人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

群れなきゃ

グループの中に居た方が安心?

 「グループの中に居て苦しいなら、一人でいる方がまし」。これは以前見たドラマの中で観月ありささんがママ友とうまくやれない主婦を演じていて、ふと漏らした本音である。自分の子供のために他の子の親たちと良好な関係を結びたいと思うのは当然のことだ。でも自分の考えとは違った価値観を押し付けられたり、他人の悪口を聞かされたりして、逃げ出したくなってしまうことが多かった。どうにも苦しい。子どものためとはいえ、こんな人たちと我慢して付き合わなければならないのだろうか。一度は今だけなのだからと開き直るが、そうまでして表面だけでも仲よくしなければならないのが納得がいかない。こんなの間違っている、こんな私は本当の私じゃない、と思ったらもう抑えきれなくなった。

 それで「こんな馬鹿げたことはもうやめる」と決心し、冒頭で書いたようなセリフを言い放つ。ドラマを見ているこちらは、彼女の決断がいかに勇気がいることだったかを切々と感じることができた。他の母親からは「私も本当はあなたと同じことを思っているけれど、勇気がなくてできないの」と言われてしまう。要するに群れを離れるのが怖いのだ。「子供のために」という名目で、この状態が永遠に続くのではなく今だけなのだからというそれだけの理由で、その場しのぎとしてとりあえず我慢しようとしていた。誰でもひとりは嫌だし、群れの中なら安心と思いたいのが人の常だが、現実はそんなに単純ではない。それでも人は表面上は集団の中でうまくやっていこうとして、群れの中にいるのを選択せざるを得ないものらしい。

 子供の頃学校のクラスの中でもグループが出来ていて、それぞれ気が合う子同士2,3人で休み時間などはおしゃべりをしていた。あの頃一人でポツンといる子なんていないと思っていたが、一人だけ居ることに気が付いた。勉強ができて、いつもニコニコしていて、皆の模範になるような女の子、学級委員のアヤちゃんだった。考えてみると、アヤちゃんは職員室の先生のところに行ったりして、忙しいのだ。ある日休み時間に友だちとふざけ合っていて、何気なくふと周りを見渡したことがあった。皆がそれぞれグループで群れて、ガヤガヤしている中で、アヤちゃんだけが教室で一人ぼっちでいた。意外だった。考えてもみなかった。皆に好かれているアヤちゃんなら、当然グループの中心にいるべきだと思い込んでいた。その時私は、優等生というのは孤独なのだと気付かされた。皆から好かれてはいるが、特別親しくしている子はいないようだった。皆優しいアヤちゃんが大好きなのだが、いつも一緒に居るべき存在とはまた意味合いが違うらしい。かくいう私もアヤちゃんと友だちになりたかったが、どうせアヤちゃんにはもう親しくしている子がいるとばかり思っていたので、”友だち”になるのを諦めていた。だからこそ、あの時アヤちゃんがひとりでポツンと居たことに衝撃を受けたのだ。

 さて、大人になって社会人になったとき、会社でうまくやっていくにはどうしたらいいか自分なりに考えた。会社には自分を指導してくれる先輩がいて、その人とうまくやっていくことが必須事項になった。そうなると当然昼休みも一緒に過ごすことになって、「ご飯一緒にどう?」と言われれば、断る理由などあるわけもない。会社の帰りも地下鉄の駅まで行く道すがら、同期も交えて雑談をするのが習慣になった。要するに私は群れの中で安心したくて、たまには一人でさっさと帰りたくても出来なかっただけのことだ。それに周りにもそんなことをする人は誰もいなかったから。あくまで仕事とプライベートは別物なのに、付き合わなくてもいいのに、そうしなきゃとしか思えなかったのだ。

 だが、後から入ってきた後輩は違った。「お先に失礼します!」と元気よく声をかけながら、群れで動く私たちを平気で追い抜いていった。目から鱗だった。彼女はいとも簡単に越えられないと錯覚していた壁を乗り越えてしまった。もちろん彼女は昼休みも私たちとは別行動だし、帰りも一緒には帰らない。だからと言って、別に雰囲気が悪くなったわけでもないが、世間話のひとつもしないので彼女のことがよくわからないだけのことだ。

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