人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

寝坊したと思ったら祝日だった

今週のお題「祝日なのに……」

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 普通に登校しようとしたら親に止められた私

 祝日なのに登校してしまった経験は私の人生にはないのですが、危うくやらかしてしまいそうになったことはあります。翌日が祝日で学校が休みとなれば、帰りの会で先生から言われるだろうし、子供なら得した気分になるので絶対忘れないはずです。明日は早く起きなくてもいいから、寝床の中でうとうとできる。朝寝坊しても親に怒られることもない。それに日曜日じゃないからお気に入りのアニメもドラマもやっていないので早く起きる必要もなかった。それなのに、あの朝布団の中で目を覚ました私は、部屋の時計を見て仰天したのです。寝ぼけ眼で見たら信じられないことに時計の針は8時を指していました。いつも7時半に村の子供は集まって、小学校に集団登校することになっていました。なのに8時だなんて、どうしよう!完全なる遅刻だ。先生に怒られて、少しの間バツとして立たされる自分の姿が浮かんできました。

 それにしても、なぜ今日に限っていつもの時間に起こしてくれなかったのだろうと母を恨んだ。とまあ、あの時に感じたであろう気持ちを書いてみましたが、実際は時計を見た瞬間、とにかく着替えて急がなきゃと行動に移したはずです。手早く身支度をし、ランドセルを背負って玄関に行こうとしたら、後ろから「あんたは何やってるの?今日は祝日で学校は休みでしょう」という母の呆れる声が聞こえてきました。それを聞いた途端、ホッとしたと同時に「やったあ!」という思いがけない幸運を手にしたかのような喜びでいっぱいになりました。ただ、もっと早く教えてくれれば朝寝坊を満喫できたのにという残念な気持ちもあったはず。祝日なのにドキドキしてしまって、それも楽しいのではなくてできれば経験したくないような、冷や汗ものの勘違いをしてしまった。なんか、どう考えても損をした気分になった、せっかくの貴重な祝日なのに。

 集団登校で思い出すのは、ちょうど今頃の季節は学校に行く道すがら目にしていた様々な花々のこと。花といっても桜ではなく、田んぼ一面に咲くレンゲソウシロツメクサや菜の花の繚乱を何の変哲もないものとしか思えなかった。今でこそ綺麗とか可愛いとか目の保養になると感じられるのですが、当時はそんな気持ちは一切なかったのですから不思議なものです。たぶん自分にとってそこにあって当たり前の光景の美しさに気づかなかっただけなのです。

 幸運にも寝坊しても祝日なのでセーフだったわけですが、当時の私のクラスにはひとり羨ましい子がいたのです。その女の子は小学校の裏にある狭い道路を隔てた一軒家に住んでいました。だから家から学校まで歩いて30分はかかる私とは違って、5分もあれば余裕で来られるのです。毎朝私たちが教室でひと息着いていると、始業のベルが鳴ると同時に教室に入ってきました。当時は羨望の念しかなかったのですが、大人になるにつれて、家が学校に近過ぎることは、精神衛生上様々な問題をはらんでいるのだと知りました。例えば、学校ではいろんな体験をするのですが、それが楽しいものだとばかりとは限りません。嫌なことがあったときに、家に帰っても目の前に学校がある環境だとしたら、これは相当辛いのではと想像できます。つまり嫌なことがあっても、家に帰るまでの30分のうちに気分転換できて、家に着くころには忘れた気になっていたわけなのです。明日になればなったでまた思いだすのですが、しばしの間は気を紛らわす、そうやって当時はやり過ごしていたことをこのブログを書きながら懐かしく思いだしました。

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