人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

燃える秋

今週のお題「赤いもの」

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▲ラパスの中央広場である「ムリーリョ広場」。NHKまいにちスペイン語テキストから。

燃えるような秋はいったいどこへ行った?

 11月に入ったと言うのに、朝晩もけっこう暖かく、昼間に至ってはTシャツ姿の人も見かけます。なんだか、本当に今が秋なのか疑いたくなってしまいます。暖かいから得したと思うべきか、それとも本来の秋を懐かしがるべきなのか。昔のドラマで記憶しているフレーズは「燃える秋」とか「色づく街」などで、なんだかロマンチックな雰囲気が漂ってきます。ところが、目の前にある現実の街は、たいして色づいてはいなくて、まだ緑真っ盛りで青々としています。プラタナスイチョウなどの街路樹が、秋バージョンになっていなくて、全く興ざめなのです。きっと12月にでもなれば、慌てて黄色に変わってやっと本来のあるべき姿になるわけです。

 いつもイチョウは落葉して、周りには銀杏のあの独特な匂いが立ち込めます。その匂いでまたこの季節が来たなあと感じ、ふと気づくと、誰かがスーパーのレジ袋とお箸を持って何やらやっています。いったい何をしているのかと観察してみたら、イチョウの木から落ちた、ぺちゃと潰れた銀杏の実をお箸でつまんで袋の中に入れていたのです。私に気づく様子もなく、一心不乱に作業に集中しています。どうやら銀杏の実を持ち帰り、それらを干して乾燥させて食べるつもりなのです。銀杏の実を拾う姿はまるで海で貝拾いをする子供のように思えてきました。なんだか楽しそうなのです。ただ、去年はあの光景が最後まで見られなかったのが残念でした。なぜならイチョウの落葉は例年のようには道路を彩ることはなく、それだからなのか銀杏の実もあのユニークな匂いも消えてしまったからです。

 到底秋が深まったとは言えない街中で唯一頭上で赤く光っているもの、それはザクロです。ザクロだけは燃えるような色をして、鳥たちにも見向きもされないけれども、その代わりに未だ落下もせずに健在です。実は少し心配だったのです、その木が切り倒されてしまうのではないかと。去年隣にあった空き家が取り壊されようとしていた時、もしかしてザクロの木も同じ憂き目に会うのかとひやひやしました。でもそれは杞憂に終わり、ザクロの木は災難を逃れ、また今年も元気な姿を見ることができました。

 正直に言うと、ザクロって子供の頃も今もあまり食べた記憶がありません。田舎に居た子供の頃、パクッと大きく割れたザクロの実を食べたときは、酸っぱくてあまり美味しいとは思いませんでした。ただあの果実のプチプチした形が面白いなあと子供心に思ったのを覚えています。だから、今はザクロの赤い実が無数に生っているのを眺めるだけなのです。そう言えば、家の近所に小さな美術館があるのですが、その建物の敷地にザクロの木が2本あります。それらの木は隣同士で置かれている環境もたいして変わらないのですが、不思議なことに1本は花盛りだったのに、もう1本の方は全く花が咲きませんでした。花が咲かないのですから、その木は実をつけることはありませんでした。

 花盛りだったザクロの木は当然溢れんばかりの実をつけて、その実はどこまでも大きくなって行き、立派な果実をたわわに実らせました。夏の強烈な日差しを浴びてすくすくと成長したおかげで、その重さに耐えられなかったのか、あるいは落下する運命なのか、10月中にはあっという間に視界から消えてしまいました。さて、もう一方の木はと言うと、相変わらずつやつやとした緑の葉をつけてちゃんと生きているのです。今となっては、こうなると花が咲いても咲かなくても、たいして2つの木には違いはありません。ただ、たしか去年は同じように花が咲き、実をつけたはずなのにという多少の謎は残るのですが・・・。

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