人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ちらし寿司

一瞬大喜び、後で事の真相に気づいた

 昨日夕食の支度をしていたら、インターホンが鳴った。 出てみると、ご近所の方で、この間田舎から届いたりんごをお裾分けした人だった。「先日はりんごをご馳走様でした。とってもおいしかったです」とお礼を言ってくれるが、なんだか躊躇している様子だ。「あれ、どうしたのだろう?」と内心思っていたら、その人は「あのう、今日友だちが来てね、お弁当を2個も買って持ってきてくれたの。でも私、そんな2個もね、食べられなくて。よかったら、これ食べてもらえない?」とレジ袋を差し出した。その人の口調には「本当に悪いんだけど、できることならお願いできないかしら」という意味合いが明らかにあった。

 その時の私の正直な気持ちは「なにもお弁当なんて、冷蔵庫に入れて置けば明日でも食べられるに、なぜ私にくれるのだろう」くらいのもので、不可解極まりなかった。「小食なのですね」と率直な感想を言ったら、その人は「いや、そうじゃないんだけど・・・」と歯切れが悪く、とても困った顔をする。きっと何かもっと言いたいことがあるのだが、それを言ったらお終いだとばかりに黙っているような感じだった。それでも私はせっかく親切にもりんごのお裾分けに対するお返しを持ってきてくださったのだからと、「嬉しいです。よろこんで頂きます」とお礼を言った。するとその人はほっとしたかのように「混ぜご飯だけどいい?」と念を押したので、「大丈夫です、大好きですから」と機嫌よく応じた。

 その人が帰ってから、ちょうどよかった、たまには別の物も食べて見たかったとウキウキし、貰ったレジ袋を開けてみた。中にはお弁当と言うよりも、パックに入った混ぜご飯というか、ちらし寿司が入っていた。酢飯のご飯の上には味付き椎茸、錦糸卵、グリンピースが山盛に乗っかっていて、思わず口の中に酸っぱさが広がった。実を言うと、私は酸っぱい物が苦手だ。こういったちらし寿司は店によっては我慢できなくなるくらい酢が強めに作られている。そうではありませんようにと願いながら、一口味見する。一口目は珍しさも手伝ってか、「うん、まあまあイケル」だったが、二口目からは酢の味が強烈すぎて、もう食べられない。これを食べなければならないとしたら、まるで何かの罰ゲームのようだ。

 やっとわかった、あの人の申し訳なさそうな態度の訳が。おそらくその友だちは悪意などなくて、良かれと思って買ってきてくれたのだろうが、結果的には最後まで食べられそうもない代物だったのだ。しかも2個も持ってきてくれたので、ほとほと困り果てた。あの人はこのちらし寿司を捨てるのはもったいないからとか、友だちに悪いからと義理立てしたのか、我慢して一個はなんとか完食したのかもしれない。だが、2個目はもう自分では食べたくなかった。でも捨てるなんてことはできない。その時頭の中に浮かんだのは私のこと、「そうだ、この前りんごを貰ったからお返しにあげたらどうだろうか」と思いついて、私の家のインターホンを押したのだ。

 私に「小食ですね」と言われた時、あの人は少し顔をしかめた。おそらく「こんな悪魔のように酸っぱい物をもう一個食べるなんて死んでもできない。冗談じゃない」との気持ちからだったのだろう。あの人にとっては厄介ものを手放して清々した気分だろうし、それに相手にも喜んでもらえて一石二鳥だった。その厄介ものを頂く羽目になった私は、特に気分を害することもなくさっさと犠牲になるのを回避した。新聞紙に包んで自分の視界から消すことにした。あの人の気持ちも少しは理解できる気がしたし、世の中には耐えられないような強烈な酸っぱさを好む人も確かにいる。なのであの人の私に対する善意だけ快く頂くことにした。この時だけはSDGsには大変申し訳ないが、従えなかった。

 

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