人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

着せ替え人形を集めまくり

今週のお題「わたしのコレクション」

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紙の人形で家族ごっこをして遊ぶ

 私の一番最初のお人形はリカちゃんでもバービーでもない、名前などなくてただのセルロイドで出来ていた。それでも私はその子に名前を付けて可愛がっていた。どんな名前だったか、もう思い出せないがきっと外国のしゃれた名前だと思う。だいたいが髪の毛が金髪なのだから、日本人の名前など付けるわけにはいかない。その子は買った時は下着と洋服を身につけていたが、一張羅なので着替えが必要だった。デパートに行けば素敵な洋服がいっぱい売っているのに、母は高いからと言って買ってはくれない。でもその代わり着物の端切れで人形の着替えを作ってくれると約束してくれた。出来上がったのはスカートやワンピースではなくて、着物だった。まあ、仕方ないかと諦めて人形に着せてあげたら、よく似合っていて可愛い。

 祖母に見せに行ったら、なんと母に対抗意識を燃やしたのか、また着物を作ってくれた。当時は浴衣や着物の端切れが家の中にあったせいか、何着かの着物の着替えを作って貰えた。だが、さすがに着物にも飽きて、やはり本物の洋服が欲しかった。でも現実はどうしようもない。そんなとき、りぼんの付録に大好きな漫画家の着せ替え人形が付いてきた。そうか、本物の人形でなくてもいいんだ。紙人形ならどんな素敵な洋服でも着せることができるし、ヴァリエーションが楽しめる。本物でなくてもいい、美しい物や可愛いものが紙であっても、十分私に夢を見させてくれた。それに子供のお小遣いで買える値段なので、お財布にも優しかった。だからどんどん着せ替え人形は溜まっていった。いつの間にか、父親や母親役の人形まで集めたので、家族ごっこができるようになった。

 当時小学校のすぐ側には文房具屋があった。ちょうど校門の前にあるので帰りに寄ることもできた。そこは家に帰っても八百屋しか店がない地域の子供には魅力的な場所だった。なぜなら、店内はカラフルな色で溢れていて、子供が欲しがるものが何でも揃っていたからだ。私が欲しいものは塗り絵で、たいてい着せ替え人形が付いていた。自分とは違って、目が大きくて愛らしい女の子がこちらを見て笑っていた。自分の住んでいる世界と対極にある別世界の住人だった。友だちと、と言っても学校の友だちは家が遠くて遊べない。だから仕方なく意地悪であまり好きでもない、近所に住む幼馴染の一つ下の女の子と遊んだ。天気のいい日は専業農家をしているその子の家の庭でゴム飛びをした。いつだってその子の方が上手く飛べたので、馬鹿にされた私は自己嫌悪に陥った。雨の日はビニールハウスで遊んだが、そこで紙の着せ替え人形で遊んだ記憶はない。

 となると、当時の私は着せ替え人形を集めることに熱中し、ひとりで悦に入って楽しんでいたことになる。自分のコレクションを誰かに見せびらかすわけでもなく、ただただ集めることが純粋に楽しかったのだ。なぜそんなものを集めるのか、ただの紙なのにと言ってしまえばそれまでだが、好きなものを集めることに理由などいらない。子供なりにそれらに何らかの価値を見出していたのだと思う。大人になって原宿に行った時、モーニング娘のグッズばかり売っている店を偶然見つけた。そこでメンバーのそれぞれの写真を紙人形にしてある物を見つけたときは、思わず懐かしい!と口から出てしまった。今ではもうその店は跡形もなくて、時だけが過ぎて行った。

 最近、百円ショップに行って驚いたのは、人形の洋服が、それも可愛いワンピースが売られていたことだった。ピンクや黄色、ブルーの柔らかそうな布で作られたドレスがパッケージに入っていた。こんなものまで百円で買える!ことに仰天した。人形の洋服を作ろうと思うと、布は少なくて済むのだが、小さい布を縫うのは想像以上に神経を使って大変だ。少しだけ想像力を働かせて、この製品ができる裏側を覗いてみたら、なんだか複雑な気持ちになった。

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