人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

納豆とハムとキュウリを挟んだトースト

今週のお題「朝ごはん」

納豆、あまり好きではないが、健康のために食べる

 私はいつも、朝食には納豆と、トーストにバターを塗って、その上にハムを乗せ、キュウリを挟んで食べている。納豆は本当はごはんにかけて食ベればいいのだが、それだと量が多すぎて食べられないので、納豆そのものだけを食べる。要するに、納豆があまり好きではないのだ。考えてみると、村と言ってもいい田舎で育った私は、家の一軒先にある村で唯一の食料品店しか知らなくて、そこは食料だけでなく、ありとあらゆるものが売っている”何でも屋”だった。そこで納豆というものが売っていたかどうかさえ、怪しいもので、大人になって初めて、世の中に”納豆”という食べ物があることを知った。周りの友だちは、「おいしいから、食べてごらん」と言うが、実際試してみたら、うえ~となった。正直な感想を言ったら、「最初はそう思うかもしれないけど、そのうち病みつきになるよ」などと訳の分からないことを言う始末。友だちのアドバイスは大変有難いが、個人的には納豆とは距離を置くことにした。

 なので、納豆は私にとって、存在することは認めるが、自分にとってはあってもなくてもいいものだった。それなのに、なぜ、はっきり言って嫌いなものを、我慢して、いや近頃ではもう慣れたが、食べるのか。それにはちゃんと理由がある。大きな声では言えないが、私はどうやらお腹にガスが溜まりやすい体質らしい。そのガスがおならとして外に出て行ってくれれば、こちらはなにも腹痛で苦しむこともない。胸に何か詰まっているような、あの息苦しさのせいで、夜中に目を覚ますこともない。どうにもこうにも耐えられなくなると、近くにある診療所で見てもらっていた。薬局にある胃腸薬をいくつか試してみたが、何のことはない、さっぱり効かなかった。

 そんなある日、新聞である記事を見た。それは外資系の企業のCEOの人が、長年日本に住んでいて、納豆だけは嫌いだったが、今は毎日食べているという内容だった。嫌いなのになぜ食べるのか、そして信じられないことに、今では納豆が大好きになったと言う。いったいどういうことなのだろうと、こちらは興味津々だった。読んで見ると、納豆を食べるきっかけとなったのはコロナに罹ったことだった。コロナの後遺症でお腹の調子が元に戻らなかった。自分は納豆が嫌いだが、子供は4人ともおやつ代わりに納豆を食べるほどの納豆好きだ。それで、納豆にチャレンジするのは今しかないと思った。以前から納豆が身体にとてもいい食べ物で、体調管理に役立つと噂に聞いてたからだった。

 そんな体験談を読んだら、私もひとつ真似をしてみようと言う気になった。たとえ、その方法が自分にとって全く効果がなくても、良しとしようと思った。あまり好きではない納豆だが、一パックに入っている量はわずかだから、納豆だけをちゃちゃっと食べてしまえばいい、と簡単に考えていたが、実際はそうでもない。最初はやっとのことで一バックの納豆を食べ終えた。それが忘れもしない今年の一月で、現在まで続いているのはあれ以来ガスが溜まって苦しくなることがなくなり、納豆の効用を改めて実感しているからだ。それに、納豆をスプーンで口に放り込めばいいだけなので、楽ちんだからだ。

 朝ごはんとして食べているもう一つの食べ物は、トーストで、好きなだけバターを塗り、ハムとキュウリを挟んで、二つに折り、ラップを巻いて片手で食べれるようにする。これがいつものブログを書く前の儀式で、早朝散歩の帰りに買って来たサントリーの缶コーヒーBOSSと一緒にほんの数分の至福の時を味わう。トーストを半分ほど食べたら、途中で食べるのやめて、頭はすぐにブログモードになる。残りのトーストと缶コーヒーはブログを書き終わった後で、納豆と一緒に食べるのが最近のルーティンだ。

 断わっておくが、私は本来はパンよりもご飯が好きで、朝食も本当はごはんとみそ汁でおかずはシャケとかでゆっくり食べたい。だが、それをやっていては時間がなくてブログが書けない。かと言って、夜は疲れて意識が朦朧として、ブログを書く余力は残っていない。そんなわけで、納豆はともかく、このハムとキュウリを挟んだトーストは究極の時短レシピなのである。

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