人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

湯船に毎日つかっていますか

シャワーで十分、湯船につかるのは贅沢!?

 朝日新聞の土曜版に毎週あるテーマについてのアンケートの結果が載っている。先日は『湯船に浸かっていますか』で、「はい」は63%、で「いいえ」は37%、湯船に浸かる人の方が多かった。正直言って、私はこの結果を見て、ほっと胸を撫でおろした。湯船に浸かる人は自分だけではなかったとわかったからで、周りにいる会社の同僚や友だちは皆シャワー派だったからだ。彼らにとっては湯船に浸かるなんてことは必要がないことであり、湯船に浸かるのが普通だと思っていた私のステレオタイプな考えを見事に打ちのめした。さらに、それが夏だけではなく、寒い冬でも一年中続くことに、それが全然平気だと言わんばかリの物言いに仰天した。

 「寒くないの?」という質問には、「全然、それに慣れてしまったから平気よ」と即答し、疑り深い私はきっとやせ我慢しているに違いないと思っていた。それによく話を聞いてみると、同僚のひとりにとって風呂に入るということはシャワーを浴びることを意味し、毎朝起きたらすぐと決まっていた。彼女は一年中”朝シャン”をするのだ。夏などは朝起きたらシャワーを浴びたらさぞかし気持ちがいいだろうが、冬もそう思えることが信じられない。それはさておき、一番驚いたのは、夏でもシャワーを浴びるのは朝だけだということだった。つまり、寝る前にシャワーを浴びないで、そのまま寝てしまうのだ。「気持ち悪くないの?」と疑問に思って尋ねると、「そうよ」とあっさり言われて拍子抜けした。

 その日一日の疲れや汗を洗い流し、すっきりしてから寝るのが当然、とばかり思っていた私には目から鱗だった。まあ、いいか、人が好きでやっている習慣をとやかく言っても埒が明かない。話題を変えようとした私に今度は彼女から、「そんなに毎日お湯を使ったら、水道代とかガス代とかが、大変じゃない」との質問が飛んできた。それで、やっとそうか、そういう考え方からなのかと合点がいった。湯船につかるのはシャワーと比べるとより大量のお湯を必要とするから、もったいないのである。だが、待てよとも思う、なぜならエアコンに関しては”使うのは世の常識”とばかりにいつも宣っているのに、お湯に関しては断じて許せないものなのだろうか。要するに価値観の違いで、お湯で身体を綺麗にし、温まり、リラックスするのが、なんとも贅沢なことに思えるのだろう。

 私からすると、毎日シャワーだけと言うのは、何とも味気なくて、風呂に入った気がしないのが正直なところだ。歩くのが日課の私は冬でも大量の汗をかく、なので風呂に入り、湯船に浸からないことには一日が終わらない。ただ、夏になったら、湯船のお湯を減らそうとも思っている。今のお湯の量の半分程度にしても十分満足できるだろう。今では湯船に浸かるのが習慣になってしまった私だが、昔は風呂なんてどうでもよかった。要するに面倒くさかったからで、特に冬ともなると服を脱ぐのが寒くて嫌で堪らなかった。2,3日程度なら風呂になど入らなくてもいいのではと本気で思っていた。それで平気なら大いに結構だったが、そうなると着替えもしないことになる。完璧な光熱費の節約と思いきや、そううまくいかないのが世の常で、だんだんと無気力感が忍び寄ってきたのだ。風呂に入ることのみならず、何もかもが面倒くさくなり、何にもする気がしなくなった。なので、毎日風呂に入って、身体を清潔に保つことは精神的にも大いに意味があることなのだ。

 アンケートで特に気になったのは、高齢者の方からの『お風呂ぐらいはゆったりのんびりと入りたいものだが、年金生活者には危機感が迫って来た感じである」という切実な声だった。それでも一方では『入浴は唯一の贅沢、毎日ひとつ楽しみがあれば、元気に過ごせる。また頑張ろうという気持ちにさせてくれる貴重な時間』という前向きな意見も寄せられていた。いずれにせよ、湯船に浸かることは人に心の平安を与えてくれることは間違いない。

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