人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

愚痴をこぼしますか?

愚痴はストレス解消になる?

 朝日新聞の土曜版Be に「愚痴をこぼしますか?」というアンケートが載っていた。結果は「はい」が60%で、40%の「いいえ」を圧倒していた。その理由を見て、気になったのは、「ストレス解消」とか、「気持ちを整理できる」と考える人が多数いたことだ。本当にそうなのだろうか、いや、たとえ、自分はそうだとしても、延々と聞かされる方にとっては迷惑千万の何ものでもないだろう。最初から最後まで、垂れ流しのように愚痴のオンパレード、何度も同じような話が続き、終わる気配がまったくない。暗くて、気の滅入るようなダラダラ話が、聞く側の心を執拗なまでに侵食し、不快感が高まるのを止められない。もういい加減にしてくれ、もうその程度でいいではないかと、口を挟みたくなるのをぐっと抑える。

 そんなときはだいたいがランチなんかを食べながらのことが多いが、正直言って、食べ物の味がしないくらい、こちらはメンタルをやられてしまう。なぜランチ代を払ってまで、いや、たとえ、奢りであっても、御免被りたい。だが、職場の同僚なのだから、付き合いなのだから仕方がないと覚悟して行く。当然、帰りはぼろ雑巾のようにくたびれて、口の中が苦い液体でいっぱいになる。どうしてあんなに愚痴を吐き出されるものかと、呆れ果て、ついつい誘いに乗ってしまったことを後悔する。だが、相手の顔を盗み見ると、意外なことにスッキリしているではないか、そうなると、なんだかこちらは損をしたような気になって、自己嫌悪の極致に陥る。

 なので、私は自分なりに予防線を張ることにした。同僚の誘いは3回に一回、いや、なるべく断るようにしている。その代わり昼休みには最大限にコミュニケーションをとろうと努力を欠かさない。それでも、面と向かって「話があるのだけれど、今晩空いてる?」などと言われたら、断れない。ああだ、こうだと、非建設的な愚痴を聞かされ、相槌を打ちながら、じっと耐えなければならない。どうしてこうも人は愚痴を言うのが好きなのだろう。そんなことをいつも思っていたら、今回のアンケートに遭遇した。一番驚いたのは、愚痴を言う理由に、「自然と口から出る」をあげる人が大半を占めていたことだ。あれは、自分の意志とは関係なく、ポロポロとこぼれるものらしい。抗おうとしても、涙のごとく、止めようとしても出てしまうものなのか。そんなに自然なことなのか、と当方は困惑せざるを得ない。

 考えてみると、愚痴を言うことは、自然な行為だからこそ、気持ちがスッキリするのかもしれない。気分が悪い時に、とりあえず、お腹に溜まったあれやこれやを一気に吐き出せば、気分がよくなる、と言うことだろうか。誰かに愚痴を聞いてもらって、すっきりしたいという気持ちはわからないでもないが、聞き手はたまったものはない。だから、私は人に愚痴を聞いてもらいたいなどとは思わないし、人の愚痴はなおさら聞くのは嫌だ。

 一方、愚痴をこぼさない派の人にその理由を聞いてみると、「根本的な解決にならない」をあげる人が多かった。なるほど、その通りだ。それに、「後味が悪い」し、「周りに告げ口をする人がいる」こともあって、ロクなことがないらしい。どうやら、愚痴をこぼす行為は悪いことだらけで、何一つ良いことがないようだ。なので、愚痴は言わない方がいいということで、「ストレス発散は別の事でもできる」という意見もあった。私も同意見で、愚痴を言い合っているうちに、それはやがて、その場にいない人の悪口に繋がっていく。そうなると、いつの間にか「あの人が誰々さんのことをこう言ってたわよ」という噂が広まる。そうなると、収拾がつかなくなって、職場がぎくしゃくしてしまうのだ。愚痴は言ってしまったら、もう取り返しがつかないから、面倒で怖いものだ。愚痴でストレス発散なんて、できやしないのだ。特筆すべきは、『毎日毎日愚痴を聞かされるのは、毒を飲まされているようなもの』だと、ある4コマ漫画で読んだことがある、との投稿を寄せてくれた人がいたことだ。

 

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