人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ご近所付き合いを、もう一度

今週のお題「復活してほしいもの」

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隣人は得体のしれない人で本当にいいの?

 私の友人は6階建てのマンションの最上階に住んでいる。南向きの角部屋で窓を広く取ってあるので昼間は電気を点けなくても明るい。冬の晴れた日には暖房をつけなくても十分暖かい。だが友人は憂鬱そうな顔をする。その原因は今まで順調だったご近所付き合いがなくなったからだった。彼女は夫と離婚をしたのを機に今のマンションに引っ越してきた。全財産をはたいて2DKの部屋を買い、心機一転とばかりにひとり息子と一緒に移り住んだ。当時まだ小学生だった息子は成長し、今では36歳の立派な大人になった。彼女の住んでいるマンションは小規模なので同じフロアーには2世帯しかなかった。当初から隣人夫婦とは良好な関係で、廊下で会えば挨拶するのはもちろん、隣のご主人が仕事で出張に行かれたときなどはお土産を貰ったりした。

 たまにばったり会ったときなどはたわいもない世間話をしていた。だんだんと隣人と接しているうちに相手がどんな人なのか、信用していい人なのかがわかってきた。少なくとも世間一般の常識的な考えを持ち、社会的にもちゃんとした会社に勤めている人だった。彼女の言う良好な関係と言うのは、自分にも相手にも負担にならない程度の付き合いという意味だった。お互いの家を行き来するというような、深く付き合うと言っためんどくさい関係ではなくて、サラッとした関係が楽で心地よかった。普段はお互いの生活に干渉しないのだが、困ったことがあれば、いつでも助けを求めていい関係だった。実際、隣のご主人のおかげでマンションの大規模修繕の費用がだいぶ抑えられたそうだ。

 ところがある日、隣人が東京に転勤することになった。一番の問題はマンションの部屋をどうするかだったが、隣人は空いた部屋を第三者に貸すことに決めた。自分たちがまた地元に戻ってきてもいいように、部屋を確保しておくためだった。一方の私の友人は心中穏やかではいられなくなった。20年以上も続いたお隣さんとの良好な関係がこれで終わりかと思ったら、不安でしかなかった。次に隣の部屋に入る人がどうかいい人でありますようにと願わずにはいられなかった。折も折、その頃マンションの管理組合の自治会で空き部屋に外国人を入居させるか否かの話し合いが行われた。友人はあまり気が進まなかったが、賛成数が反対数をわずかに上回った結果、外国人の入居が許可されることになった。

 しばらく経って、友人は隣の部屋が騒がしいのが気になるようになった。友人も息子も昼間は外で働いているので、夜家に帰ってきたときぐらいはゆっくりしたい。でも隣の音が気になってイライラすることがだんだん増えた。誰か引っ越してきたのだろうか、でもそれなら一言、挨拶ぐらいあるはずだと思った。数日たったある日、ひとりのアジア人と思われる若者が隣の部屋に入るのを見てしまった。また別の日には見かけない青年と、それも明らかに外国人と思われる人とすれ違って驚いた。どうやら隣の部屋には何人もの外国人が出入りしている、あるいは、住んでいるのだとようやく気付いた。

 友人は何も外国人が隣に住んでいることが嫌だとか言うつもりは毛頭ないようだ。でもそれならそれで、一言挨拶ぐらいして欲しかったと言いたいのだ。今の時代に外国人を隣人として認めないのはナンセンスだと言うことは重々承知している。人間としては心の狭い人と誤解されてしまうかもしれないが、入れ替わり立ち代わり別の人が出入りするかと思うと、それだけで隣人としては落ち着かない気分になってしまう。これまで長い間隣人と築いてきた関係とはあまりにも違い過ぎて、すぐには受け入れられそうもない。思えば、マンションの自治会で外国人の入居が許可されたとき、正直言って他人事だった。だが今ではまさに自分事となって、友人に思考の転換を迫っているようだ。

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