人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

なんとかパリに着いたが

それからが、苦難の始まりだった

 いつもはこの上ない解放感に包まれるはずの離陸なのに、今回はいまひとつパアッとはしなかった。それでも、何とか機上の人になれたことが、とてつもなく有難かった。気持ちだけは何とか上げようと、出された機内食を頑張って食べてみると、意外に美味しく感じた。煮込みハンバーグにポテトフライとブロッコリーが付いていて、他には野菜サラダもちゃんとある。その半分ほどしか食べられなかったが、少しでも食べられただけでも満足だった。その時気づいたのだが、いつもはプラスチックのはずのナイフとフォークが木製だった。今の世界の主流はSDGsで、プラスチックはもう過去の遺物になったようだ。日本人だから、どうしても箸を使いたくなってしまうのだが、試しに木製のナイフとフォークを使ってみると何の問題もなく使えた。

 当然のことながら、夜便なのだから、機内はずうっと真っ暗で、どうやら皆眠っているようだった。トイレに行くついでに機内の様子を窺ってみたら、座席で目を閉じてじっとしているようだが、さすがに熟睡している人はいない。時々身体を動かしたりして、何とか眠ろうとしているのがわかる。私はと言えば、ずうっと液晶パネルで映画を見てはいるが、それは眠いのに座ったままではどうしても寝れないからだった。普通なら家で布団に横になって寝ている時間なのだから、当然のことだ。横になりたい気持ちをグッと抑えて、ヘルシンキに着くのをじっと待った。そうなれば、あとは乗り換えて、2時間ほど乗ればパリに着く。

 さて、無事パリに着いた時、心の底からホッとした。だが、そんなに安心してもいられない。パリ市内まで行くロワシーバスの乗り場を捜さなければならない。5年前は確かちゃんと「ロワシーバス」のサインが頭上にも足元にもあったはずなのに、今回は何もなかった。ただ、単に「バス」の表示のみしかなかったが、とにかくその表示に従って、空港の外まで行って見る。どうやら、そこは空港バスだけでなく、いろいろな場所に行くバスが発着する場所だった。ただ、案内のカウンターがあって、そこにお姉さんがいて、その人が親切に何でも教えてくれたので助かった。目立たなくて、わかりにくいが、ちゃんとロワシーバス乗り場のサインはあった。バスがなかなか来なかったので、不安になり、側にいた女の人に聞いてみると、その人も同じバスを待っているとわかって安心した。

 もうずいぶん昔に初めてロワシーバスに乗ったことを思い出した。あの時のバスはオンボロで夏なのに冷房はなく、窓はがら空きで、しかも物凄く揺れた。そのおかげで一緒に行った友達が酔って具合が悪くなり、バスを降りたときすぐには動けなかったほどだった。あれから比べると、格段にコンディションは良くなったが、やはり時間はかかり過ぎた。なんと、1時間15分もかかって、やっとオペラ座のバス停に到着した。「オペラ座」と言っても、実際は降りたら、オペラ座が目の前にあるわけでもない。パリのガイドブックにある地図に載っているように、オペラ座の横っちょでもない。オペラ座の建物の影でもなく、私は今自分がどこに居るのか、理解するまでに結構な時間がかかった。

 正直言って、まだ昼間だから判断可能だったが、これが夕方だったらおそらく無理だっただろう。急いで、私は頭上に目をやり、オペラ座の正面を探した。そして、今いる場所から、道路一つ隔てた場所にオぺラ座のあの輝かしいエンブレムがあるのを発見して、いざそこを目指して走った。日本にいる時に、あらかじめGoogleの航空写真で、オペラ座の正面に地下鉄の駅とタクシー乗り場があるのを調べて置いた。そして、そこからバス路線も伸びていて、近くに予約したサンジェルマンデプレのホテルに行くバス停もあることも分かっていた。私はパリの地下鉄は怖くて乗れない。なので、タクシーかバスで行くつもりだったが、最初タクシー乗り場を捜したが、見つからない。それで、諦めて、バス停の方向に歩き出した。だが、幸運なことに、タクシーが次々と集まってくるのを見て、「これはどうなっているのだろう?」と不思議に思った。すぐに謎は解けた、タクシーが3台ほど停まっている場所をよく見たら、「TAXI」の表示がちゃんとあったのだ。誰も待ってはいないが、そこがタクシー乗り場だった。実に幸運だったとしか言いようがない。

 

mikonacolon