人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

テロ・紛争解決スペシャリスト

 

▲永井陽右(ようすけ)さんの著書『紛争地で「働く」私の生き方』から。

ひとりでも多くの若者を救いたい、だからこの仕事を

 朝日新聞の木曜日の夕刊に『一語一会』というコーナーがあって、先日クローズアップされたのは永井陽右さんだった。肩書を見るとテロ・紛争解決スペシャリスト、これではいったい何をしている人なのか、さっぱりわからない。冒頭の説明では『ソマリアのテロリストの脱過激化・社会復帰支援を行っている。世界で最も危険な地と言われている場所に乗り込み、関係者と丁々発止のやり取りをする。脱過激化プログラムは職業訓練や教育だけでなく、一人ひとりとの徹底した対話が特徴だ。将来の夢を語り合い、何に悩んでいるかを聞いて行く』と書かれている。だが、それでもやっぱり、当方にはまるで、映画やドラマに出て来るような別世界の出来事のようで、「ふ~ん」としか思えなかった。

 いつもならその時だけのことで終わって、すぐに忘れるはずだった。だが今回はそうはならなかった。それは永井さんの経歴紹介の最後に新著に『紛争地で「働く」私の生き方』とあったせいで、図書館で本を借りて読むようになった私はネット検索をしたからだった。もちろんその時は「まさか、あるわけないよねえ」と軽い気持ちで、無かったとしても、それはそれでよかったのだ。ところが、予想に反してその本はちゃんとあって、しかも誰も借りていなかった。新刊だというのに、誰にも興味を持たれることなく、忘れられていた。おそらくタイトルが『紛争地』だから、自分事として考えられず、そんなこと知って何になる的な思考回路に行きついてしまうのだろう。別に知らなくてもいいこと、の筆頭にあげられるような話題なのかもしれない。そんな役にも立たない?本を読むくらいなら、もっと役に立つ、あるいは楽しめる本を借りて読む方が何倍もいいと考えても不思議ではない。

 この本『紛争地で「働く」私の生き方』は皆から避けられていたおかげで、ネット予約した翌日には、取り置き完了メールを貰うことができた。私にとっては図書館にこの本があったこと自体が青天の霹靂ともいえることで、「なかなかやるじゃん、図書館のサービスも捨てたもんじゃない」と感動した。なぜ、私がこの本を借りたかと言うと、新聞の記事ではさっぱり事の実態が見えてこず、当然のことながら、どうして永井さんはこんな危険な仕事をするようになったのかを知りたくなったからだった。だいたいが国際貢献の仕事をする人は子供の頃から高い志を抱いている方が多く、学歴にしてもこちらが気後れするほど立派だ。永井さんもそう言う方たちのひとりだとばかり思っていた。

 ところが、本を借りてさっそく読んで見ると、子供の頃はどこにでもいる普通の子供で、それどころか家族とは不仲で高校生の時は荒んだ生活をしていた。そんな永井さんが、最初に「おやっ?」と感じたのはツバルの問題で、その時はすぐ忘れてしまったが、大学生の時、ルワンダの虐殺のことを知ったときは違った。ルワンダのためにいったい自分は何ができるだろうか、ということを真剣に考え始め、また周りの友だちや先生にも聞いて回っていた。その頃永井さんはもし自分が医者になったら、何かの役に立てるのではないかと医者を目指すことも考えたこともあった。だが、医学生の友だちに「医者なんて、たいして何もできやしないのよ」と言われてしまって、別の道を探り始めた。

 それでも永井さんはその後ルワンダに行こうと思い立ち、実際に行ってしまうのだからその行動力には驚かされる。さらにルワンダの帰りに隣国ソマリアのテロ組織のことを知り、幼い子供たちを拉致し、戦闘員として育てているという実態を聞かされる。組織の一員として働かされている彼らの中にも内心は普通の生活に戻りたいと強く願う者もいることを知る。それで、何とかしてテロ組織から彼らのような若者を救えないのだろうか、と考え始め、まずは国際貢献や紛争地の事情について学ぼうと英国の大学院に入学する。凄いのはその間も学業の傍ら、ソマリアに通い続けていて、現地で活動していることだ。大学院の学費は返済不要の奨学金で賄っていて、お金があるとかないとかの問題ではないのだとわかる。

 永井さんの仕事に不可欠なのは政府高官や現地の要人との対話力で、時には冗談を交えながら友好的な雰囲気を作ることが欠かせない。また元戦闘員たちと面会するにあたっても、上から目線ではなくて、まるで友達か何かのように接しないと彼らは心を開いてはくれないのだ。世の中のだいたいのことがボタン一つで済ませられると錯覚するような時代においても、人と人とのコミュニケーションは何よりも大事なのだ、と今更ながら気づかされた。

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