人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

列車で日本人カップルと出会う

何度も出会うので、気になって仕方がない

 サンセバスティアン売店で、食べ物を仕入れて大満足の私は、改札を通って荷物検査に進んだ。5年前に乗ったときよりも、手続きが簡単になっていて、パスポート審査もなくて、スムーズに通過した。確か、あの時、係員に「あなたはスペイン語は分かるの?」と聞かれて、「少し」と答えたことを覚えている。それで、今回も何か質問されるのではないかとドキドキしたが、何のことはない、何もなかった。ずいぶん簡単になったものだ、と驚きを隠せない。ホームに行き、列車の到着を待っていた。4号車の15D、これが列車アルヴィアの私の座席で、乗車して、自分の座席を探そうとしたら、前方に日本人と思われる若いカップルを見つけた。どうして日本人だと分かったかと言うと、彼らが日本語を話し、彼らの座席が私のと1番違いの番号だったからだ。つまり、彼らの座席は私の斜め向かいで、私からは、彼らの姿が丸見えで、彼らの様子や、彼らが話していることが全て、聞きたくなくても耳に入って来る。

 夫と思われる男性の左手の薬指には指輪が光っていたから、おそらく夫婦ではないかと判断した。いつもは車内で自分の世界に耽るのに、今回はやたらにこの夫婦が気になって仕方がない。ふと見ると、妻の方はコートを身体にかけて寝ている様子、たぶんこれから4時間も乗らなければならないので、退屈を寝て紛らわそうとしているのだろうか。これから先のすべてを、夫に委ねて、時間が過ぎるのを呑気に寝て待っている妻、そんなふうに私には思えた。一方の夫はスマホを見ながら、ずうっと起きていた。

 私はと言えば、旅行ノートに貼っておいたアルヴィアの停車駅のコピーを一駅づつ確確かめ、時計で到着時刻と合わせて見ていた。今回のスペインの列車はアナウンスがあったからまだよかったが、昔は何もないから自分でトーマスクックの時刻表と照らし合わせて確認するしかなかった。そんな時代が嘘のように、今ではパリでもロンドンでも、何処でも物凄く人に親切になった。それでも、日本の鉄道のようには駅名を何度も連呼してくれないので、どうしても列車の窓からホームにある駅名のプレートを探してしまうのだ。それに、到着する度に開くドアにしたって、日本のように自動ドアではなく、人が「降ります」と意志表示をしなければ開かないようになっている。要するにドア付近の壁に付いている緑の丸いボタンを押さないとドアは開かない。さらに、降りるドアがどちら側かなんてこともアナウンスがないらしく、到着した時にホームがある方が当然降りるドアということになる。何処の駅だったか忘れたが、列車の出入口に並んで降りるのを待っていた人々が、ホームに着いた途端、「あらら、違ってた」と言わんばかりに皆一斉に身体の向きを変えた場面を目撃したことがある。

 さて、日本人カップルの話に戻ると、しばらく経って、眠っていた妻の方が起き上がり、夫に「ねえ、まだなの?」と聞いた。夫は「まだだから、寝ていて大丈夫だよ」と優しく答えた。これは私の勝手な想像に過ぎないが、妻は夫に付いてきただけのお気楽な人に思えた。旅行の計画は夫まかせで、何もかもが夫が主導権を握り、まるで個人的なツアー状態で、楽ちんだ。別に旅行に行きたいわけでもないけど、夫が行きたいと言うのでそれならと付いてきただけの人、私から見れば、こんな幸せな?人はいない。

 ただ、彼が列車に乗り込むときに列車番号を間違えてしまったのを見る限りでは、旅慣れた強者なのかどうかはわからない。その後、彼等とは何度も出会うことになった。サラゴサでAVEに乗り換える時も、マドリードに着いた時も、彼らの姿を目撃した。彼らを最後に見たのは、スペインのアトーチャ駅前にある奇妙なオブジェ付近でだった。それは駅前においてあると言うよりは、”ころがっている”というのがふさわしい二つの顔だった。

mikonacolon