人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

親友と海外旅行したら

今週のお題「忘れたいこと」

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すれ違いの連続で、深夜に枕を濡らすことに

 自慢にもなりませんが、私には忘れたいことなんて山ほどあります。それでも今こうして能天気に生きていられるのは、その都度目を背けたいことを脇に追いやって忘れてきたからだと思うのです。記憶力は貧しくても、忘れる能力だけはあるらしいのですが、今は何とかしてその忘れたいことを思い出しながらこのブログを書いています。

 考えてみると、「忘れたいこと」がテーマだなんて皮肉なことではありませんか。でも不思議なことに、冷静になって当時のことを思い出すと、今だからこそ事の真相が見えてきました。それは自分だけが被害者で相手は加害者だとばかり思っていたのに実際には私にも落ち度が多々あったことです。相手の立場になって考えていなかったり、自分の予想通り相手が動いてくれるとばかり決めつけていました。つまり、自分の独りよがりで勝手に思い込んで、思い通りにならなかったから涙を流す結果になったのです。

 あの人(気が合う友だち)と一緒に旅行に行ったら、こんなに仲良しのふたりなのだから、きっと楽しいに違いないといろいろ想像して舞い上がっていました。ところが蓋を開けてみると、天国のはずが地獄で、異文化の世界では感じ方もそれぞれ違うのです。外国に行っても日本と同じ快適さを求めることは、不可能に近いのだと痛感します。だから、郷に入っては郷に従えで、不便に感じる事でもなんでも「日本と違っていてなんて面白いのだろう」ぐらいに感じるのがちょうどいいのです。でもそんなことを相手に話して聞き入れてもらえるのだろうか、すぐにはまず無理でしょう。だから私も敢えてそんなことは言いませんでした。

 もう何年も前に私は友だちをロシアに連れて行きました。お土産に絵葉書をあげたら、それはモスクワの地下鉄の写真で、その宮殿のような豪華さに感動したからでした。「ぜひ、行きたいから連れて行って!」と言われて、喜び、楽しい事しか考えませんでした。ロシアで感じるカルチャーショックにはもう慣れっこになっていた私は、相手がどんなに戸惑うかとか、嫌な気持ちになるかというようなことには考えは及びませんでした。私と違って、相手はできれば、日本に居るときのように快適に気持ちよく旅行したかっただけなのです。はっきり言ってそういう人は何もかもお膳立てされたパック旅行にでも行った方がショックは少ないのですが、もう遅いのです、何が起きるかわからない運まかせの個人旅行に連れてきてしまいました。

 フィンランド航空でエストニアのタリンまで行きました。その後は8時間かけてバスでサンクトペテルブルクに着きました。それから地下鉄に乗り、予約してあったホテルに着いてやっと一息つけるはずでした。ところが、その部屋に入ってみたら歩く度になんだか変な音がするのです。詳しいことはもうよく覚えていないのですが、彼女が「こんな部屋じゃダメだから、部屋を変えてもらって」と強い口調で言いました。私が呆然としていると、「早くフロントに行って来て」。仕方なくエレベーターで階下へ降りて行き、フロントに頼み込んだのですが、言うことを聞いてはくれません。

 またシャワーにも問題があって、私たちが行ったのは6月で時期も悪かったのです。暑くもなく寒くもない中途半端な季節なので、ロシアのホテルのシャワーからは熱いお湯は出ませんでした。彼女はできれば熱いお湯のシャワーを浴びたかったのですが、まあそれは私も同じなのですが、なにぶん私は「まあいいか」と思い、彼女は「こんなんじゃ許せない」と感じただけのことなのです。彼女との違いは私には前もってその手の情報は聞いたことがあったことでした。それに外国なのだから日本と違って当たり前という諦めに似た気持ちもあったし、ノープロブレムと何でも受け入れて対応しようとしていたのです。

 それから、一番問題なのが食事のことで、ホテルの朝のバイキングで彼女の不満は爆発しました。海外旅行に行かれた方なら、誰でも日本のホテルのビュッフェ形式の食事は最高だと痛感しますよね。外国にあんな至れり尽くせりのサービスはありませんから。そのホテルの食事も飲み物とパン、それと惣菜が少しというお決まりのメニューでした。「何なの、これは?私の知ってるホテルはもっといっぱいあるわよ」と怒りがおさまらないようでした。そんなことを言われても私は何も返す言葉がないので黙っていると、「食べるものないじゃない!」と言ったっきり、食堂から出て行ってしまったのです。確かにその通りなのです、かくいう自分も内心そう思っているのですから。だいたいが食事に期待する方が無理なのだとわかってからは気持ちがすうっと軽くなって、欲求不満から解消されました。

 結局、この旅行を終えて日本に帰ってきてから、彼女から連絡が来ても私は無視していました。こういうのを世間では喧嘩別れというのですね。当時は彼女の我儘に嫌気がさして、もう二度と顔など見たくないと思っていました。でも10年ぐらい経った時、つまりその苦い思い出が過去のものになったとき、偶然再会したのです。それで、あの時は自分にも非があったのだと悟ったら彼女を許せたのです。

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