人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

私は人間ウォツチアー

今週のお題「わたしは○○ナー」

努力しなくても、遭遇するのが人間ウォツチアー

 別に趣味ではないけれど、人間観察は下手な小説よりはるかに面白い。それならばということで、”人間観察する人”という意味で人間ウォツチアーと呼んでもいいかなあと思った。初めて”人間ウオッチング”という言葉を聞いたのは、その昔大杉正明先生が講師を務めていたNHKラジオの英会話でのことだった。当時のパートナーは米国人のジェフさんとヴァレリーさんだったが、そのモデルのような容姿のヴァレリーさんの趣味は「旅行、人間ウオッチング」だった。その時の私は正直言って、「人間ウオッチングっていったい何?」という反応しかできなかった。なぜなら具体的にどうやればいいのかわからなかったのだから無理もない。でも”人間観察”という言葉の響きからして、何やら面白そうな雰囲気が感じられた。ただ、その正しい、適切なやり方を知らなかった。

 そんな私も数年たってから、これぞ人間観察の機会というべき場面に遭遇した。それは全くの偶然だった。ある日、私は行きつけの喫茶店でコーヒーを飲みながら本を読んでいた。すると、スーツを着た二人連れの男性が入ってきて、私から少し離れた席に座った。もちろん気にもしなかったが、結果的にはその二人の会話が私の好奇心に火をつけてしまった。二人のうちのメガネをかけた方の男性が、「先日友人の離婚手続きのために奥さんだった女性に会ったんだけど・・・」と切り出したのだ。続けて、「驚いたよ、その人は無職なのに、ものすごく良いマンションに住んでいてさあ~。何であんな暮らしができるんだあ!?」と不思議でしようがないと困惑している様子だった。こうなると、恥ずかしい話だが、他人の話を盗み聞きしたくなるのが人間だ,いや、それは私のことだ。

 離婚調停と言うと、なんだかすったもんだの人間の修羅場が展開するかと思ったら、意外にスマートなので拍子抜けした。当の男性も元奥さんは憔悴しきっていて、大変な生活を送っているとばかり思っていた。なのに、いい感じのマンションで幸せそうに暮していたから、余計に「どういうこと!?」と席から転げ落ちるくらいのショックをうけたのだろう。それこそ誰かに話したくなるくらいのレベルで、誰かとそのショックを共有したくなったのだ。彼の話をこっそりと聞いている私も、ドラマでしかありえないとばかり思っていた物語が現実に展開しているのを知って仰天した。と同時にすぐに人間って面白い!と思わずにはいられなかった。それこそ人間観察の醍醐味というべき瞬間だ。

 またある時はカフェでまだ学生と思われるカップルの別れ話に遭遇した。あれは確か12月で、もうすぐクリスマスイブという日曜日の午後だった。カップルは私の席の前方に座っているので、見ようとしなくても二人の顔がハッキリとわかる。絵にかいたような美男美女でお似合いのふたりだった。女性の方が「もうあなたについて行くのは無理なので、別れたい」と別離を告げた。言い訳かもしれないが、聞こうとしなくても、否応なく耳に入って来るのでどうしようもない。

 事の発端は二人でゆっくり過ごしたいと計画していたクリスマスイブにあろうことか彼女がバイトを入れたことだった。彼は「どうしてよりによって大事な日にバイトなんか入れるんだ?馬鹿じゃないの!?」と彼女を詰問した。すると、彼女は「店が忙しい時期なのに、私だけ休むわけに行かないでしょう。それに皆に迷惑がかかる」ともっともな反論をした。だが、彼は「他の人に任せておけばいいんだよ。もっとうまくやりなよ」などと無理難題を言って、彼女を困らせた。彼女が「私は普通の人間だから、あなたのように合理的に割り切ることはできないの。あなたに合わせることが出来なくて、そのことであなたに責められるのが辛いの」と心情を吐露すると彼は絶句した。

 見知らぬ他人のことだが、人生を少なからず経験したおばさんとしては口を挟みたくなるのをグウッと我慢した。あれからどうなったかと言うと、おせっかいなおばさんになるのを恐れた私は、早々に退散したのだった。

 

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