人生は旅

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お茶が美味しすぎる家

今週のお題「好きなお茶」

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マドリードにある聖母グアダルーペ教会堂。NHKまいにちスペイン語テキストから。

高校の時親友の家に遊びに行って、お茶の美味しさに感激

 暑い、暑すぎると嘆いていたはずなのに、最近はめっきり秋らしくなってきました。そんなときは、やはり急須で入れた緑茶が飲みたくなります。熱い濃い目の緑茶を飲んでいると、なんだかホッとした気持ちになれるからです。私の好きな茶葉は1年に一度しか出ないお茶で、年末に買い出しに行く市場にある問屋さんで売られています。そのお茶との出会いは偶然で、以前11月ごろに刺身を買いに行ったら、ついでに海苔とお茶もということになりました。その時の店員さんのお勧めがそのお茶で「冷凍八女茶」と言う名前でした。春に収穫した茶葉を初冬まで冷凍して熟成させるのだそうです。驚きました、普通は新茶を飲むのが一番だと思っていたので。

 店員さんが強く勧めるので、試しに1袋買って家で飲んでみました。正直言ってたいして期待していませんでしたが、封を切ったときに漂う深い香りに「これは当たりかも」と直感しました。値段が一袋830円と安い割には味はその何倍も価値があるお茶だと思いました。店員さんによると、このお茶は人気があって皆が毎年待ち望んでいるらしいのです。ただ数量限定の商品なので、大量に買うことはできないのですが、友人にあげたらとても喜ばれました。今年もお茶を買いに市場の問屋さんに行くのが楽しみです。

 美味しい緑茶で思い出すのは、今ではもう会うこともない親友のことです。実を言うと、私にとってはあまり思いだしたくもない記憶でした。人間は自分が嫌なことは記憶の底に埋めて閉じ込めて、頭の隅にすら浮かんでこないようにしておきます。そうすることで、辛い気持ちから自分の心をそらして誤魔化すのです。もう何十年も前の高校時代の出来事なので、今ではもう時効になっています。それでも、あの頃の自分に戻ると、胸を刺すような痛みを感じるのですから、人間の心は不思議です。

 高校生になって新しい友達が二人できました。自転車通学をしていた私たちは学校までの道が途中まで同じでした。3人の中で一番家が遠かったのは私で、一番近い家に住む親友の家に学校帰りに立ち寄ることもありました。親友の家は父親が雀荘を経営し、母親も仕事をしていて、昼間は両親は留守のようでした。遊びに行くと親友は必ず緑茶を出してくれました。そのお茶が綺麗な黄緑色でとても美味しかったのです。それ以来頭の中に「あの子(親友のこと)の家のお茶は凄く美味しい」という記憶が刻まれて、家に行くのが楽しみになってきました。「ねえ、このお茶って何のお茶?」と聞きだそうとしても親友は教えてくれません。「どこにでもある普通のお茶だよ、お茶なんてどうでもいいじゃない」と言うばかりで取り合ってくれませんでした。

 高校時代、親友と私は「いつまでも友だちでいよう」と誓ったはずでした。私たちほど気が合って、一緒に居ると楽しいふたりはいなかったはずでした。でも、今思うと彼女にとって私との関係は高校時代限定だったとしか思えないのです。普通はそんなもので、関係が消滅してしまうのはよくある事なのかもしれません。でも当時の私は目の前の現実を受け入れることができませんでした。親友から音信不通なのが信じられず、クヨクヨ悩んで憂鬱な日々を送っていました。いくら電話しても繋がらず、ある時偶然にデパートで他の友人といる親友に出くわしました。やっと会えたのに話もできずに避けられてしまいました。そのことがあってから私は少しづつ「何とか繋ぎ止めたい」という気持ちを手放すようになりました。

 何年かして、共通の友だちの家に遊びに行った時、親友が結婚して近くのマンションに住んでいることを聞かされました。「あの子(親友)は自分の子供が可愛くないと言ってるよ。あまりここには来ないけど、会いに行ってみる?」。そう言われても、本当なら嬉しいはずなのにもう会いたい気持ちは湧いてこないのでした。当時は親友の口から本当の気持ちを聞きたかったのに、今では理由などどうでもいいのでした。私たちの関係は当の昔に終わっているのは確かなのですから。

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