人生は旅

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街中ですすきの囁きが

今週のお題「秋の歌」

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▲スペインのフィゲラスにあるサン・フェルナンド城。NHKまいにちスペイン語テキストから。

目の前に突然、野原にあるべきすすきの群れが出現

 日課となっている散歩に出かけたら、今朝はいつもとは少し違う朝でした。と言うのは、季節が少し動いたように感じたのです。フード付きの裏地がボアのトレーナーを着ていたのですが、昨日までとはまるで違って、風が冷たく感じました。「とうとう秋も終わりか」と呟きながら、いつも自動販売機で買うホットのBOSSのカフェラテをトレーナーのポケットに押し込みました。手袋を外して片手をポケットに突っ込んだら、缶コーヒーの暖かさにおもわずほっこりしました。缶コーヒーがまるでカイロのような役割をしてくれたのですが、当然ながら帰りの道では冷たくなってしまいました。でもほんのひとときでも私に安らぎを与えてくれたのですから、まあいいかです。

 薄暗い道をどんどん進んで行ったら、途中で若者3人組と遭遇しました。道の真ん中で立ち話をしているようです。3人のうちの一人の男性が「じゃあ、お元気で」と言いました。どうやら、もう、あるいは、しばらくは二人とは会えない状況のようです。そしたら、あとの二人は「頑張って、じゃあ」と返しました。これらはすべて、私の背中の向こうから聞こえて来た会話なのですが、まさに別れの場面でした。秋にお別れと言うと、映画やドラマならなんだか寂しい気分になるのですが、現実だと何の感慨もないのが不思議です。

 そういえば、秋は虫の鳴く音で感じるものだったはずなのに、最近は虫の音を聞いていません。例年では日が暮れる頃になると庭の虫がうるさいくらい鳴きだす、それが秋の夕暮れと言うのが常識だったのですが、どうなっているのでしょうか。ふと気づいたら、子供の頃聞いたコオロギや鈴虫の声を今ではすっかり忘れてしまいました。庭の草むらからリ~ン、リ~ンと鳴く虫の声で秋を感じるという、季節の風物詩がだんだんと生活から消えて行く気がします。田舎ではないのだから、なんて言い訳で、都会にだってちゃんと季節の到来を知らせてくれる虫はいるのです。うちの姉は昔鈴虫を飼うのに熱中していて、あれはたくさん卵を産むのでどんどん増えるのが面白いのだと言っていました。

 先日、用があって隣町の商店街に行きました。その途中の大通りにある自動車会社のショールームを遠くから見て驚きました。店の前に何やら銀色に光るものの群れがあって、それらがそよ風に吹かれて揺れていたからです。それらが何か確かめるために近づいてみると、なんとすすきでした。子供の頃秋になるとそんな風景を飽きるほど 見ていました。たいていは誰も見向きもしない、放っぽって置かれた草ぼうぼうの土地にすすきが群生しているです。自由で、伸び放題で、好きなだけ背を伸ばして、まさに背高のっぽ。田舎のすすきは雑草の逞しさを感じさせました。

 一方、ショールームの店先にあるすすきは田舎にある雑草とは一線を画しています。すすきの後ろにはつやつやの緑色をした観葉植物が配置されていて、銀色がより強調されるように工夫されています。それは一種のインテリアのようなもので、私も見た瞬間「この図はなかなか絵になる。いいバックになる」と感じてしまったのです。つまり、そこだけ切り取ったら、インスタ映えするような風景に間違いないのでした。考えてみると、雑草のはずのすすきがこんなに美しく輝いていたかどうかさえ、今ではもう忘れてしまいました。子供の頃、すすきは当然あるべきもので取るに足らないものでした。大人になって、今になって、初めてそれを美しいと感じること自体、それこそが新鮮な驚きなのです。

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