人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

空港に行く電車の中で

搭乗前に、すでに疲労困憊

 出発当日の朝、行きつけの診療所で、1週間分の薬を貰った。それは胃酸の分泌を和らげる薬で、先生に「今のところは、様子を見ましょう」と言われる。信じられないことに、胃の不調は明かなのに、心電図を撮って、心臓に異常がないかどうか調べた。おそらく、私が「胸が苦しい」とか「息苦しい」とか、そんな類のことを言ったからだ。「あらゆる可能性を消去したいから」との理由でそんな状況になったが、どうしても今の症状が改善されなければ、「胃カメラを撮りましょう」と促される。夜のフライトに搭乗予定の私は、「少し、考えさせてください」としか答えられない。頭の中に、胃がんで亡くなった父や、百まで生きると宣言していたのに、食道がんであっけなく逝ってしまった叔母のことが浮かんできた。もしかしたら、自分もそうなのだろうかと暗澹たる気持ちになった。

 だが、そんなことはスパッと忘れて、今は離陸することだけを考えなければならない。そんなふうにして、私の2週間に及ぶ海外旅行は始まった。万全の体調でないのは残念だが、何とか最後まで計画通り進めること、ただそれだけに全力を注ぐことにした。空港までの行き方は、両替をしに行った時に確認済みだったが、その時はちょうど日曜日で、電車は意外に空いていたが、出発当日は平日で、とんでもない目に遭った。人生において、あんなに込み合った電車に乗ったのは初めてだった。リュックサックを足元に置き、手提げバック2個も持っているのに、電車が揺れても捕まる手すりさえありゃしない。どうしていいかわからず、何とか早く電車が目的地に着いてくれることを願うしかない。右足が痛くて、不安なのに、必死で両足で踏ん張って、どうにかこうにか倒れないように頑張っていた。

 そんな私を見かねたのか、隣にいた韓国人の若い男性が、「荷物が重そうです。持ってあげましょうか」と親切に言ってくれる。とても有難い申し出だが、「大丈夫ですから」と気持ちだけ受け取って断った。昔、ハングルを勉強していた時に、韓国の文化に関するエッセイを読んだことがあった。その時、印象的だったのは、韓国人は日本人はもちろん、アメリカ人よりもさらに勉強熱心であることで、大学を卒業した後も学び続ける人が多いと言う。学校に通う時間的、かつ金銭的余裕がない場合でも、通信講座などを利用して、何らかの形で学び続けるのだそうだ。そして、もう一つは、韓国の若い男性は性格がとても優しいと言うことだった。それで、その時の私は、満員電車の中で、「ああ、なるほどなあ」と妙に納得したのだった。少し考えただけでも分かる。果たして、日本の若者が私のようなおばさんに、あの韓国人の青年のような優しい言葉をかけてくれるだろうか。いや、それはないだろう。というよりも、別にそんなことを期待してもいない。だからこそ、余計にあの青年の言動が心に残ったのだった。

 実はこれでも私は夕方のラッシュを避けようと1時間ほど早く家を出たつもりだったが、考えが甘かった。飛行機の夜の便に乗ることは予想外に大変なのだと思い知るが、それしか選択肢が無いのだから、どうしようもない。電車に乗っていた時間はそれほど長くなかったのにも関わらず、疲労はピークに達していた。いつもなら、離陸の期待と興奮で、胸がときめくが、この時は最悪の気分だった。それでも、とりあえずチエックインをしなければと、フィンランド航空のカウンターの行列に並んだ。搭乗前から、「きっと機内食は食べられないだろうなあ。それにあの濃い目のコーヒーも無理だろう」と思うようなこれ以上ないくらいの最低最悪の体調だった。この時の私は、10カ月前に自分が作った旅行計画を実行するミッションを遂行する義務感だけで行動していた。

 まさか、あの時、出発当日にこんな惨憺たる状況に陥るとはだれが想像できただろうか。まさに青天の霹靂で、もうひとりの自分が「こんなんで、本当に大丈夫か」と疑問を投げかけた。その一方で、楽観的な自分もいて、「行けば、そのうち何とかなる」と根拠もないのに無責任に私を励ました。

 

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