が作れないのなら、「今日はパンを買って」とお金を渡せばいいだけのことだ。だが、そうも行かない事情が、そんな簡単なことを許さないほどの同調圧力というものがあるらしい。弁当が当たり前で、一番ベストなものという”弁当神話”は実に厄介で悩ましい。そう言えば、私が高校生の時に転校してきた女の子は母親が中国人だった。彼女はいつもお昼に菓子パンを2個食べていた。それはクリームパン1個とアンパン1個だったり、時にはジャムパンだったりした。不思議に思って「お母さんは働いていて、忙しいからお弁当が作れないの?」と聞いてみたことがある。すると、彼女は「お母さんは働いてはいないけど、朝が弱くて起きられないから、弁当が作れないの」と当然のように答えたのだ。私が衝撃を受けたのは、彼女が自分の母親に対してべつに不満を抱いているわけでもないということだった。周りの日本人は皆弁当を食べていても、それが羨ましいとかという気持ちは全然ないようだった。お母さんのせいでひとりだけパンを食べていて可哀そうだとか、皆内心思っていて、私も当然のごとくそう思っていたが、当の本人はまったく気にしていなかった。

 朝弱いから弁当を作れないだなんて、怠慢だとかなってないとか言われそうだが、できないものはできないのだから仕方がない。それに弁当というものは絶対作らなくてはいけないものでもないらしい。ここ何年間か中国語を勉強していると、中国の文化を知る機会も増えて来た。NHKのまいにち中国語テキストで通訳と翻訳を仕事にしている多田麻美さんがエッセイの中でこう書いていた、「中国には弁当を作る文化はありません」と。

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