人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

早くもキャンセルすることに

焦って予約したせいか、気になって仕方がなくて

 わずか一週間前にパリのホテル予約をしたばかりだった。それなのに昨日早くもキャンセルをしなければならなくなった。思えば、このままでは泊まるところが無くなるかもしれないと焦らされて、何でもいいから、いやそんなことは断じてないのだが、良さそうなところを予約しておいた。だが、ふと予約確認書を見ていたら、あれ?と思う記述に出くわした。もっともそのことは部屋を予約するときに、宿泊サイトで確認済みだったはずなのだが、予約することにだけしか頭が回らなかった私はそれを無視していたのだ。その気になる記述はホテルの部屋の説明に関することで、「ツインルーム シンク、シャワー付き 共用トイレ」と書いてあった。誤解を招くかもしれないので、先に言っておくが、その部屋は一泊2万円代で、特別割引が効いて1万8千円ほどに安くなっていた。パリのカルチェラタンにあって、クリュニー美術館にほど近く、地下鉄の駅もすぐ側にある最高の立地のホテルだから泊まることにした。

 だが、やはりなんだか胸騒ぎがする。どうしても、「シンク、シャワー付 共用トイレ」が引っかかって仕方がなかった。まさか、いくら何でもシャワーとトイレが共同ってことはないだろう、と思っていたし、これまで沢山のホテルを予約してきて、こんな記述は見たことがなかった。直接ホテルにメールして確かめようとしたが、「いや、ちょっと待って」と冷静なもうひとりの自分が囁いた。「共用」とはどんな意味なのかと無い知恵を振り絞って考えてみたら、普通に言えば、共同であり、ほかの皆さんと一緒に使うことに間違いはない。やはり、シャワーとトイレは皆さんとご一緒に使うのか、と不安な気持ちがふつふつと沸き上がってきた。でも、まだそんなことは信じたくない気持ちも少なからずあった。

 それで、どうしたかというと、携帯用に印刷した予約確認書があったので、そのフランス語版を見てみることにした。すると、そこには部屋の説明の欄にCommunes という単語がちゃんと付け加えられていた。さっそく辞書で調べたら、フランス語のcommunes は共用、共同という意味で、どうやら、じゃなくて、確実にシャワーとトイレは共同で使うのだ。となると、冗談じゃない、シャワーはともかく、共同トイレは辛すぎる。特にシャワーとトイレが一緒のバスルームは、待てど暮らせど、なかなか空かないものなのだ。その理不尽さを身をもって体験したことのある者としては、想像するだけでぞおっとする。

 あれはまだブッキングドットコムやトリバゴなどという大手の宿泊サイトなどなかった頃の話で、ホテルに直接メールで宿泊を依頼するのが普通だった。ひょんなことからスロバキアの山岳地帯に行くことになった私は、山の麓のホテルに泊まることにした。そこは東ヨーロッパのアルプスとよばれる風光明媚な場所で、ホテルに帰るのにいちいちケーブルカーに乗って行かなければならなかった。それだからこそ、ホテルの部屋から見える日没の太陽はまるで半熟卵のように輝いていた。だが、その部屋には少々問題があって、いや少々というには物足りなくて、大問題だった。それはバスルームが隣の部屋と共同だったことで、もちろんそんなことは寝耳に水だった。部屋に着いてから、ようやく気が付いたが、どうにかなるでしょうと楽観していた。普段は悲観論者の私だが、旅に出る時は努めて楽観主義者として振る舞うことにしていた。

 だが、そうはいっても、人間の自然現象はそんな事情などにお構いなく襲ってくる。トイレに行きたくなって、バスルームのドアを開けようとするが、カギが掛かっていて開かない。要するに隣の部屋の誰かが使用中なのだった。バスルームを利用するときは反対側のドアに鍵をかけて使い、使い終わったらまたカギを外して使うのが暗黙のルールのようだった。当時は何とか我慢して事なきを得たが、考えてみれば、必ずいつでも利用できるトイレは別にあるはずで、それがわかったのはチェツクアウトする時だった。フロントの横にちゃんとトイレがあったのだ。だが、果たしていちいち階下まで降りてこなければならないのは、いかがなものか。

 いずれにせよ、過去の痛い目に遭った経験から、バストイレ共同の部屋は御免被りたかった。それで、迷うことなく予約していた、ホテル・マリアンヌをキャンセルすることにした。また振出しに戻って、数少ない選択肢の中からホテルを探さなければならなくなった。

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