人生は旅

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お風呂の思い出

今週のお題「お風呂での過ごし方」

f:id:mikonacolon:20211011142633j:plain▲繊細な細工の彫像が見事なシャルトル大聖堂NHKまいにちフランス語テキストから。

お風呂は唯一の父とのコミュニケーションの場だった

 小さい頃のお風呂の思い出は、父と一緒に入ると必ず遊んでくれたことです。おもちゃとかではなく、身近にあるもので子供が面白がりそうなことを父なりに工夫したのです。洗い場で身体を綺麗に洗ったら、湯船で温まるのですが、その時にある遊びをします。それは父がタオルを固く絞り、開いたかと思ったら、すぐに湯船にふわっと乗せるんです。すると、不思議なことに湯船の上でタオルが膨れ上がり、立派な風船ができがります。小さい子供にとっては魔法のような出来事で、またその風船を潰すことが面白くてたまらないのでした。父がタオルで風船を作ると、すぐに私が指で突いて潰して遊ぶ、そんなたわいもない遊びを繰り返していました。父に「ねえ、もう一回やって!」と何度もせがむのですが、「今日はこれで終わり、また明日」で遊びは終わりです。

 こんなことを書くと、父は優しくて子煩悩と思われれるかもしれませんが、実際は違います。普段の父はいつも怒っていて仏頂面をしていて、私にとっては怖い人でした。それは夫婦仲が良くなかったせいもあるのですが、父の頑固な性格も一因なのだと思います。でも近くに住む、と言っても車でしか行けない距離なのですが、兄弟姉妹とはとても仲が良かったのです。私もしょっちゅういとこの家に遊びに連れていかれました。その時だけは父は終始笑顔で上機嫌だったので、私はそんな父を見て不思議で仕方ありませんでした。父は自分の親(祖母)と兄弟姉妹を大切にし過ぎていたから、もしかしたら母は嫉妬していたのかも知れません。

 子供の前で喧嘩ばかりしている夫婦でも、ときには笑いながら話をしている時もあります。そんな場面を目撃した私は子供心に、「大人ってわからない生き物だなあ」と思ったものです。まあ、大人になってみると、仲が悪くてもそう喧嘩ばかりしていたら疲れるから、たまには妥協してしまうのだということがわかったのですが。その後、最悪な夫婦関係に変化が訪れたのですが、それは母が病気になったからでした。母の病気は坐骨神経痛ですが、実際の症状は骨が溶けて、やがて歩くこともできなり、最後には寝たきりになりました。母は私が身体にちょっと触れただけで、「痛い!」と悲鳴をあげるのでした。

 病院での診断はただの坐骨神経痛でも、医者に言わせると、症状が水俣病に似ているそうなのです。でも母は水俣に住んでいたこともないし、何の因果関係もないのでした。水俣病はもう過去でしかないと思っていたら、最近またジョニー・デップさんの映画でまた注目され始めました。日本人がもう忘れかけていたことを外国人が思い出させてくれるなんて、なんだか皮肉としか思えません。

 母が病気になったことで、父は母に優しくなったのですが、母は私が中学の1年の時に亡くなってしまいました。それまで母の陰に隠れて父を見ていた私は、怖い父と正面から向き合うことになりました。母がいなくなってこの世の光を失い、目の前が真っ暗闇と思ったら、意外にもそうはなりませんでした。素顔の父は怖い人でも、偏屈な人でもなくて、子煩悩な父親だったのです。今の言葉で言うと子供ファーストで、なんでもやりたいことはやらせてくれました。父との生活は私が想像したのとはまるっきり違ったものになりました。考えてみると、あの小さい子供の頃のお風呂での出来事を思いだしたなら、ある程度予測できたはずなのです。普段は滅多に見せなくても、少しでも娘を喜ばせようとした父親の想いを感じていたのなら。

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